ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

社会を正気に保つ学びとは? powered by masaharu's own brand of life style!

16回目の祈り

2011年01月17日 | マミム・メモ

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 2011年1月17日。今朝も無事に明けたことに感謝し、自分が、いま、ここに生きていることの意味をかみしめる。阪神淡路大震災から16年。あの日の未明に起こったことは、さまざまなメディアや個人によって繰り返し伝えられてきた。You tubeに投稿されている映像を見る。鉄道も道路も崩壊した街を明石市に近い神戸の西端から芦屋市の職場までミニバイクで通り抜けた時の記憶が体の裡からよみがえってくる。地震発生時からのテレビの映像を並べてみた。

阪神淡路大震災発生の瞬間に放送していた「おはよう天気です ...

24秒 - 2009年1月17日 - アップロード元: meganeWorker
youtube.com

阪神・淡路大震災 発生3時間後 (MBSニュース)

5分 - 2009年7月23日 - アップロード元: SASAKIKI8167
youtube.com

阪神淡路大震災報道特番Hanshin earthquake News program

8分 - 2008年9月21日 - アップロード元: max55002000
阪神淡路大震災発生から半日経った時の報道特番。鉄道は転覆、高速道路の側壁に激突した車のクラクションが鳴り続く中、運転手が運び出される映像な ...
youtube.com

阪神・淡路大震災 高速道路の被害状況 Earthquake in kobe

4分 - 2006年6月3日 - アップロード元: uxt1135
youtube.com

阪神淡路大震災 明と暗

12分 - 2009年3月1日
dailymotion.com

◆ 

1995年阪神淡路大震災1月17日

8分 - 2008年2月29日 - アップロード元: chopinpianostyle
youtube.com

地球規模で災害が絶えない。1年前の1月12日にハイチで起きたマグニチュード7の大地震では31万人以上が亡くなり、今もまだ復興の途上にある。今年になってからもオーストラリアのクイーンズランド州の大洪水が州都ブリスベーンにも大きな被害を及ぼし、南米でも豪雨などの被害が報じられている。人類が繰り返し経験してきた災害の経験をどう活かすか。新たな災害を防ぎ、被害を少なくすことはもちろん、被災後にどのように行動すべきか、迅速かつ有効な支援と連帯の在り方もふくめて、叡智を積み重ねていく努力を惜しんではならない。

学校図書館関係では、ブログ「中学生と図書館」でブリスベンの情報を載せている。

◆ ブリスベンの洪水

◆ オーストラリア学校図書館協会-ブリスベン洪水被害に対して

 

以下は、阪神淡路大震災に関連して、これまでに私がブログにつづった記事のリスト。

◆ 生きている限り (2004年12月29日)
◆ 災害と図書館 (2005年2月26日)
◆ シンポジウム「災害復興に役立つ情報活動とは」 (2005年3月19日)
◆ つながりを活かす学校図書館(震災復興を契機として学校図書館の再生をめざす) (2005年5月22日)
◆ 
1.17 阪神淡路大震災を契機として学校図書館をどう再生したか
 (2006年1月17日)
◆ 諸行無常、それは生きる力の源 (2009年1月18日)

◆ 15年の経験をどう生かすか。阪神淡路大震災の節目の日に寄せて。 (2010年1月17日)

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片桐ユズルさん、傘壽お祝いの詩の会

2011年01月07日 | マミム・メモ

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 片桐ユズルさんと最初に出会ったのは、教職について4年ほどたった頃だった。転勤した中高一貫校で中学1年生も担当することになり、入門期の英語の教え方を学ぶために「GDM英語教授法研究会」のセミナーに参加した。ユズルさんは、そこに講師として来ておられた。意外だった。詩人、関西フォークの擁護者として名前は知っていた。そのユズルさんが英語を教える達人だと知って心強かった。しかも、その教授法を支える意味論(『意味論入門』思潮社、1965)の話がずばぬけて面白かった。研究会で何度かお会いするうちに一般意味論の話になった。アメリカのセミナーに参加したら、とてもよかったという。奇遇というべきか。一般意味論には、学生時代から関心をもっていた。大久保忠利の『言葉の魔術』(日本放送協会編、大日本雄弁会講談社ミリオン・ブックス、1957)やS.I.ハヤカワの『思考と行動における言語』(大久保忠利訳、岩波書店、1965)などを読んで、マスメディアをふくむ日常的な言語の使い方を批判的に見なおすよりどころにしてきた。「セミナーは毎年やっているから行ってみたら?」と言われて、1980年にカナダのトロント周辺で行われた2週間のセミナーと国際会議に参加した。それは、これまで本を通して抱いていたイメージとはまるで違っていた。言語のレベルだけでなく、感覚、感情、認識を統合して、有機体としての人間まるごとが環境とかかわりあう多様なセッションが用意されていて、そこで世界とつながって生きている自分を実感し、自らの生き方そのものを見なおすきっかけとなった。

 ユズルさんは、その後、アレクサンダー・テクニークの普及と指導に力を注いでこられたが、その傘寿を祝う会が、詩人として関西フォークの擁護者としてともに活動してこられた人たちをゲストに招いて2月6日に行われる。

 

片桐ユズルさん、傘壽お祝いの詩の会

2月6日(日)14:00~17:00

ザ・パレスサイドホテル(地下鉄丸太町駅下車)

ゲスト:

秋山基夫さん(岡山在住の詩人)

中川五郎さん(東京在住の歌手)

矢口以文さん(札幌在住の詩人)

片桐ユズルさんの話:「戦争と意味論」(仮題)

途中、ティータイム・歓談の時間も設けます。

費用:一人5000円/+お祝い金

(関心のある方は、連絡をください。)

 

 

アルフレッド・コージブスキー(Alfred Korzybski)は、第一次世界大戦に従軍した経験を通して人類が狂気に陥らないで正気で生き延びる方法を開発することが必要だと考え、科学的認識の発達と人間性の成熟(“Manhood of Humanity”, 1921)を一致させる教育方法として一般意味論を考えたのだという。ユズルさんも軍国主義の中で少年時代を過ごしたことが、現在にいたる活動の原点になっているそうだ。第二次世界大戦がはじまった1941年に生まれた私は、大阪大空襲における被災体験がもっとも古い記憶として残っていて、敗戦後の10年間に幼少期を過ごしたことが原体験になっている。

そんなことを考え合わせると、私にとっては意味論の先達としてのユズルさんの原点に触れることができるのは意義深い。古希を迎える私自身の足元を見なおし、これからの生き方を考える機会としたい。

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ザイラー・デュオ・コンサート、2010秋

2010年10月03日 | マミム・メモ

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 秋晴れの10月2日、京都の日吉町(京都府中部の南丹市)の山里で行なわれた、かやぶきコンサートに出かけた。国際的に活躍するピアニストであるザイラーさん夫妻(カズコさんとエルンストさん)が自らの住まいの隣に作っておられるかやぶき(萱葺)音楽堂で毎年、春と秋に開いておられる手作りの演奏会である。夫妻は、アメリカの議会図書館やベルリン国立図書館など世界中の図書館やコレクターを訪れて、世界各地で未出版や廃版になったピアノデュオ曲の発掘にも精力的に取り組んでおられる。今秋の曲目は、シューマン生誕200年を記念して、「小さな子供と大きな子供のための連弾曲集より」とブラームスによる「シューマンの主題による変奏曲」、そして「愛の歌」、「ハンガリー舞曲」だった。

 かやぶき音楽堂とは、ザイラー夫妻が井県の禅寺(善応寺)から譲り受けて作った迦陵頻窟(からびんくつ)のことで、独特の雰囲気をもつ空間だ。正面には、ガラス戸の向こうに広がる竹林を背景として2台のグランドピアノ、演奏者の後ろにあたる部屋の一角に十一面観音像が置いてある。今回は、その3階席、屋根に沿って張り巡らされた、いわば天井桟敷に陣取った。おかげで、足を伸ばし、ふんわりとした萱のクッションにもたれかかって、ゆったりとした姿勢で、堂内に響く珠玉の音色を楽しむことができた。

 休憩時間には焼菓子とお酒(花泡香)とハーブティーが、コンサートが終わったあとには、ザイラーさんの田んぼで収穫した新米(仏原宝米と名づけられている)のおにぎりが振舞われた。お米は、小粒ながら適度の粘り気があり、歯ごたえもしっかりしていて、ほんのりとした塩味と海苔がお米の美味しさを引き立てている。今年はこの地でも猪による被害があって、例年の半分しか収穫できなかったという。そう聞くと、味わいもひとしおだった。

 午後5時を過ぎた帰り道は、日中は暑かった日差しもかげって、さわやかだった。空一面に広がったうろこ雲のはしっこに傾いた夕日が映えて、ほのかな茜色になっている。彼岸花とコスモスが咲き誇るのどかなあぜ道を駅まで約20分、キチキチという百舌鳥のさえずりを聞きながら。途中の農家で買った黒豆の枝豆とザイラーさんの田んぼで収穫した新米をぶらさげて帰り道は、すがすがしい。

 今日のお昼は、豆ご飯をいただきます。

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野生の哲学

2010年05月19日 | マミム・メモ

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 昨日の書き込みにたいして、さまざまなレスポンスをいただきました。ご心配をかけないように事実関係を報告させていただいたつもりですが、お騒がせして申し訳ありません。現在、症状は昨日より和らぎましたが、まだ右側の目と顎のまわりがうっ血しているのと左の腰骨に違和感があって長時間にわたって姿勢をまっすぐに維持しておくのがむずかしい状態です。面白いのは、現時点で症状が顕著なところは、1週間前に転倒したとき直接には打っていない部分だということです。うっ血している部分は、見た目には悲惨ですが痛みも傷も全くないのです。強打した頬骨は、脹れもなくなり、痛みもずいぶん和らいでいます。今は、丹田に力がはいるように深い呼吸を繰り返して、からだが整うのを待っているところです。

 ところで、危機的状況にあるときにパニックに陥らないで、こうして少しは余裕をもって自分を見つめることができるようになったのは、かつて野口晴哉氏(1911-1976)を知り、整体法や潜在意識教育法の講習を受け、門下の先生方の指導を受けてきたことが影響しています。野口氏が開発した整体法は、私にとって生身の自分を丸ごと清々しく生ききる方法を示してくれました。その一端を知りたい方には、次の2冊をお勧めします。

風邪の効用 (ちくま文庫)
野口 晴哉
筑摩書房

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整体入門 (ちくま文庫)
野口 晴哉
筑摩書房

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(本書に関する松岡正剛氏のコメントがあります。)

 その他の著書などは、全生社から入手できます。

 そして、奇しくも怪我をした日の数日前から、今の自分をみつめ、これからを考えるために、あらためて読み直していたのが下記の本です。野口晴哉氏の思想というか生き方としての哲学とその現在的意味を論じたものとしてお薦めです。

野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙
永沢 哲
青土社

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心身再生の兆しか? 自傷事故の報告

2010年05月18日 | マミム・メモ

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 13日の木曜日の昼過ぎのことである。駅の階段を降りようとして、一瞬、足がもつれ、バランスを崩した。勢いがついていて、そのまま階下へ。10数段下のフロアに転倒。右手のひらをつき、右顔面を強く打った。急いでいたわけではない。周りの人たちと、ほぼ同じ歩調で「調子よくトントンと」階段を下りていた。思えば、その日は気温が低く体が冷えていた。家を出る直前まで何時間もデスクワークをしていて、からだのウォームアップができていなかった。前夜の睡眠時間が極端に少なかったことも一因だったかもしれない。近くの人たちが駆け寄って必要な措置をとり、救急車を呼んでくださった。かばんやメガネは飛んだが外傷はなかったらしい。スーツも破れず、よごれてもいない。

 救急車の中で、血圧測定や問診などを受ける。「自分で医者に行きますか?」「顔面を強打しているので運んでください。」近くの総合病院の脳外科に運び込まれる。CTスキャンの結果、右の頬骨が骨折し、少し陥没していることが判明。「現時点では脳に異常はないようですね。」別の病院の口腔外科への紹介状を書いてもらい、そのまま帰宅。横になってウトウトするが、右手首に激痛を感じて目を覚ます。手のひらから手首までが大きく脹れあがっている。夜になり、気を紛らせる外部からの刺激が少なくなると、痛みは一層激しくなり、手を引きちぎられるような痛みで、ほとんど眠れなかった。

 翌朝になると右目も充血して腫れあがっていた。まず、紹介された口腔外科へ。手術をするかどうか相談。時間をおくと、そのままの状態で固まり、口が開けにくくなるという。他の部分の症状や痛みがおさまるまで1週間ほど経過をみることにする。

 午後は、整体指導室へ。まず、右腕、そして、からだ全体を丁寧に調整してもらい、生活上の注意を受けて帰宅。翌朝、目を覚ますと、劇的な変化が起こっていた。あれほど痛かった右手首から、脹れが引き、痛みもなくなっていた。文字を書くことはもちろん、キーボードを抑えることさえもできなかった指も正常に動く。熱くほてっていたからだもおちついていたが、それにともなって痛みや熱をもっている個所が際立ってくる。これまで全く異常が認められなかったところにも、さまざまな変化があらわれている。左の上歯、左の頭蓋骨。4日目になると、左の臀部が痛み、上体を起こすことが困難になる。無理に起き上がろうとすると、左側の背筋が張って痛い。左右が歪んだまま右の肩口から前かがみになって歩行。痛みや症状は、その後も、どんどん変化しているが、不安はない。

 一連の経過を振り返ってみると、面白いことが分かる。救急車では、外傷と本人の自覚症状で怪我の程度を判断。脳外科に搬送されるが、診断の結果、口腔外科(歯科)へ。右手首や目、その他の部分の検査などは一切なかった。自覚症状を強く訴えれば、外科や眼科にも回されたかもしれないが、けがの直後は、顔面全体、からだ全体が痛かった。ここまでの治療は、患部を氷で冷やすなど、症状が出ないように、出た症状がそれ以上ひどくならないようにしているようだ。一方、整体指導室では、専門的な検査や診断はできないが、からだ全体のバランスや各部分の関連などを見て、操法と指導がおこなわれる。症状を抑えるよりも症状の変化をみる。

 現在は、右顔面の目の周りや下の頬にうっ血が見られ、転倒直後と比べると悲惨な顔をしている。フリーの身になって一ヶ月半。ゆっくり今後の身の振り方を考えようと思っていた矢先の出来事だった。まだ血の気が多い証拠か? これから自分の気持ちは、どのように変化するのか、しないのか? 心身両面の変化を楽しみつつ、今後の経過を見守りたいと思う。

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MY COFFEE LIFE

2010年04月12日 | マミム・メモ

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 我が家にエスプレッソマシンがやってきた。321日に私のための会を開いてくださった皆さんが、花束や鉢植とともにプレゼントしてくださったものだ。当日足を運んでくださった皆さんばかりでなく、記念品のために出資してくださった方々にも心からお礼を申し上げたい。

 じつは、幹事役のNさんから、事前に、いくつかの選択肢をあげて、どれがいい?と打診されたとき、あつかましくも何の躊躇もなく「エスプレッソマシン!」と口走ってしまったのだ。我が家にやってきたデロンギのマシンはデカイ。あの小さなカップにコーヒーのエッセンスを抽出するのに、どうして? その疑問が解けないまま、毎朝、香り高いエスプレッソを抽出している。始めのうちは、なかなか満足のいくものができなかったが、今では牛乳を泡立ててカフェ・ラテをつくり、キャラメルシロップを加えてキャラメルマキアートもつくれるようになった。アイスクリームの上にエスプレッソを抽出すると最高のデザートになる。多様な味を楽しむために、お昼や午後には、これまで通りドリップしているが、その時の気分によって、お気に入りのパンやケーキやクッキーを選べば、コーヒーはさらに美味しくなる。こうしてエスプレッソマシンによって、私のコーヒー生活は確実に豊かで楽しいものになった。

 ところで、神戸のコーヒーといえば、UCCUコーヒーが全国的に有名だし、にしむら珈琲店は神戸人の個人史の中で思い出深い舞台になってきた。私もにしむら珈琲店で、人と出会い、別れ、思索し、自らを癒し、門出や新たな企図の契機としてきた。しかし、家で入れるコーヒーは何といっても萩原珈琲だ。ブレンドもいいが(むしろブレンドこそ焙煎業者のセンスと技術の粋が活かされているともいえるのだが)、ストレートではモカマタリが気に入っている。エチオピア産のモカは農薬の影響で手に入りにくくなっているが、イエメン産のモカマタリは極上である。

 萩原珈琲は、神戸でも知る人ぞ知る老舗だったが、昨年あたりからネット販売や直営の販売店や喫茶店を増やした。わざわざ本店まで出向かなくても、三宮さんちかタウンで豆を購入できたり、神戸市役所の庁舎でも味わえるようになった。便利になるのはいいが、経営を拡大することと、これまで通り丁寧な焙煎へのこだわりを、どのように両立させるのか。これまで多くの企業が二兎を追って、結果的に質を犠牲にしてきたが、萩原ファンとしては、くれぐれも粗雑にならないようにしてほしい。エスプレッソマシンのサービスでもらったポッドを使い果たし、しばらく自分で豆をエスプレッソ用に挽いていたが、萩原のポッドを使ってみようと、試しに、さんちか店へ行ってみた。店員は自社が扱っていることすら知らず、本店に行かざるをえなかった。そのうえ、ポッドにはポイントがつかないらしい。周辺的なこととはいえ、経営の拡大と顧客サービスとの微妙な食い違いが垣間見えるのが心配である。

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相棒との別れ

2010年03月29日 | マミム・メモ

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 今日、長年愛用してきた原付バイクを廃車処分にした。この3月で教職を離れ、仕事に使っていたものが不要になったためだ。平成5年(1993年)に、ホンダAF27型に乗り始めてから17年になる。はじめのうちは家の近くで買い物などに使っていた。役割が一変したのは、1995117日。阪神淡路大震災の起こった日だ。交通機関が遮断されていると聞いて、バイクで芦屋の勤務先に向かった。その先どのような事態になるか、考えてもみなかった。明石市と接する西舞子から神戸市を駆け抜け、東灘区を過ぎると芦屋市だ。陥没した道路、倒れた家屋や樹木、瓦礫の山や火の手が、いたるところで道をふさいでいた。進んでは引き返し、路地を抜け、山手に向かったかと思うと海岸まで下っていく。巨大な迷路で出口を探すようにジグザグに進む。朝7時ごろに家を出たのに職場に到着したのは昼前だった。

 それから毎日、バイク通勤が始まった。復旧作業のために神戸市内を出入りする大型車が日に日に増え、長い渋滞のなか、ダンプカーの合間を縫って走った。公共交通機関が不通になっていたために入学試験が会場を分散して行われたときには、試験問題を最も早く確実に届けられる手段として、このバイクが威力を発揮した。道路の復旧が進むにつれて迂回が少なくなっていったが、それでも片道2時間以上かかった。

 やがて交通機関が全面復旧したあともバイクは芦屋の駐輪場においた。徒歩で片道25分ほどかかる駅と山の上にある勤務校の間の坂道を、雨の日も、雪の日も、台風の日も、毎日このバイクで往復した。

 その原付バイクが、今日でその役割を終えた。これまで、たびたび、ちょっとした修理などをお願いしていた芦屋駅の近くのバイク店に処分をお願いした。日頃、モノにたいしては、あまり思い入れをもたない私だが、いざ処分してもらおうという段になって、つねに私のそばにいて、さまざまな場面で私を支えてくれていたことに気がついた。そこで、私の人生の後半をともに過ごした相棒にたいする、ちょっとしたレクイエムの意味を込めて、この文章を記すことにした。

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この上ない人生の贈り物

2010年03月27日 | マミム・メモ

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 3月21日、私が学校現場から離れる機会に、親交の深かった学校図書館にかかわる人たちが、私のこれまでの人生を振り返る集いを開いてくださった。穏やかで充実した集まりだった。同僚や友人たちも、とても心地よい集いだったと振り返ってくれた。ひとえに当日集まってくださった皆さんのおかげだ。40数名の中でただ一人終始緊張していた私は、後日、写真を拝見してはじめて、皆さんの表情が晴れやかで輝いていたことに気づいた。そんな素敵な人たちと、さまざまな形で親交を深めることができたことが嬉しい。

 一人の教師として学校図書館に関わってきた。図書館のことを何も知らないからこそ学ぶことがたくさんあった。とくに1998年から2002年にかけてMLやオフ会で皆さんと議論を交わしたことで、学校図書館の活動を通して閉塞した学校教育を打開する道が見えたように思った。そんな想いを確かなものにしてくれたのが、学校図書館という現場に集うことになったスタッフだった。

 学校図書館は一筋縄で捉えることができない存在だ。学校図書館と関わるには多元的な視点が必要でないか。さまざまな形で学校図書館と関わってきた人たちはもちろん、関わっていない人たちとの協働も必要ではないか。そんなところに私は面白さを感じている。

 21日は、皆さんから、この上ない人生の贈り物をいただいた。あの場で語ったことや皆さんからいただいたコメントなどを整理して、これからの自分の課題をみつけようと思う。

 次のサイトは、この日の集いのために用意した資料です。私の関心の一部を共有できそうな人は、私に直接メールをください。

個人史を通して考える教育的人間関係と学校図書館の可能性

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15年の経験をどう生かすか。阪神淡路大震災の節目の日に寄せて。

2010年01月17日 | マミム・メモ

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 今年もまた、この日がめぐってきた。阪神淡路大震災から15年が過ぎた。我が家は、明石海峡を隔てて震源地の真向かいにありながら、神戸の他地域と比べれば、被害が少ないほうだった。震源域から少しはずれていたことと、地盤が比較的しっかりしていたおかげかもしれない。それでも、とつぜん地の底から突き上げるようなドーンという衝撃に目を覚ました朝からはじまるさまざまな経験は、いまだに身体の記憶から拭い去ることはできない。前日の夕方にも同じような大きな衝撃を受けていた。小さな地震だったが、その時は建設中だった明石海峡大橋に何らかの異変かあったのではないかと思った。だが、翌朝の大地震の前兆だったのかどうかは断定できないという。未曾有の大地震を契機として私たちが経験し、語り、調査し、解明してきたことを、単なる事実として記録するだけでなく、いま、この瞬間に起きるかもしれない災害のためにできるだけ役立ててほしい。震災から10年目を迎えようとしていた2004年の末には、新潟中越地区やスマトラ沖の地震で大きな被害が出た。今年も、5日前からカリブ海沿岸のハイチで起きたほぼ同じ規模の大地震が報じられている。15年前の経験を生かして、ただちに緊急の救援活動にのりだすと同時に、状況を十分に把握して復興支援を行うことが必要だ。だが、日本政府がどのような救援活動を行おうとしているのか、その初動に関する報道が少ないのが気がかりだ。

 今朝、私は530分に目を覚ました。何事もなく過ぎてゆく546分。あらためて、いま、ここに生きている自分を存在せしめているものは何かを考えていた。

 生きている限り 20041229日)
 害と図書館 2005226日)
 シンポジウム「災害復興に役立つ情報活動とは」 2005319日)
 つながりを活かす学校図書館(震災復興を契機として学校図書館の再生をめざす) 2005522日)
 1.17 阪神淡路大震災を契機として学校図書館をどう再生したか 2006117日)
 
諸行無常、それは力の源 (2009118日)
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新年のご挨拶

2010年01月01日 | マミム・メモ

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 明けまして、おめでとうございます。皆さんは、どのような思いで新しい年を迎えられたでしょうか。

 今年、私は大きな転機を迎えようとしています。定年退職後も続けてきた中高の授業をこの3月に終えるのです。46年間もの長きにわたって教育活動を行ってきた学校という足場がなくなって、はたして自由に飛翔できるのか、それとも迷走を続けるのか。今後は大学の授業を続けながら、志を同じくする人たちとのつながりをいっそう大切にし、この混迷の時代にあって、社会を正気に保ち、私たち11人の生きる力を育む学びの在り方を追究してゆきたいと考えています。これからも何かとお世話になると思いますが、よろしくお願いします。

 最後になりましたが、新しい年の初めに皆さんのご健康とご多幸をお祈りします。

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知性と感性の新しい形を求めて

2009年12月29日 | マミム・メモ

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 今月の22日から23日にかけて上京した機会に、用件の合間を縫って最近話題になっている二つの場所を訪れた。

 一か所目は、東京駅丸善の4階で催されている「松丸本舗」だ。「千夜千冊」や「編集工学研究所」で知られる松岡正剛氏が選んだ本を独自の分類と配列で見せてくれる、実験的でメッセージ性のあるイベントである。一歩足を踏み入れると、まず、その斬新さに目を奪われる。これまでに読んだ本も多かったが、分類と配列によってこれほどまでに新鮮な趣を見せるものか。そのために独自にデザインされた書棚も見ものだ。そこで気持ちが掻き立てられる。ただ雑然と積まれているだけの我が家の書斎を一度見直して、自分なりの分類をしてみようか。想いはさらに広がる。不特定多数が相手の書店でこの企画が成功したのなら、公共の図書館だって何らかのメッセージ性をもった独創的な空間を作り出し、新しい知の構造を見せてもいいのではないか。「本の見せ方」「本の接し方」「本の読み方」をさまざまに変容させる試みの一つだという松丸本舗は、きわめて刺激的で離れがたい空間であった。

 次に訪れたのは根津美術館である。新しくなった建物はシンプルな和風のデザインで周囲の環境に溶け込んで落ち着いたたたずまいを見せていた。その日は、新創記念特別展第2部「根津青山の茶の湯」の最終日で、大勢の入館者でにぎわっていた。展示空間はそれほど広くないので、ざっと見て回るのにそれほど時間はかからない。一通り見終えたあと、余韻に浸ろうとロビーに降り、全面ガラスを隔ててその前に広がる庭園に出てみる。そこから続く小路と鮮やかな鳥の声に誘われて奥に入っていくと、いつのまにか先ほどまでの洗練された空間とはまるで別世界にいることに気づく。複雑に入り組んだ小路は曲がりくねって、起伏があり、あちこちで枝分かれしていて、ところどころに茶室として使われる質素な建物が点在し、池や流れや鳥居などに出会う。侘びとさびの空間で、とりとめのない思索にふける快感を堪能し、行き着いた喫茶室で深い庭園を眺めながら熱いコーヒーをすすって、美術館を出た。

 この日は、東京駅と表参道という、まさに都会のど真ん中で満たされた時間を過ごすことができた。ついでながら丸善4階の松丸本舗の真横にある喫茶室も気に入っている。窓に向かう席に座ると、真正面に東京駅のプラットホームが見わたせ、さまざまな電車や列車や新幹線が出入りしている。少し下に目をやると駅の高架下を人々が行き交い、その手前は車道になっていて、三層に区切られたそれぞれの光景を眺めていると飽きることはない。プラットホームの向こうには、いくつものビルディングが衝立のように重なり合ってそびえ立ち、夜にはまだら模様に灯る明かりが都会の哀愁を誘う。まさに都会を象徴する写真を見ているようだ。

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覚醒への道:非言語的体験と哲学的対話、そして教育

2009年11月14日 | マミム・メモ

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 文字どおりの小春日和となった先週の土曜日(118日)、思い立って奈良に出かけた。陽気に誘われただけでなく、終わりに近づいた(12日に終了した)正倉院展と興福寺の国宝展を同時に見られるチャンスでもあったからだ。仮金堂に入るのに2時間、北円堂は30分かかったが、紅葉間近の木々に囲まれた奈良公園で五重塔や興福寺の数々の美しいお堂を眺めながら、ゆっくりと歩を進めることに忍耐は必要なかった。仮金堂では、これまで国宝館で見慣れていた阿修羅像、八部衆立像や十大弟子像などが、いっそう荘厳な佇まいを見せていた。堂内の人の流れも工夫もされていたのもよかった。一段高い位置から全体を見わたしたり、近くに寄って細部を観察したり、一歩下がって立ち止って眺めるなど、さまざまな角度から堪能できた。そのあと正倉院展でも40分ほど並んだが、この日は午前10時過ぎから午後4時ごろまでゆったりと落ち着いた時間を過ごし、適度な疲労感を覚えて帰宅した。

 さて、前項では阿修羅像を通して言語を媒介としない自らの覚醒体験を語った。もしかしたら、その延長線上に宗教的体験といわれるものがあるのかもしれない。自他の境界を超えて大いなる生命の営みと一体となる感覚は、私たちに深い感動と心の安定を与え、自分の内にみなぎる大いなる可能性を感じさせてくれる。

 一方で哲学は言語を媒介として人間の根源的な問題に迫る道筋を提供する。哲学的な問いや対話は、自他の立場を明確にし、他者とともに考える機会を生み出す。ことばの意味を明確にし、ひたすら問うことを通して、現実の経験を超越した高い水準の認識にいたる哲学の方法は、私たちが生きていくあらゆる場面で役立つにちがいない。欧米では「子どものための哲学」や「ソクラティック・ダイアローグ」といった教育が一定の位置を占めており、フランスでは大学入学資格試験の科目にも入っているという。だが、これまでわが国では子どもたちや一般の大人が哲学的対話法を学ぶ機会がほとんどなかった。ロバート・エニスなど哲学者によって確立されたクリティカル・シンキングは、今やさまざまな教育分野で注目され、活用されているが、私が198990にかけてカリフォルニア州立大学ソノマ校のリチャード・ポールの研究室にいた頃は日本の教師たちの間ではあまり知られていなかった。現在もわが国の学校教育にどの程度まで浸透しているかは疑問だが、最近になって、大阪大学臨床哲学研究室が発行する『臨床哲学9』(2008)に京都の私立高校で行われた哲学の授業が報告されているのを知った。「対話における哲学的思考の学習 クリティカル・シンキングとエンゲストロームの学習論より」で語られている高橋綾さんの実践と省察は最近の私の関心とも近いので、今後の展開に注目したい。

 非言語的体験だけでなく哲学的対話もまた、私たちを「ことば」や「慣習」の枠から解放することによって、自己と世界の広がりと深さに気づくのを助け、生きる喜びを与えてくれる。いわば生産的・創造的な活動の源泉と言っていいだろう。今後は、非言語的体験と哲学的対話という2つのアプローチを学びのシステムのなかに組み込んでいくことが、これからの教育のインフラを築いていくことになるにちがいない。

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わが心の内なる阿修羅像

2009年09月29日 | マミム・メモ

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 奈良・興福寺の阿修羅像が東京と福岡で多くの観覧者を集めたという。なぜ、今、行列までして? その気になれば、いつでも、常設されている興福寺の宝物館を訪れる機会をつくれないわけではないだろうに・・・主催者の仕掛けに踊らされる群集心理なのだろうか?

 もう2,30年も前のことになるだろうか。自宅から日帰りで行けるという地の利もあって、阿修羅像を見るために何度も奈良まで足を運んでいた時期がある。一般的に「中堅」「働き盛り」などといわれた頃だ。仕事をすることに生きがいを感じる一方で、自分の生き方について矛盾する問題も多く抱えていた。目の前のことに追われて焦りが出てくると、「あたま」と「こころ」と「からだ」のバランスが崩れ、自分を根底から動かす力がなえてくる。そんなとき、思い切って一日をつぶして興福寺まででかけて阿修羅像と対面した。その容姿をつぶさに観察するのでもなく、ただ漫然と眺めるのでもない。ましてや、阿修羅は天界から追放された闘争心の権化か、それとも生命と生気を宿す善神なのかといった詮索をするのでもない。奈良時代の仏師が彫りあげた、あの端正な造形を、ただ、ひたすら見つめる。やがて仏像と自分との間の物理的な距離を感じなくなり、美しさと力強さと安定感が自分のなかにみなぎってくる。そのうちに、だんだん身体が温かくなり、熱いものがこみあげてきて・・・やがて自然に身体が動き出し、その場を離れる。

 森や山で自然に触れたときにも似たような体験をすることがある。森の空気や樹木に溶け込んでしまうように感じたり、遠くに聞こえていた鳥の声やせせらぎの音がとつぜん増幅されたように自分の耳元で響きだしたり、単なる「美しい夕焼け」が、たっぷりと時間をかけて微細に変化していく光のページェントになったり・・・「集中」とか「没頭」、あるいは「瞑想」という言葉を当てはめることができるかもしれない。だが、そうしたことは現実的な問題に取り組み、合理的に考えて行動しているときには起こりにくい。同じ森に入っても、林業に携わっている人たちは、日常的な仕事として充実感をもって森と向き合っておられる。そこからさらに人間の根源的な問題と向き合ってトータルな自分を回復しようとすれば、やはり日常の意識レベルを超える非日常的な体験が必要だろう。奈良時代に阿修羅像を彫りあげた仏師もまた、目の前の木と向き合って集中し、没頭し、日常を超える体験をしていたにちがいない。

 東京と福岡で成功をおさめた阿修羅像は興福寺に帰ってから一か月ほど(10月17日~11月23日)仮金堂に安置されるという。久しぶりに、これまでのようにガラス越しではなく、じかに対面してみるのも良さそうだ。それとも、人に押されて短時間だけ垣間見るといった状況になるのなら、ブームが去るのを待って宝物館にでかけることにしようか。

奈良・興福寺

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映画「扉をたたく人」。 訪問者によって開かれる新たな生き方

2009年08月16日 | マミム・メモ

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 7月末から私学研修、ジャムセッション、司書教諭講習・・・その合間に新型インフルエンザさわぎで8月にずれ込んだ大学の講義。息をつく暇もない日々のなかで、つかの間の気分転換には映画を見るにかぎる。

 ちょうど神戸で上映が始まったばかりの「扉をたたく人」(原題はthe Visitor)を見にいった。妻に先立たれ、かたくなに心を閉ざしている年老いた大学教授ウォルターは、思いもかけぬ訪問者(visitor)によって心の扉をたたかれる。シリア出身のジャンベ奏者タレクとその黒人の恋人ゼイナブとの新鮮な日々。異質な他者との関わりによって開かれる新たな自分との出会い。

 映画は同時に、9.11の同時多発テロ以降、移民や難民(visitor)にたいする寛容さを失ったアメリカを描いている。原題The Visitorは、その国への一時的訪問者をも意味する。不法滞在を余儀なくされ永住権をもたないタレクが、ふとしたことから入国管理局にとらわれ、ウォルターは頻繁に拘置所を訪問してタレクを励まし、固い国家の扉をたたこうとするが・・・・そこに息子の身を案じる母親モーナがウォルターのアパートを訪問する。ウォルターはモーナからも心の扉をたたかれ、しだいに自分を開いていく。

 ふたつのテーマの、どちらがメインで、どちらが背景なのか・・・見る人によって地と図が反転してみえる錯視画ようにこの映画は作られている。ふたつのテーマが重なり合い、人生の壁について、国家の壁について 深く静かに考えさせる良質の映画だ。

公式サイト
http://www.tobira-movie.jp/

 この映画は、世界の人権問題に取り組んでいるアムネスティ・インターナショナルにも推奨されている。
http://www.amnesty.or.jp/

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レナード・コーエン(Leonard Cohen):自分の人生は自分で生きるほかない

2009年05月25日 | マミム・メモ

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 先日、親しくさせていただいている人から「数年前からレナード・コーエンを聞いています」というメールをいただいた。渋い声の向こうから 別のささやきが聞こえてきて、常ならぬもの いのちのがりに「そうなんだよな」「そうとしか言えない」と独り納得しておられるという。まるで、自分の若い頃にタイムスリップしたようだ。
 
1934年にカナダのモントリオールに生まれたレナード・コーエンは、大学在学中から作家・詩人として注目されていたが、やがて自らの詩を呟くように唄いだし、シンガー・ソングライターとしての評価が高まっていった。はじめてレナード・コーエンを聞いたのは、およそ40年ほど前のこと、たしかBird on the Wireだったと思う。彼の声は、私の身体をゆさぶり、ことばの向こうにあるものに触れさせてくれた。
 Like a bird on the wire,      電線の上の一羽の鳥のように
 Like a drunk in a midnight choir
 真夜中の聖歌隊の酔っぱらいのように
 I have tried in my way to be free.
 ぼくはぼくなりのやりかたで自由になろうとした
 この訳詞をされた三浦久さんを知ったのもその頃だった。京都で英語の先生をしておられたが、自分でも「私は風の声を聞いた」や「山頭火」といった曲を作って唄っておられた。

  私は風の声を聞いた
  その分別を捨てて
  ただ生きて生きなさい
  私は風の声を聞いた
 二人の歌声に導かれて問うてみる。私は、自分の人生を自分で切り開いて生きているだろうか。波風のたたない安易な生き方を求めていないか。無用な争いを避け、きまりを守り、世間の慣習にしたがうことばかりに腐心していないか。問題状況を安易に切り抜ける方法ばかりを考えていないか。そうしているうちに、しらずしらずのうちに生気を失っていないだろうか。そして、やがて窒息してしまわないだろうか。この袋小路から抜け出す道は、ひたすら問いつづけること。いま見えているものを問い直し、自分の考えや行動を問い直し、その前提となっているものを問い直すことだ。自分を取り巻く現実に触れて、不断に問いつづけることだ。
 私は、教師として、子どもたちに自らの力で人生を切り開き、生き抜くことを教えているだろうか。失敗を恐れ、安全を求めて、手順やマニュアルを与えて、手とり足とり、子どもの学びをコントロールしていないか。子どもたちが、大人の顔色に左右されないで、とことん自分の問題と向き合い、試行錯誤を重ねて自分の力で状況を切り開いていくのを助けているだろうか。そのために、自らも自分の人生を自分で生きながら、子どもたちと向き合い、切り結んでいくのが大人の役割であろう。
 コーエンは、70歳代半ばの現在も世界各地にファンが多く、YOU TUBEでは、その代表作のほとんどを聞くことができる。時代はコーエンを必要としているのかもしれない。
 60歳を越えた三浦さんも、故郷の長野県辰野を拠点として、大学で教鞭をとりながら各地でコンサート活動を続けておられる。
 
「人間にとって、とにかく一番重要なものは、自由なんだね。自らの判断で、自らの責任のもとで生きていく、それが大事なんだ。日本でも、もっと早い時期に、子供を一人前の大人とみなして、自らの意志で生きていくのが当然といったような、そんな社会になっていってほしいね」(15年ぶりで三浦さんの歌声を聞いた時、風が優しく僕の頬を撫でていった。」山田博之、月刊 『Live Station』 Nov 1990
 

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HERE COMES EVERYBODY (HCE From Finnegans Wake by James Joyce)

いま、ここに生きているあなたと私は、これまでに生きたすべての人、いま生きているすべての人、これまでに起きたすべての事象、いま起きているすべての事象とつながっていることを忘れずにいたいと思います。そんな私が気まぐれに書き綴ったメッセージをお読みくださって、何かを感じたり、考えたり、行動してみようと思われたら、コメントを書いてくださるか、個人的にメッセージを送ってくだされば嬉しいです。

正気に生きる知恵

すべてがつながり、複雑に絡み合った世界(環境)にあって、できるだけ混乱を避け、問題状況を適切に打開し、思考の袋小路に迷い込まずに正気で生きていくためには、問題の背景や文脈に目を向け、新たな情報を取り入れながら、結果が及ぼす影響にも想像力を働かせて、考え、行動することが大切です。そのために私は、世界(環境)を認識し、価値判断をし、世界(環境)に働きかけるための拠り所(媒介)としている言葉や記号、感じたり考えたりしていることを「現地の位置関係を表す地図」にたとえて、次の3つの基本を忘れないように心がけています。 ・地図は現地ではない。 (言葉や記号やモデルはそれが表わそうとしている、そのものではない。私が感じたり考えたりしているのは世界そのものではない。私が見ている世界は私の心の内にあるものの反映ではないか。) ・地図は現地のすべてを表すわけではない。 (地図や記号やモデルでは表わされていないものがある。私が感じたり考えたりしていることから漏れ落ちているものがある。) ・地図の地図を作ることができる。 (言葉や記号やモデルについて、私が感じたり考えたりしていることについて考えたり語ったりできる。)