ほぼ20年来の知り合いである中村百合子さんが「学校経営と学校図書館」のテキストを出版されたというので、さっそく読ませていただきました。
以下に私なりにとらえた本書の際立った特徴のいくつかを紹介させていただきます。
入念につくりこまれたテキストである
全体の構成、章の配置はもちろんだが、章の間のつながりや、前後の記述の関連性にも配慮が行き届いている。各章の最初には、前章で学んだこととこの章で学んでほしいことつなぐ簡潔な導入がついており、本文では、ただ概念や事柄を記述するだけでなく、それらをとらえる視点や考え方、他の事項との関連にも言及されている。それによって、概念や事柄の相互の関連が読者(=学習者)の内面に波紋のように広がり、複雑な関係性の全体像を把握しやすくなるだろう。
章をまたいでの相互参照とくりかえしが多いにもかかわらず、それを冗長と感じさせないのは、テキストの語り口によるのだろう。学習事項の羅列によって必要事項を一方向的に伝達するのではなく、理論や事実、観点を様々な角度から繰り返し丁寧に説明した上で、そこから先は読者(=学習者)が自分で考え、議論することを促す。
本書は、編集者があらかじめ教えたい項目を提示し、複数の執筆陣が章ごとに分担して、それぞれの項目の解説記事を書くというスタイルをとっていない。図書館情報学と教育哲学という専門分野の異なる二人の研究者によって執筆されている。全体の編集と学校図書館に関わる部分の執筆は、もちろん図書館情報学の中村さんが担当しておられるが、これからの学校図書館の存在理由を支える基本的な理論や考え方、すなわち21世紀における知と学び、学校教育とメディア環境を展望する部分は教育哲学者である河野哲也氏に委ねられている。河野氏が担当された第2章から第4章までの記述は、本書の全体にわたって様々な形で参照され、具体的な形でつながって全体としての理解を深めるように仕組まれている。このような連携が、まったく違和感がなく行われ、一貫したメッセージを読み取ることができるのは、お二人が同じ大学の教員として日頃から対話をとおして育んでこられた同僚性が大きく作用しているのだろう。
ちなみに私は、本書を読み終えた直後の12月1日に、その印象を伝えるために以下のようなツイートをした。
「これからの学校教育に欠かせない学校図書館と司書教諭の概念が学校図書館研究者と哲学者のコラボによって開かれた」
理論に重点を置いたテキストである
上に述べたように、本書は、学校図書館に関する知識を一方向的に伝える講義のような記述ではなく、読者(=学習者)の立場に立ってていねいに語りかけ、思考(探究)と議論を促すように配慮されている。とはいえ、けっして分かりやすいテキストではない。
第1章「司書教諭になるための学習」では、司書教諭課程と学習にあたっての心構えとともに、理論的な学習の重要性が説かれている。とはいえ、つづく第2章「福島第一原子力発電所事故後の世界と新しい知的社会」で提起されている新たな知のとらえ方、考え方の枠組みを理解することは、とくに初めて学ぶ学生たちにとって容易ではないだろう。自分たちが思い描いていた学校図書館の勉強と、あまりにもかけ離れていると感じて、学習を断念してしまう学生もいるかもしれない。私の独断であえて言えば、この段階で初学者がこの章を深く理解することは困難だし、その必要もないだろう。ただ、ここで提起されていることがらを、理解困難な問題として自分のうちに刻み込んでおけばいい。よく理解できない概念や考え方に出会ったら、それを保持したまま読み進み、何度も繰り返し参照しながら時間をかけて理解を深めていくことこそが大切なのである。場合によっては、卒業して何年も(何十年も)経ってから、どこかで何かのきっかけに、ふと、学生時代にどうしても理解できなかったことを思い出して考えてみることだってあるかもしれない。教育とか学びとは、そういう息の長いものである。大学の授業であれば、授業担当者は学びのガイド役として、まず第2章のはじめに学生の意識や理解に応じた丁寧な導入と励まし、そして学習過程における適切な介入を心がけておけばいい。
難解だった第2章も、第3章「これからの学校教育とあるべき学びの形」、第4章「メディアと人間の循環」へと進むにしたがって少しずつ具体的にイメージしやすくなっていく。この二章では、これからの学校教育の在り方と変革の必要性、そのためのメディア環境、そして探究と教育をサポートする「知の自律的循環」の場としての図書館の概念が提示されている。こうした下準備を経てはじめて読者(=学習者)は、第5章「学校の中の図書館」で記述されている学校図書館の理念へと導かれる。
歴史的観点に力を入れていることも本書の際立った特徴である
第6章と第7章の二章にわたってアメリカと日本の学校図書館史をていねいに論じていることも本書の大きな特徴である。第8章「日本の学校図書館の現状」を理解し、学校図書館が抱える矛盾や問題を克服して新たな制度と実践を切り開いていくためには、歴史的理解が不可欠であることはいうまでもない。第2章-第4章で提起された「知」と「学び」と「メディア」に関する知見と第6章-第7章で示された歴史的考察という二つの軸は、長期的な学校図書館を展望するためにきわめて重要である。
大学で学ぶことは、かならずしも今すぐに役立つ実践的な知識や技能である必要はない。現在の制度や実践をなぞることでも、理想を追求することでもない。もっとも必要とされるのは、社会にでて実務についたときに実際に経験する様々な矛盾を乗り越えて、新たな実践モデルを創出し、実行するための素地を培っておくことであり、広い視野と深い洞察力によって世界を観察し、考え、学び、変わりつづける姿勢を身につけておくことだろう。
つづく第9章「学校図書館の目的と機能」を経て、第10章と第11章では、第5章-第9章で学んだ学校図書館の原理、基本理念、歴史的背景、目的と使命を踏まえて、それを現実化するための「サービス」と「教育」という、学校図書館の活動とその意義を展望できる。
組織的なマネジメントへの着眼
ここまで学んできて学校図書館の役割と使命を理解し、意欲をもって学校図書館に関わりたいという期待をもったかもしれない読者(=学習者)は、第12章「学校図書館の担当者」で、学校図書館の職員制度の複雑な背景と、充て職として「学校図書館の専門的職務」を掌ることが期待されている「司書教諭」が置かれている状況を知って、その意欲が萎えるかもしれない。職員制度を根本から再検討することが喫緊の課題である(p.156)ことは理解できても、これから司書教諭資格の取得を目指す学生にとっては、実際に学校に就職し、与えられた条件の下で、具体的にどのようにすれば司書教諭としての職務を全うしていく道が開かれるのかが喫緊の課題であろう。
理想と現実の溝を埋めるカギになるのがマネジメントの力である。組織の目的を達成するために、現実を見据え、目的をもって、現状を改善していく力といってもいい。その意味で、第13章で「学校図書館のマネジメント」という視点を提起しておられることは意義がある。
マネジメントは基本的にマーケティングとイノベーションの二つ要素で成り立っている。学校図書館にあてはめていえば、マーケティングとは、利用者(教師・児童生徒)を知ることである。それは、単に利用者のニーズにこたえて利用を増やすために行うのではない。利用者を知って、学校図書館の「サービス」と「教育」を利用者に適合させることで、学校図書館の理念と使命を実現するために行うのである。利用者を理解し、学校図書館の目的と使命を明確にして、利用者に働きかけ、そのフィードバックを受けて自らの行為の結果を省察し、新たな意思決定と実践を行う。このマネジメント・サイクルは、学校図書館の自己変革(イノベーション)のサイクルである。同時に、それは学校図書館担当者にとっての学びのサイクルでもある。組織を有機的に機能させることは、人を有機的に機能させることであり、それには日常的なコミュニケーション(対話)を基盤とした同僚性の構築とフィードバックによる学習回路が開かれていること(⇒安富歩著『ドラッカーと論語』)が必要であろう。
第3章に「児童・生徒が民主的に参加できる機会をより増やすように学校環境を再構成する必要がある」(p.40)とあるが、そのためにこそ、全体主義的な組織の在り方を批判してマネジメントの理論を構築したドラッカーに学ぶことは多い。
場所としての学校図書館
学校という組織の中で学校図書館を機能させるには、学校図書館の担当者ばかりでなく利用者も含めた人と施設・設備、様々なメディアやツールなどが相互作用的に機能し、発展していく学習環境を構築する必要がある。そのためには、第14章の「学校図書館の設計」は、図書館を新築する場合だけでなく、改装やレイアウトの変更にまで広げて適用し、第12章、第13章とも関連させて統合的に学習環境のデザインを考える必要があるだろう。
ちなみに、お茶の水女子大学の半田智久氏が提唱する「知能環境論」は、このような観点に立って学習環境を考えるヒントになるのではないか、というのが私の考えである。(注)
理論的探究をおこなう実践者を育て、長期的な展望をもって学校教育と学校図書館の変革をめざす
そして、いよいよ最終章、第15章の「学校図書館研究と学校図書館の発展」というタイトルにも、学校図書館の発展は理論的な探究をともなう実践をとおしてこそ可能になるという、本書の一貫したメッセージが込められている。社会変化にともなう新しい知のありように対応する学校教育の担い手としての学校図書館が長期的な展望をもって語られている点で、本書は、これからの司書教諭養成のためのテキストの在り方に一石を投じるものだといえる。
(注)
・知のアフォーダンスに満ちた場所(大学ラーニング・コモンズから考える「場所としての学校図書館」報告3)
・「ディープ」な課題に向き合う図書館とは(”「調べるのが好き」が七割の社会”に想う)
・専門職に求められるコミュニケーション能力をめぐって