意外と災害とかそういうのあったときに人は逃げないぞ!という番組を見ました。
人間には心の平穏を保つための機能があってそれが危機意識を妨害するらしいです。
たしかにあわてたって意味ないときはあるけれど ほらたとえばマンガ「ドラゴンヘッド」見たいに地下で列車で閉じ込められて「やべーやべー出なきゃこっから出なきゃ」ったって出られるわけじゃあないですものね。
ただそれだけじゃない気がする。絶対「みんな平気そうにしてるからよくわからないけど平気なんだろ」て意識が働いていると思う(もしかしたら一緒かも・・・)
とくに会社にはいると顕著になると思うのですが。もう自分の行動一つ一つが自分の責任でなく会社の責任になることに慣れているので まず自分が「死ぬ」ってイメージしにくくなっているんだと思います。
ていうか「死ぬ」って死んだこと無いから全くイメージできないんですよね。自分が死ぬぎりぎり手前はまあイメージできるんですが。
イメージだけでそんな目にはあってないけど。けれど ほんの少しだけでもそのイメージその恐怖心さえあれば
わけもわからず呆然と立ち尽くしているうちに(避けられたのに)死んでしまうなんてことはなくなるんじゃないかと思いました。
でもまぁ どうしようもないときはどうしようもないけどね 隕石とか飛行機直撃とか いやバイクでも死ぬか。それはイメージするともはやどこにもいられないからね。安息の地なんてなくなっちゃうからね。
人間には心の平穏を保つための機能があってそれが危機意識を妨害するらしいです。
たしかにあわてたって意味ないときはあるけれど ほらたとえばマンガ「ドラゴンヘッド」見たいに地下で列車で閉じ込められて「やべーやべー出なきゃこっから出なきゃ」ったって出られるわけじゃあないですものね。
ただそれだけじゃない気がする。絶対「みんな平気そうにしてるからよくわからないけど平気なんだろ」て意識が働いていると思う(もしかしたら一緒かも・・・)
とくに会社にはいると顕著になると思うのですが。もう自分の行動一つ一つが自分の責任でなく会社の責任になることに慣れているので まず自分が「死ぬ」ってイメージしにくくなっているんだと思います。
ていうか「死ぬ」って死んだこと無いから全くイメージできないんですよね。自分が死ぬぎりぎり手前はまあイメージできるんですが。
イメージだけでそんな目にはあってないけど。けれど ほんの少しだけでもそのイメージその恐怖心さえあれば
わけもわからず呆然と立ち尽くしているうちに(避けられたのに)死んでしまうなんてことはなくなるんじゃないかと思いました。
でもまぁ どうしようもないときはどうしようもないけどね 隕石とか飛行機直撃とか いやバイクでも死ぬか。それはイメージするともはやどこにもいられないからね。安息の地なんてなくなっちゃうからね。