名前は知っていても行くのは今回が初めてですが、暑くて辛抱が出来ないので無理をしないで写すのを止めました。
ヒマワリも下向きになりつつあり、花弁も痛み欠けておりました。
暑い日が続いておりますが観に行って来ました。
コピーを載せております。
参考になれば嬉しいです。
野良時計の起源
現地に設置されている説明板によれば、土居村(当時)の大地主の息子として生まれた畠中源馬氏は、明治20年(1887年)、アメリカ産の八角中の掛け時計を見て時計の仕組みに興味を持ちます。そして、源馬氏は、自ら時計を分解して研究し、時計の仕組みを独学で学び、そして自作の大時計を作る事を決意。彼は幾度つなく改良を試み、分銅から歯車までのすべての部品を、たった一人で作り上げたと言われます。
つまりこの野良時計は、源馬氏の努力の賜物という事になります。
みんなの時計
当時は、時計がどこにでもある時代ではありませんでした。
源馬氏が作り上げた時計は、近くで農作業に勤しむ人々に正確な時間を告げ、そして人々を静かに見守ってきたことでしょう。このような事もあって、今でもこの櫓時計は「野良時計」という愛称で、地域の人々にとってはもちろんのこと、全国的にも観光資源として親しまれています。また、平成8年(1996年)には、国の登録有形文化財にも指定されました。
実は、時計の針は、向かって正面・右側・後ろと三面に付いているのですが、常に見る人を考えて、見やすい方向の針を動かしていたそうです。作った当初は、三面同時に稼動していたとも聞いています。(その後は一面のみ)