今日、5月5日は「こどもの日」ですねェ
毎年、愛知県は新城市は長篠城址にて「長篠合戦のぼりまつり」が開催されます
予定されていた「第55回長篠合戦のぼりまつり」につきましては
新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点より、誠に残念ではございますが
中止となりましたとのアナウンス・・・
天正3年(1575)武田信玄の子勝頼が率いる1万数千の武田軍と総勢5万人を
超える織田・徳川連合軍が、『長篠の戦い』を繰り広げる要となった長篠城址に
おいて開催されるまつりです
武田軍が攻め寄せた時、長篠城主奥平貞昌は手勢わずかの兵で攻撃に耐え
重囲をかいくぐって使者に発った鳥居強右衛門勝商などの活躍により
織田信長・徳川家康連合軍の大勝のきっかけをつくりました
またまた撮りためてあった2013年以降から長篠合戦のぼりまつりからいくつか写真を
チョイスして戦国ロマン旅をしていきましょう ヽ(^o^)丿
火縄銃点火時の火柱・・・演者も目を閉じちゃってます
1575年の日本の歴史を動かす大きな戦いが行われた地に現在いることに武者震いしそうです
この戦いは連合軍が3,000丁の火縄銃を集団で戦術的に用いた戦いとして知られ、
武田軍の騎馬隊を大いに苦しめたといわれています
この戦いを終え、信長は天下統一にまた一歩近づき、勝頼は滅亡へと進んでいくこととなりました
戦国壮大なスペクタクル・・・長篠の戦いで倒れた両軍将士の霊を慰めるために
関係将士の紋入りのぼり数千本を献植して行うまつりは今年は中止されましたが
来年こそは元気に開催できればと思います
令和2年5月10日(日曜日)に開催を予定しておりました「第42回作手古城まつり」は、
新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止となりました
「設楽原決戦場まつり」は、平成2年より令和元年まで30回を数え毎年7月の第一日曜日に
開催してきました・・・これは、武田勝頼と織田・徳川連合軍が設楽原で合戦となった日が
旧暦の天正3年5月21日で新暦では、7月9日となる事によります
近年は、気温が高く『まつり』の実施環境が懸念され、スケジュールを総合的に見直し、
今年の開催を6月6日に決定した次第でしたが
新型コロナウィルス感染拡大防止のため中止となりました
新城合戦まつり3部作は全て中止となりました・・・来年こそはと願います
新城合戦まつり3部作が全部中止とは残念ですね~
トヨタは経済(命)を守るため最善の注意をしながら生産は続けると、言ってますが。
多くの組織が命を守るため経済活動は
行うと堂々言ってくれると良いんですが
自粛ムードが高いですからね~
主催者としたら休止はやむを得ないですね~
たとえ今回のがある程度収まっても
これからは毎年このようなリスクは続くんでしょうね~
甲冑や火縄銃、ノボリと時代祭はその時代を実感させてくれますネ。それだけに関係者の方は大変そうですが、観衆はとても楽しめますネ。
その三部のお祭りが中止とは・・・仕方無いですが残念です。来年無事に開催される事を祈るばかりです。
でも美濃の辺りはいろい、有名な合戦があった所と言うのが、この記事から思い起こされます。(^^)
新城といえば、ラリー!
いやいや、長篠の合戦ですよね〜。
火縄銃のど迫力映像も、改めて見るとすごいです。
来年こそは!
と祈ります。
いつもありがとうです。
歴史ロマンあふれる新城合戦絵巻の中止は残念ですが、
仕方ないことですね。
全てのイベントは中止だそうですが、少人数での法要だけは
執り行うそうです。
死者の供養だけは必要なことだと思います。
コロナ終息へ向けて、自粛して行くしかないですね。
経済再生も大事では有りますが…。
いつもありがとうです。
大河ドラマ「麒麟がくる」が放映されてますが、時をおなじの
三河での合戦です。歴史上、有名な戦いの地ならではの行事ですが中止はとても残念です。
戦国ロマンあふれる歴史絵巻を来年は楽しみにしてます。😁
いつもありがとうです。
そうです❗新城と言えば、ラリーですよ。😁
全日本ラリーの第三戦(事実上の初戦)を無観客で開催されました。
その新城で大昔に歴史上有名な合戦がありました。
本当に今年は残念ですが、こればかりは仕方ないことです。
来年に期待してます。😁
火縄銃に興味を持ち、ネットで調べていたところこちらのブログに辿り着きました。大変失礼ながら、お手隙であれば教えていただきたいことがありコメントいたします。
きっかけは今年の直木賞を受賞いたしました今村翔吾さんの塞王の楯という作品を読んだことです。この作品には近江の国友衆が作った至高の矛たる鉄砲が登場いたします。今村さんはこの鉄砲を詳細に書かれていてとてもリアルに、まさにそこにあるかの如く感じるのですが、一点、どうしても納得のいかない部分がありました。今村さんは火縄銃の丸い弾丸は、発射された直後は水平に進むが、あるところで天に吸い上げられるように軌道が上にそれ、その後下に沈むと表現されています。果たして丸い弾丸がそのような軌道となることがあるのだろうか?と疑問に思った次第です。
私はエアガンも所持しておりました。エアガンは小さな威力で丸いBB弾を遠くに飛ばすために、ポップアップという機構を使用します。このエアガンのポップアップの軌道がまさに小説で描かれていた通りなのですが、作者はこのエアガンの軌道を見て、火縄銃も同様の軌道を辿ると勘違いしたのか?それとも本来、火縄銃はそんな軌道を本当に辿るのであろうか?気になって夜も眠れません…
もし、お時間がありましたら、その一点だけでも教えていただけないものでしょか?
突然のお願いで恐縮ですが、よろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
火縄銃に興味があるとのこと…mashさんも詳しいことは分からないのですが、
新城市の設楽歴史資料館でのお話しではありますが
これまで、長篠城や設楽原から発見された玉はわずか38個です。
設楽原では3000丁の火縄銃が使われたといわれています。たとえば1丁の火縄銃が10発の玉を撃っていれば、30000個の玉が設楽原に落ちていてもいいはずです。なぜ、たった38個なのでしょうか?
最大の理由は決戦のあった場所が設楽原という田畑に囲まれた地であったからです。火縄銃から放たれた玉が地中深く沈み込んでいると考えられます
・・・とかの資料はありましたが、火縄銃の鉄玉(鉛)の軌道までは分かりませんです。
が、長篠合戦のぼりまつりに参加している
長篠・設楽原鉄砲隊
(https://www.facebook.com/nst1991/)Facebookか
山形県は米沢にあります米沢藩上杉砲術を伝承する二つの火縄銃演武団体がある。一つは,宮坂考古館に事務局がある米沢藩古式砲術保存会,もう一つは,上杉神社社務所に事務局を置く上杉砲術隊を
調べて頂ければ、何か分かるかと思います。
お力にならず申し訳ないです。(^_^;)
ご丁寧なお返事、大変ありがとうございます。
火縄銃を実射されているという、とても貴重なご経験がおありなようでしたので、ご存知かと勝手に思ってしまいました。失礼いたしました。
ご紹介いただいたところなど、これから調べてみたいと思います。
ありがとうございました。