『あ、そうだ』
『ん?』
『夏祭り、一緒に行こうよ』
『いいけど、……遅れんなよ?』
『何よ、それー』
『お前、遅刻常習犯じゃん』
『うっ……言い返せない……!』
『まあ、いいや。じゃあ、神社前に夕方六時集合な?』
『あ、うん』
『昼寝とかすんなよー、起きねえからお前』
『まだ馬鹿にするのね……』
『あはは。じゃなー』
――――なんて言ってたあんたが遅れてるなんて話にならないじゃない!
『夕方六時集合な』
そんなことを言ったのは誰だと襟首引っつかんで問い詰めてやりたい。でも、腹が立つなあと思うものの、好きな人なんてものを待つ時間は少しは楽しいもので。
「えへへ……」
少しだけ笑みがこぼれる。
「ああっ、いけないいけない! こんなところ見られたら怒れなくなっちゃう! にやにやしてる場合じゃないぞ、八朔葵!」
すぐさま、ぺちんぺちんと両頬を叩く。少し叩きすぎて痛いくらいだった。むしろ今彼に来られたら頬が赤い理由を聞かれて最終的に全て吐きそうだ。
「それにしても……」
――遅い。
賑やいでゆく通りを見つめ、思う。
あんなに時間に煩い彼が予定の時間より三十分も遅くなることなんてなかったはずだ。……少し心配になってきた。まさかとは思うが、何か事故にあったりしたとか……必ずしもありえない話じゃない。
連絡の来ない携帯のディスプレイを見ると余計に不安になってしまう。遅れるなら連絡を必ずするようなしっかり者。それが連絡をして来ないなんて。
「ああ、もうっ」
考えたって仕方がない。連絡が来ないならこちらからいれればいい話だ。そう思い、電話帳から『深丘史樹』に掛けてみた。
プルルル プルルル……
『只今、電話に出ることが出来ません。用件のある方は発信音の後に伝言を……葵ちゃん!?』
留守電が流れているところを小母さんの声が遮った。
「え、小母さん……!?」
嫌な予感。
『ごめんなさい、今日待ち合わせしてたのよね……』
小母さんの声にはなんとなくだけれど動揺が感じられた。でも、それより私の方が動揺している。怖くて仕方がない。小母さん、私が聞きたいのはそんなことじゃない、そんなことじゃないんです。
「史樹は……史樹はどうしたんですか」
『……あ、し、史樹はその……』
「小母さん!」
『ち、違うのよ。別に大変なことになんて……』
「どこですか」
『え?』
「どこにいるんですかっ!」
史樹はどこにいるっていうの。
私が聞きたいのは史樹の居場所。
「教えてください、今行きます」
『葵ちゃ……』
「私は史樹に会いたいんです。史樹はどこにいるんですか……!」
泣きそうだった、いや、事実私は泣いていた。頭の中は最悪の事態ばかりが駆け巡っていた。
史樹、史樹、史樹…………っ!
どうして、どうしてこんなに怖いんだろう。怖いよ、怖いよ、史樹。どうしてこんな時にいてくれないの。
私は下駄を鳴らして史樹のもとへと駆けた。
涙で前が見にくかった。
「……史樹!」
私が史樹のもとへ駆けつけた時には折角の綺麗な浴衣も、セットした髪も台無しの状態だった。形振り構う暇なんてなかった。あるわけがない。
「葵ちゃん……」
小母さんが泣いて腫れた瞳を向ける。その近くに何やら怖いものが倒れていた。それに目を向けることが、何故か怖かった。
「史樹はどこですか……?」
私は聞く。
「史樹、史樹……葵ちゃんが来てくれたわ……起きて」
小母さんは、その怖いものに『史樹』と呼びかけた。彼女の息子、そして私の幼馴染の名前。
「……あ、お……い?」
私の名前を呼ぶのは、史樹の声。
怖いものから発せられる声。
「……史樹?」
「あお、い……」
「し、き……」
怖いもの。
史樹。
血みどろなのは、史樹。
「いや、史樹……!」
「ごめんなあ……約束、して……たのに」
史樹の手が私の方へと伸びる。私はその手を掴んで、自分の頬に押し付けた。まだ、温かかった。その温かさが徐々になくなるのだと思うと悲しくて、悲しくて。
「いいよ、いいからっ……!」
気が狂いそうで。
「泣くなって……この埋め合わせはさ、すぐ、する……から……だから、泣くなよ……」
「喋んなくていいよお……! 史樹が自分で約束破るなんてないって知ってるから……っ! だから、死なないで、死なないでね……!」
「……ありがと。……葵、折角浴衣、着てくれたのに……こんなにさせちゃって……ごめんなあ」
綺麗だよ、そういって私の頬を撫でると、史樹はにっこり笑って手を離した。ぱたり、と手が命を失った。
その瞬間、史樹が、いなくなったのだと感じた。
プルルルルルル……
――――携帯が鳴っている。
――――出なくちゃ。
漠然とそう思った。
『おっせえ――!』
「――――!?」
思わず携帯を取り落とした。
――――この声。
『お前、今起きたんだろ? まったく、こんな日まで遅刻しようたあ、いい度胸してるよな、胸はないけど』
「セクハラ発言はいらない!」
――――史樹なはずない。史樹は私の目の前で、いなくなったんだから。
『さっさと準備して神社前集合すること! 後、一時間後に集合だってのに、何してんだよ。遅刻魔って呼ぶぞ』
「え、今日って何の日?」
――――これは夢だ。
『……祭りだよ、夏祭り。じゃ、早く来いよ』
ぷつり、と通話が切れる。
私は少し放心状態気味だった。だって、あるはずがないことが今起こったんだから。
「史樹……?」
開かれたままの携帯のディスプレイにはかつての幼馴染の名前が表示されていた。一年前から変わることのない彼の番号が。
やっと意識が戻ると私は家事の最中の母に手を合わせた。
「お母さん! 浴衣着付けて!」
「? 急にどうしたの? 今日は誰とも約束してないって――」
「いいから、お願い!」
懇願するように頼んだ。
「……わかったけど、着たくないって言ってたじゃない。あの浴衣」
「それは……」
史樹が消えた時に着ていた浴衣だから。悲しいのを思い出してしまうから、見るのも着るのも嫌だった。出来れば捨ててしまいたいとさえ思ったこともある。でも。
『……綺麗だよ』
史樹が、そう言ってくれたから。だから、捨てられなかった。捨てたら史樹が本当にいなくなってしまうみたいで、怖かった。
「……わかった。じゃあ、出してくるから待ってなさい」
母は何か察してくれたのか、優しく笑んで私の頭をでてくれた。なんだか私は泣きそうになった。
着付けをしながら、母は私に聞いた。
「そういえば、誰と行くの?」
「え?」
「こんな日に浴衣なんて夏祭りに行くんでしょう、違うの?」
「あ、……うん」
「男の子とか?」
「うん、幼馴染の男の子だよ」
「……葵? 今は一年前じゃないのよ?」
母が怪訝そうに顔をしかめた。
「わかってる、わかってるよ。そんなこと、私が一番よく知ってるよ。でも、今は夢だから。史樹はいるの」
そう、史樹はいる。きっとこれは、優しい夢なんだろうから。
「……夢?」
母の怪訝そうな顔は変わらない。
それでもいい。夢を楽しめさえすれば。
「うん、夢。夢だから私の好きなように進んでくれるの」
「そう……」
母は面を翳らせながら、一言結んだ。
「ごめん、お待たせ……!」
「遅い」
――史樹。私の大好きな人。
「ごめんてば。仕方ないじゃない、浴衣って着るのに時間かかるんだから」
「お前が昼寝して遅れたのが悪いんだろーが」
デコピンされた。ちょっと痛いけど、その痛みが嬉しい。本当に、本物の史樹だって感じられる。
「何笑ってんだよ」
「……だって、嬉しいんだもん」
「お前、マゾに目覚めたのか?」
「そんな馬鹿なことあるか!」
「あはは、悪い悪い。久しぶりだもんな、俺も葵に会えて嬉しい。……本当に久しぶりだから」
「……うん」
……久しぶり。史樹も私に会うのが久しぶり。どうしてだろう。なんでだろう、なんだか胸が痛いのは。
私たちはそのまま祭りの喧騒の中へと歩いた。
賑やかな中、私たちはいつもの調子に戻れずにいて、静かに並んで歩いていた。すごく変な感じだったけれど、それでも史樹と歩ける今が幸せに思えた。あの、夏の日を埋め合わせるかのようなこの夢がいつまでも終わらなければいいのに。
「……なあ、葵」
「えっ……何?」
史樹が真剣な目で私を見た。
「楽しもう。今日は、今日だけは楽しもう。いつもみたいにさ。なっ」
「……っ」
なんでそんなに泣きそうに言うの。やめてよ、私まで泣きそうになっちゃうじゃない。でも、泣きたくない。出来ることなら、史樹の前では笑っていたい。
「そう……そうだねっ! ほらほら、早く出店回ろう。お祭りといったらりんご飴とか、焼きそばとか、食べなきゃいけないもの沢山あるよ?」
「あははっ。食い物ばっかじゃん!」
「大丈夫、最後は花火でしめだから」
「そうだな。最後にはやっぱり花火見ないとな!」
「うん。じゃあ、行こう」
自然と笑みがこぼれる。史樹が笑ってる。それだけで、こんなに嬉しい。
「んーっ。美味しーい!」
「うん、これは美味い。どうしたんだ、今年の焼きそば屋のおっちゃんは……出店の域、超えたんじゃねえ?」
「ただの焼きそばに感動出来るって早々ないよね」
「うんうん。これは滅多に出会えない味だ」
「ぷっ……あはは。なーにその美食家みたいな口調!」
「……るっせーな」
「……照れてる?」
「……うるさいですよ、葵さん」
「わ……」
普段敬語なんてものを使われないから、使われると反応に困る。頬が熱くなるのを感じながら、私はそっぽを向いた。
「ん? どうかしたか葵?」
「なんでもないっ」
そんな私を見てふっと笑って、がしがしと史樹が私の髪をかき回す。私はされるがままに俯いていた。
だから気付かなかった。
史樹が悲しそうに私を見ていたことを。
その後も出店を回りながら、時折自分が今夢の中を浮遊しているのだと思い出す。夢だから、夢だから覚めたらもう終わり。きっと終わったら、史樹には二度と会えないんだ。
去年見れなかった花火を見たい。
反面見たくない。
夢が終わるくらいなら、花火なんて一生見なくたっていいのに。史樹さえいればそれだけでいいのに。
そんなことを考えても時は流れてしまうとわかっていた。
花火が始まる時間になった。
『只今より花火の打ち上げを開始いたします。ご堪能くださいませ』
アナウンスが流れ、道行く人たちが足を止め始めた。私たちもそれに倣って足を止めた。人通りが少ない道だ。
「……花火、始まるね」
「そうだな」
そっと指を史樹の手に触れさせる。その手を史樹が優しく握った。
「ねえ、史樹」
「……何?」
「花火見たら終わりなのかな……」
「……何が」
史樹の声が硬かった。
無性に泣きくなった。
「きっと今史樹といるのは、いられるのは夢なの。花火が終われば夏祭りも終わりだもの。そうしたら史樹きっと消えちゃう……」
「葵」
「史樹はもう去年……っ」
「……葵」
「事故、で、いなくなっちゃったんだ……」
「葵!」
ぎゅっと抱きすくめられた。
「現実なんて本当なんて今は忘れてくれ。今だけは、あの時俺を待ってくれてた八朔葵でいてくれ……頼むよ。笑っててくれよ、葵。泣かせた分笑っててくれよ……」
二人とも気付かずに泣いていて、どれがどっちの涙なのかわからなくなっていた。どちらも目一杯に涙を溜めてこぼしていた。
「……史樹、史樹ごめんね。本当はね、笑ってたかった、これが最後なら笑っていようって。笑っていたいって。史樹の中に残る私が笑顔でだったらいい、って……」
「うん……」
「でもね、無理だったんだ……楽しかったのに、最後って思うと顔が歪んで仕方なかった……」
「いいよ、それだけで十分だ。だから、泣け。泣き顔だってもう見れないんだ……もう触れられないんだ」
頬を史樹がそっと包みこむ。私の涙が彼の手を伝う。
「俺こそごめんな、葵。きっと俺帰ってくるべきじゃなかった。一度だけでいいからなんて思うんじゃなかった。俺の身勝手でお前を苦しめてる。……ごめん。でも、これだけ言いたかった。あの日言おうとしていたことだけ、どうしても……言いたかった」
史樹が私の髪をなでる。それだけで涙が余計に溢れてきた。史樹史樹と叫びたくなる。
「好きだよ」
そう言って、彼は微笑んだ。おでこにそっと唇を触れさせて。
「史樹……!」
私が叫ぶと同時に史樹が霧のように姿を消した。
ちょうど、最後の花火があがるところだった。
史樹へ
お元気ですか。
私は相変わらず元気です。でも、やっぱり史樹のいない日常は前より寂しいです。
あの日のことは一生忘れないと思います。
史樹は私を苦しめてるって言ってたけれど、私は全然そんなこと思ってないです。きっとあの日がなければ、私はまだ史樹のことを引きずって、史樹や私の家族にも心配をかけたままだったと思います。
あの日、あなたが私に告げてくれて言葉、私にくれた楽しさ。私にとっては何にも代えがたい宝物です。
だから、どうか史樹も笑っていてください。
私に笑ってといってくれたあなたが曇り顔なんてそんなのないでしょう?
きっと私もまた違う恋をするんだろうと思います。でもね、どんなに他の人に恋いしたって史樹が消えることはないんです。史樹は私の初恋の人だから。
ずっと忘れられないんです。
あなたは私が言う前に姿を消してしまったけど、私だってあなたが大好きだった。大好きで大好きで仕方なかったんです。
史樹と同じで、私も思いを伝えられなかったから、長い間引きずっていたんだと思います。だから、この手紙を書きました。
読んでくれてるかな?
筆不精な私が手紙なんて珍しいんだから、絶対読んでください。読まなかったら、天国で逢った時にとび蹴り食らわすからね!
あなたが大好きだった八朔葵より
史樹の墓前で手紙を燃やして、祈った。
いつでもいい、どんな形でもいい。
また彼とめぐり逢えますように。
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