北海道新聞ほかにて五木寛之作「親鸞 完結編」が連載されている。これはあくもでも小説の中なので誤解をしないでいただきたいが、ちょうど平氏・源氏の時代、今から800年も900年もさかのぼる時代にでさえ権力闘争や立身出世にあくなき執念を燃やす権力者たちやあの時代に妻帯し子をなし、かつその「善鸞」が出来が悪く、息子の嫁「涼(すず)」は二人の間の息子(親鸞の孫)「如信(もとのぶ)」を世継ぎとするために画策する描写は昔も今も人間って奴は善人は善人、性根の悪い奴は変わらず悪いもんだとつくづく思わされる。
「抜苦与楽(ばっくよらく)」の道としての宗教でさえ、権力や金の亡者が歴史が始まったころからいるのだから、人間は罪深い。某ホテルのレストラン食材偽装や汚染水の垂れ流しなどを見るにつけ「信頼の国 日本」の信頼を裏切る行為を自分の子供たちの前で堂々と胸を張ってできるのだろうか?
「抜苦与楽(ばっくよらく)」の道としての宗教でさえ、権力や金の亡者が歴史が始まったころからいるのだから、人間は罪深い。某ホテルのレストラン食材偽装や汚染水の垂れ流しなどを見るにつけ「信頼の国 日本」の信頼を裏切る行為を自分の子供たちの前で堂々と胸を張ってできるのだろうか?