忘れてはいけない阪神淡路大震災。
今日で丸16年も経ったんですね…。
6434人が亡くなり、辛い想い出ばかりが残っています。
当時も私は、今と同じ香芝に住んでいて、橿原の宅急便に勤めており電車で通っていました。
朝6時半過ぎの電車に乗る為に、5時半に起きて顔を洗っている最中に大きな揺れが…。
5時46分… “ドン!” と突き上げたかと思うと、突然横に揺れ出しました。
冗談ぽく聞こえるかもしれませんが、咥えてるハブラシを揺らさなくても磨けるくらい揺れました。
歯ブラシを咥えたまま、タンスがこけない様に支え何事もなくおさまりましたが、
ベランダ側のサッシのワイヤー入りガラスにヒビが入りました。
それでも出勤はしないといけないので駅に向かいましたが、
レール点検で、電車が30分ほど止まっていました。
会社に着くなり急いで積み込みを終え、普通に配達に出ましたが、
配達先では皆が声を合わせ、『大変な事になってるよ!』と知らせてくれました。
お昼に会社へ戻ってみると、テレビで震災のニュースがやっており、
そこで初めて事の重大さを知らされました。
テレビから流れて来る映像は、まるで戦争の後の様…。
上空ヘリから撮影し、あちらこちらで起きている火災の光景が次々と流れていました。
次の日、私はたまたま休日で、『何かしないと!』と思いました。
車に自転車と、手持ちのお金で買ったパンやコーヒー、トイレットペーパーを積み、
朝の5時、神戸方面に向かいましたが、被害地に近づくにつれ全く車は動かなくなり、
コンビニにお願いして車を停めさせて貰い、自転車に荷物を積んで移動しました。
それはそれは、辺りは酷いものでした…。
道路は歪んでしまっていて、目の錯覚で気分が悪くなりました。
自転車でも街中に入れる状況ではありませんでした。
家屋が倒壊して道をふさいでいたり、あちらこちらで火災が起きていました。
この時ばかりは勝手に涙が溢れだし、どうしようもありませんでした。
すぐ近くに避難所が見つかりました。 10数名いらっしゃったと思います。
寒い中、毛布に包まりながら焚き火を囲んでいました。
『こんな物しかありませんが、受け取って下さい…。』と泣きながら荷物を渡した事を覚えています。
帰り、国道を帰る事にしました。
目の前に現れた景色は、高速道路の倒壊でした。
もう、本当に悲惨なものでした。
トラックが横転していたり、落下した鉄の塊に押し潰されていたり…。
自分の見ているこの状況が信じられませんでした。
溢れだす涙はとまる事なく、泣きながら運転をして帰りました。
この夜、睡眠をとる事が出来ない位、衝撃的な悲しい一日でした。
この震災の被害(記憶)は、絶対に忘れてはいけないと思います。
あれから16年、神戸や淡路は再建され、本当に良い街になりました。
神戸の中央区には、 『阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター』 が建ち、
震災直後の街をジオラマ模型で再現してあったり、
神戸が復興するまでの過程をドラマ化して上映しています。
また、淡路島には 『北淡震災記念館』 ができ、今でも「あの時の震災」を語り続けています。
最後に、1月17日…。
阪神淡路大震災の被害に遭われた方のご冥福をお祈りいたします。