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戦いのあとさき

2021-02-01 12:15:25 | 日記
 歴史の中で、民族・集団・人の戦いは繰り返されてきた。しかし、戦いの後、残された人々については、語られることが少なく、その作家が推されることも少ない。          日本は、中国、韓国、露国と、民族としての牽制する関係が終わることなく続くと考えられる。互いに隣国の民族として、ギリギリの差別と闘いが繰り返されてきたのではないか。日朝戦争、日清戦争、日露戦争、第一次・第二次戦争と名目は別として、国民を巻き込んで沢山の人が死亡し、負傷してきた。教育の中で、戦争の歴史は大きな存在であるが、どういう見方で教えるかによって、国民性が強く現われてくる。また、戦いの終った後の国民感情も、欧米と隣国の三国とは大きく違っており、国民間の憎しみが潜在的に継続しているものとおもわれる。東南アジアでの米・豪の捕虜・抑留と、中国・満州・北方領土での捕虜・抑留された人とでは、軍人による扱いが大きく異なっている。 
 ジュネーブ協定の参加遵守国と日本のように脱退した国の扱いは大きく違っていた。東南アジアで米豪の抑留となった日本兵は、生きて帰ろうとすば、大岡昇平著「俘虜記」のように、事故や傷病が進行しなければ、戦時駆逐艦の「雪風」等によって帰還した。「水木しげる」さんもその一人であった。しかし、オーストラリアのカウラ収容所であった、軍人精神による集団脱走事件は、死を望むものであった。もちろん、その中には生きて帰還した人も少なくなかった。一方シベリアでは過酷をきわめ、「日本兵はシルクロードにオペラハウスを建てた」蔦信彦著も、待遇はきびしいものであったようだ。日本の無条件降伏の玉音放送にいたる数日間は、「日本のいちばん長い日」半藤一利著によれば、陸軍軍人が強硬に反対して、近衛兵が惨殺れており、玉音放送盤の強奪争いもあったようです。
戦は戦を呼び、熾烈な人間模様をつくりだしていた。今後の日本に、このような戦を呼ぶような政策は、断じて破棄し、国民の注視が必要でしょう。
なお、山本五十六の日米戦悲観論も陸軍軍部の慢心から押し切られてしまったのは、権威を権力が押しつぶしたからなのか。
 権威をもつものは、権力の行使に慎重であるべきであろう。悲しい時代を到来させてしまうのではないか。


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