![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/e9/c54ad77e8ef4ae7f289455c44ffd69be.jpg)
2006年6月25日(日)19:32
母親から一通のメールが届いた。
それは余りにも唐突で、余りにも無慈悲で、余りにも辛すぎる知らせだった。
「チャッピー天国へ」
チャッピーは実家の近くの動物病院で、10年というその早すぎる犬生を終えた。
私は、チャッピーの訃報を聞いたとき、その事実を頭の中で整理することができず、また、自分の中に沸き起こる感情をどう扱っていいか分からなかった。私は何故か部屋に無造作に敷かれた布団の中にもぐりこみ、しばらく放心状態になっていた。
それからどれくらいの時が経ったかは分からないが、ふと、チャッピーを溺愛していた母親が心配になり、家に電話をした。
電話には父が出た。
悲しいはずの父は、気丈にもその悲しさを抑え込み、チャッピーが天に召されるまでの経緯を冷静に語ってくれた。
父の声を聞いた瞬間、溢れる悲しみを抑えきることが出来なくなり、目からはダムが決壊したかの如く一気に汗が出た。
父から一通り話を聞いた後、母に電話を代わってもらった。
母は声にならない声で泣いていた。
「チャッピーには可哀想な事をした」と何度も口にしながら。
「そんな事は無い。チャッピーは母の目一杯の愛情を受けて、本当に幸せな毎日を過ごせたと思う。」
そう心の中で呟きながら、私の目汗は一層加速された。
電話の裏で、チャッピーの遺体に花や人形を添えて、チャッピーの最期を彩る祖母の小さな背中が目に浮かんだ。
チャッピーとの出会いは10年前まで遡る。
祖母が車椅子生活を余儀なくされ、それまで住んでいたアパートに別れを告げて、新築の家に移り住んだ1996年。
当時ソフト部で共にセンターラインを死守していたアッキーが、涎を垂らす程に犬を飼いたがっている私を不憫に思ったのか、子犬の引き取り手を捜している知り合いを紹介してくれた。もちろん私はそれを二つ返事で承諾した。
初めて私の前に姿を現したチャッピーは、小さくて弱々しくて、どうしようもないくらい愛くるしかった。「可愛い」という単語はチャッピーのために作られた、そう思える程の存在だった。
我が家に来たばかりのチャッピーは、夜になると、寒かったのか、母親が恋しかったのか、いつも小刻みにブルブルと震えていた。当時中学生の私は、チャッピーが死んじゃうんじゃないかと心配になり、翌日学校があるにも関わらず、チャッピーの震えが止まるまでずっと傍についていた。チャッピーも私が傍にいるのを感じたのか、しばらくすると安らかに眠りに落ちた。「この新しい家族を大事に育て上げる」私は心に誓った。
そんな夜からもう10年も経ったのかと思うと、とても信じられない。
つい最近まであんなに元気にしていたのに、今はもうこの世にいないなんて考えたくも無い。
でも、今はもう、
私がバットを持って外に出ると、ノソノソと犬小屋から出てきて、お座りしながら私の素振りを見守ってくれた優しいチャッピーも、
散歩の時に自分の行きたいところに行こうとして、私が引っ張るのを予想してあらかじめ踏ん張る意地っ張りなチャッピーも、
野球のボールを投げた振りをして背中の後ろに隠すと、騙されて必死で探し回る間抜けなチャッピーも、
10年かけて縁側に巨大な落とし穴を掘ったいたずらっ子のチャッピーも、
「お手」と手を差し出すと両手で飛びついてくる欲望丸出しのチャッピーも、
「お手」と手を差し出すと欲望のままにマシンガンお手を繰り出す食い意地の張ったチャッピーも、
お腹がすくと何も言って無いのに「伏せ」をする狡猾なチャッピーも、
クチが臭すぎて最後までキスできなかった不潔なチャッピーも、
家の中が大好きで、玄関を開けると普段見せないようなBダッシュで家の中に駆け込もうとするガキっぽいチャッピーも、
散歩中に他の犬とすれ違うと吼えまくる気の小さいチャッピーも、
「待て」の後に、「よし!」と見せかけて「良子ちゃん!」と言うと一瞬びくっと反応しながらも、騙されずに餌を食べるのを我慢するお茶目なチャッピーも、
見知らぬ人が家に近づいたら、気が狂わんばかりに吼えまくる番犬チャッピーも、
遠くで犬の鳴き声が聞こえたら、とりあえず遠吠えをしてみる本能に忠実なチャッピーも、
車の窓から顔を出すのが大好きで、頻繁に車の窓に挟まっていたおとぼけチャッピーも、
散歩に行くと必ず最後は私とのドッグレースになった負けず嫌いなチャッピーも、
久しぶりに帰郷すると、目が悪いからか遠くで私を発見した時は吼えまくり、近づくにつれて吼え方が弱まり、目の前に来ると完全に腹丸出しで服従ポーズを取る可愛いチャッピーも、
お風呂に入れようとすると全力で逃げ出し、部屋中を毛だらけにする迷惑なチャッピーも、
私と母親が一緒に「チャッピー!」って呼んだ時に、私ではなく母親を選ぶ憎たらしいチャッピーも、
二度と会うことは出来ない。どんなに願っても、どんなに想っても、どんなに苦しんでも、どんなに泣き叫んでも。
辛いけど、その現実は受け止めるしかない。チャッピーのためにも、前をむいて歩くしかない。今すぐは無理かもしれないけど、少しずつ、少しずつ。
今思うとチャッピーは、家族が最期に立ち会えるように日曜日の夜まで頑張って生きてくれたような気がする。もしかしたら亡くなるずっと前から病気で苦しんでいたのかもしれない。でも、チャッピーはそれを周りには一切見せず、元気な姿で我が家に癒しを提供していた。見た目は間抜けだし、行動も天然なところがあるけど、チャッピーは昔から本当に家族思いの賢い犬だった。
ちょうどチャッピーが入院する前、祖父、父、母は同時期に病院の御世話になっていた。チャッピーの容態が悪くなるのと入れ替わりで、祖父の手術が成功したり、父や母の体調が回復した。父はそれを思い返して「チャッピーは皆の病気を代わりに背負ってくれたんだ」と感慨深く言った。チャッピーは我が家の守り神でもあったのかもしれない。
チャッピーは我が家にとって本当に大事な存在であり、それはこれからもずっと変わらない。
チャッピーは我が家にとって本当に大事な大事な家族であり、これからもずっと心の中に存在し続けるだろう。
本当はもっと書きたいことが胸の中に渦巻いてるけど、上手く文章にすることが出来ないので、最後にチャッピーが亡くなった直後の私と母親のメールのやり取りを書いてこの文章の終わりとしたいと思う。
「息子です。今までチャッピーに愛情を注いでくれて本当にありがとう。お母さんのおかげでチャッピーも幸せな人生を送れたと思います。チャッピーも患者家に来て良かったと思っているはず。今夜がチャッピーにとって患者家で過ごせる最後の夜です。僕はその場に行くことはできませんが、お母さん、お父さん、おばあちゃんの三人で、チャッピーを天国に送り出してあげてください。よろしくお願いします。」
「ありがとう。初めて連れて帰った日のことを思い出します。散歩は大変だったこともあるけど、でも!チャッピーのおかげで幸せでした。次男と思って育ててきました。患者、ありがとう。また明日から元気出します。 母」
チャッピー、今まで我が家に幸せを運び続けてくれて本当にありがとう。
どうか安らかに。
母親から一通のメールが届いた。
それは余りにも唐突で、余りにも無慈悲で、余りにも辛すぎる知らせだった。
「チャッピー天国へ」
チャッピーは実家の近くの動物病院で、10年というその早すぎる犬生を終えた。
私は、チャッピーの訃報を聞いたとき、その事実を頭の中で整理することができず、また、自分の中に沸き起こる感情をどう扱っていいか分からなかった。私は何故か部屋に無造作に敷かれた布団の中にもぐりこみ、しばらく放心状態になっていた。
それからどれくらいの時が経ったかは分からないが、ふと、チャッピーを溺愛していた母親が心配になり、家に電話をした。
電話には父が出た。
悲しいはずの父は、気丈にもその悲しさを抑え込み、チャッピーが天に召されるまでの経緯を冷静に語ってくれた。
父の声を聞いた瞬間、溢れる悲しみを抑えきることが出来なくなり、目からはダムが決壊したかの如く一気に汗が出た。
父から一通り話を聞いた後、母に電話を代わってもらった。
母は声にならない声で泣いていた。
「チャッピーには可哀想な事をした」と何度も口にしながら。
「そんな事は無い。チャッピーは母の目一杯の愛情を受けて、本当に幸せな毎日を過ごせたと思う。」
そう心の中で呟きながら、私の目汗は一層加速された。
電話の裏で、チャッピーの遺体に花や人形を添えて、チャッピーの最期を彩る祖母の小さな背中が目に浮かんだ。
チャッピーとの出会いは10年前まで遡る。
祖母が車椅子生活を余儀なくされ、それまで住んでいたアパートに別れを告げて、新築の家に移り住んだ1996年。
当時ソフト部で共にセンターラインを死守していたアッキーが、涎を垂らす程に犬を飼いたがっている私を不憫に思ったのか、子犬の引き取り手を捜している知り合いを紹介してくれた。もちろん私はそれを二つ返事で承諾した。
初めて私の前に姿を現したチャッピーは、小さくて弱々しくて、どうしようもないくらい愛くるしかった。「可愛い」という単語はチャッピーのために作られた、そう思える程の存在だった。
我が家に来たばかりのチャッピーは、夜になると、寒かったのか、母親が恋しかったのか、いつも小刻みにブルブルと震えていた。当時中学生の私は、チャッピーが死んじゃうんじゃないかと心配になり、翌日学校があるにも関わらず、チャッピーの震えが止まるまでずっと傍についていた。チャッピーも私が傍にいるのを感じたのか、しばらくすると安らかに眠りに落ちた。「この新しい家族を大事に育て上げる」私は心に誓った。
そんな夜からもう10年も経ったのかと思うと、とても信じられない。
つい最近まであんなに元気にしていたのに、今はもうこの世にいないなんて考えたくも無い。
でも、今はもう、
私がバットを持って外に出ると、ノソノソと犬小屋から出てきて、お座りしながら私の素振りを見守ってくれた優しいチャッピーも、
散歩の時に自分の行きたいところに行こうとして、私が引っ張るのを予想してあらかじめ踏ん張る意地っ張りなチャッピーも、
野球のボールを投げた振りをして背中の後ろに隠すと、騙されて必死で探し回る間抜けなチャッピーも、
10年かけて縁側に巨大な落とし穴を掘ったいたずらっ子のチャッピーも、
「お手」と手を差し出すと両手で飛びついてくる欲望丸出しのチャッピーも、
「お手」と手を差し出すと欲望のままにマシンガンお手を繰り出す食い意地の張ったチャッピーも、
お腹がすくと何も言って無いのに「伏せ」をする狡猾なチャッピーも、
クチが臭すぎて最後までキスできなかった不潔なチャッピーも、
家の中が大好きで、玄関を開けると普段見せないようなBダッシュで家の中に駆け込もうとするガキっぽいチャッピーも、
散歩中に他の犬とすれ違うと吼えまくる気の小さいチャッピーも、
「待て」の後に、「よし!」と見せかけて「良子ちゃん!」と言うと一瞬びくっと反応しながらも、騙されずに餌を食べるのを我慢するお茶目なチャッピーも、
見知らぬ人が家に近づいたら、気が狂わんばかりに吼えまくる番犬チャッピーも、
遠くで犬の鳴き声が聞こえたら、とりあえず遠吠えをしてみる本能に忠実なチャッピーも、
車の窓から顔を出すのが大好きで、頻繁に車の窓に挟まっていたおとぼけチャッピーも、
散歩に行くと必ず最後は私とのドッグレースになった負けず嫌いなチャッピーも、
久しぶりに帰郷すると、目が悪いからか遠くで私を発見した時は吼えまくり、近づくにつれて吼え方が弱まり、目の前に来ると完全に腹丸出しで服従ポーズを取る可愛いチャッピーも、
お風呂に入れようとすると全力で逃げ出し、部屋中を毛だらけにする迷惑なチャッピーも、
私と母親が一緒に「チャッピー!」って呼んだ時に、私ではなく母親を選ぶ憎たらしいチャッピーも、
二度と会うことは出来ない。どんなに願っても、どんなに想っても、どんなに苦しんでも、どんなに泣き叫んでも。
辛いけど、その現実は受け止めるしかない。チャッピーのためにも、前をむいて歩くしかない。今すぐは無理かもしれないけど、少しずつ、少しずつ。
今思うとチャッピーは、家族が最期に立ち会えるように日曜日の夜まで頑張って生きてくれたような気がする。もしかしたら亡くなるずっと前から病気で苦しんでいたのかもしれない。でも、チャッピーはそれを周りには一切見せず、元気な姿で我が家に癒しを提供していた。見た目は間抜けだし、行動も天然なところがあるけど、チャッピーは昔から本当に家族思いの賢い犬だった。
ちょうどチャッピーが入院する前、祖父、父、母は同時期に病院の御世話になっていた。チャッピーの容態が悪くなるのと入れ替わりで、祖父の手術が成功したり、父や母の体調が回復した。父はそれを思い返して「チャッピーは皆の病気を代わりに背負ってくれたんだ」と感慨深く言った。チャッピーは我が家の守り神でもあったのかもしれない。
チャッピーは我が家にとって本当に大事な存在であり、それはこれからもずっと変わらない。
チャッピーは我が家にとって本当に大事な大事な家族であり、これからもずっと心の中に存在し続けるだろう。
本当はもっと書きたいことが胸の中に渦巻いてるけど、上手く文章にすることが出来ないので、最後にチャッピーが亡くなった直後の私と母親のメールのやり取りを書いてこの文章の終わりとしたいと思う。
「息子です。今までチャッピーに愛情を注いでくれて本当にありがとう。お母さんのおかげでチャッピーも幸せな人生を送れたと思います。チャッピーも患者家に来て良かったと思っているはず。今夜がチャッピーにとって患者家で過ごせる最後の夜です。僕はその場に行くことはできませんが、お母さん、お父さん、おばあちゃんの三人で、チャッピーを天国に送り出してあげてください。よろしくお願いします。」
「ありがとう。初めて連れて帰った日のことを思い出します。散歩は大変だったこともあるけど、でも!チャッピーのおかげで幸せでした。次男と思って育ててきました。患者、ありがとう。また明日から元気出します。 母」
チャッピー、今まで我が家に幸せを運び続けてくれて本当にありがとう。
どうか安らかに。
本当に とても辛いですね。。
うちも去年 18年間共に暮らした猫を亡くしました。
ペットの死は悲しいけれど
大切なのは それまでにどれだけ幸せであったか、ということですよね。
患者さんやお母さんたちに大切に大切にされて
チャッピーちゃんは最高の幸せの中で旅立っていったんだと思います。
こんな話を聞いたことがあります。
ペットたちは死んだら、向こうでお父さんお母さんが待ってて
暖かく迎えてくれるって。
生まれてすぐにお母さんたちと離れたチャッピーちゃんは
今度は向こうで幸せになれてるはずです。
悲しみはまだ拭えないけど
ゆっくり元気をだしていってくださいね。
月並みだけど、ご冥福をお祈りします。
チャッピーが心配しないよう、患者さん達が笑顔でチャッピーの事を話せる日が早く来ると良いですね。
10年来の付き合いのある大切な家族がいなくなり
さぞ心中辛いことでしょう。
私も19歳の老描がいるので
その日が来るまで大切にかわいがりたいと思います。
何を言ってよいのかもわからんけど。
あれからもう10年か。
ゆっくり、な。
サクラがそうなったらと
考えて悲しくなりました。
飼い主にここまで思わせるチャッピーは
立派なペット
否
家族の一員になっていたんだなと思います。
チャッピーに為にも
患者さんは早く元気にならなきゃダメですよ
「クレヨンしんちゃんの13年後」というものです。
どんな映画を観ても、どんな話を聞いても、泣いた憶えのない私が、観終わった頃には目を潤ませていました。
涙を流したのは、本当に久しぶりでした。
その1週間後、あなたの愛犬は天に召されました。
ペットをまともに飼ったこともない私が、物語をみただけで泣いてしまうほどの出来事が、今まゆげさんの現実に起こっている。
私には想像も出来ないほど大きな悲しみが、まゆげさんを襲っていると思います。
私には何の力もなく、まゆげさんの悲しみが癒えるのをただ見守ることしか出来ませんが、ひとつだけ言葉を贈らせていただきたいと思います。
19世紀の英小説家、ウィリアム・メークピース・サッカリの言葉にこのようなものがあります
『愛してその人を得ることは最上である。
愛してその人を失うことは、その次によい。』
最上はもちろん愛する人(犬)と共にいることです。
愛する人(犬)を失うのはとても悲しい事ですが、愛しているうち失えたこと、最後まで愛していられたこと、回想がどれも素晴らしい想い出であることは、共にいることの次に素晴らしく、愛や興味を失ってお互いに生きているよりもよっぽど良いという意味です。(だと思います)
まゆげさんとそのご家族は、チャッピーの臨終までずっとチャッピーを愛していたと思います。
それはチャッピーにとっても、そしてまゆげさんのご家族にとっても、とても幸せなことなんだと思います。
今は悲しみばかりが溢れているでしょうが、気持ちの整理が付いて、まゆげさんがチャッピーとの出会いに感謝出来る日が来る事を祈っています。
心からお悔やみ申し上げます。
どうぞお悲しみのあまり、お体をこわされないよう大切にして下さいませ。
また、チャッピーのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
がんばれ、患者さん一家。
元気球ができそうです。本当にありがとうございました。
>りょう氏
りょうさんも辛い別れの経験者なんですね。
チャッピーは間抜けなところがあるので、天国で迷わずに両親と出会えているかどうか心配ではありますが、無事両親との再会を果たし、幸せな毎日を過ごしていることを願っています。
>レイ氏
いつまでも悲しんでいたら、チャッピーも安心して天国にいけないかもしれませんからね。チャッピーとの日々に感謝しながら、早く元気を出せるよう頑張ります。
>シャツ氏
19歳!?ものすごい長寿ですね。
シャツさんは愛猫を本当に大事にされてきたのですね。
もっともっと長生きしてもらうためにも、引き続きシャツ氏の愛情エキスを注いであげてください。
>アッキー氏
コメントありがとう。
アッキーのおかげでチャッピーと出会うことができました。
本当に感謝しています。
今度実家に帰ったときは、一緒にお墓参りに行ってくださいな。
>KURO坂氏
(私にぞっこんの)サクラちゃんも間違いなくKURO坂家の一員ですよ。
(私にぞっこんの)サクラちゃんはまだまだ長生きするでしょうから、目一杯幸せを与え合って下さい。
元気、出します。野球しよう!
>1000氏
チャッピーと出会わなければ、私の10年間の幸せな日々は全く違ったものになっていたでしょう。そう考えると、今はとても悲しいけど、チャッピーには感謝してもしきれません。
ここでもし私が悲しみの余りに心身を病んでしまったら、本当にチャッピーに申し訳ないし、チャッピーも心配で天国にいけないと思うので、これからはチャッピーとの日々に感謝しつつ、前を向いて歩きたいと思います。
ちなみに、1000氏に教えてもらったシロの泣ける話を見たい方はコチラ↓をクリック。本当に泣けます。
http://www.geocities.jp/jwnbf437/sintyan.html
>もろっこ氏
コメントありがとー。
チャッピーが天に召されたのは悲しいけれど、これで体調崩してたらチャッピーも安心して天国に行けませんからね。落ち込むのも程々にして、これからはチャッピーとの幸せだった毎日を糧に頑張っていこうと思います。ワンワン。
>ながちゃ氏
そういえば、ながちゃ氏の愛犬も天に召されたんでしたね・・・もしかしたら今頃ながちゃ氏のペットと仲良く遊んでるかもしれませんね。
チャッピーが天国に行ったのは悲しいけれど、最後の力を振り絞って飼主孝行をしてくれたことは本当に誇りに思います。よく頑張った、チャッピー!
ながちゃ氏の言うとおり、チャッピーはこれからは心の中で生き続けることになります。チャッピーに見られても恥ずかしくないように、毎日を頑張って生きたいと思います。