ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

神社の関係者で、戦争の反省を述べた人、神社の戦争責任を述べた人など見たことがない

2017-08-16 00:00:00 | 社会時評

8月になっていろいろ考えるんですが、私の知る限りということで話をします。

私はいまだかつて、神社の人、神社本庁にいる人のたぐいが、国家神道への反省、神社の戦争責任、戦争への反省を述べたというのを、見たことも聞いたこともありません。戦後そういった発言が全くなかったかどうかは分かりませんが、神社本庁から靖国神社のようなところ、はたまた一般の神職など、こういった人たちから上のような発言や文書を出したのを知りません。

いや、さすがに関係者の全員がそういったことを反省していない、考えてはいないとは私も思いませんよ。あれは良くなかった、現在の神社の態度はまずいと考えている人もそれなりにはいると思います。しかしその意見がまるで外に聞こえないのも事実でしょう。

たぶんですが、そのような発言をしたら神社の世界から追放もしくはそれに近い扱いをされるんじゃないんですかね。そう考えれば、神社業界がそういう態度なども理解できます。もちろん「いい」「仕方ない」と言っているのじゃありませんよ、ねんのため。

それでですよ、そういったことの反省を示さずして、神社とかが世間にまともに対峙できるのかなと考えます。できない相談じゃないですかね。

「神社本庁」とか、役人でもなんでもないのに、神社の関係者はあたかも公務員、国家機関であるかのような呼称を僭称しています。これだって「いくらなんでも」と考える内部の人たちも少なくないのかもですが、一向に改まりません。つまりは神社の関係者は、最終的には国家神道の復活をねらっているんじゃないんですかね。そうだとしたらとんでもないにも程があるというものです。

仏教界にしてもキリスト教界にしても、さすがに自分たちの戦争責任についてはそれなりに反省はしています。それらをどう評価するかはともかく、少なくとも自分たちの過去を居直ったりはしていないでしょう。しかし神社とか神道とかは、そういったことを反省するという態度がまるでないですね。ポーズとして反省するなんていう態度すらない。つまり神社の幹部たちは、国家神道も、過去の戦争も、ぜんぜん悪くないと本気で考えいるんでしょうね。個人個人の考えはともかく組織としてはそう考えているのでしょう。

あまりにひどい時代錯誤としか思えませんね。たとえばキリスト教会全体だって、過去に宣教師が帝国主義的侵略の先兵になったなんてことにはそれなりに反省しているでしょうし、さすがに現場の宣教師たちだって昔ほどは自分たちの立場や行為を居直ってはいないんじゃないんですかね。少なくとも宗教家だろうがなんだろうが、まともな人間やまともな組織なら、自分たち、自分たちの組織の過去についてそれなりの反省はするでしょう。

前に私は下のような記事を書きました。

貧困と自殺に取り組む僧侶たち

それでその記事の中で私は、

>そういう意味で言うと、神道関係の人たちは、日本の貧困問題や自殺問題にどれくらいコミットしているのかなという疑問が生じます。詳しいことは知りませんが、たぶん仏教関係者以上に動いていないでしょう。それはなぜなのか、どうすればいいのかということを神道の人たちも考えてほしいなと思います。

と指摘しました。神社の人たちは、他宗教と比べてもそのような活動をしていないんじゃないのと思います。これももちろん個々人でいろいろ違いはあるし、これについては神社自体がそういう活動をしなくていいという考えではないとしても(この件についてどうなのかは知りませんが、戦争責任とか戦争への反省は、組織として拒否しているのでしょう)、個々の神社の関係者の方々も、それは少しは考えたほうがいいんじゃないんですかね。と同時に日本の敗戦後、各植民地に作られた神社が即刻打ち壊されたということはどういうことなのかを考えていただきたいのですが、なかなか難しいと思います。いずれにせよ非常に困ったことです。神社とか神道が海外に進出するのがきわめて難しいのは、ユダヤ教などと同様の民族宗教であることや布教する側にやる気がないのが理由ですが、その時代錯誤な態度、思考、過去、日本帝国主義の象徴であることが世界的に嫌われているのも事実でしょう。

なおこの記事は、本来なら8月15日に発表したかったのですが、本日16日の発表になったことをお詫びします。

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9 コメント

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Unknown (凡太郎)
2017-08-16 19:38:18
大規模な災害が起きた際に教会がボランティアで炊き出しするシーンはよくニュースで見ますが、神社やお寺(単に放送されないだけかもしれませんが)が炊き出しするというのはあまり聞きませんね。日本以外の東南アジアではどうか分かりませんが。
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>凡太郎さん (Bill McCreary)
2017-08-16 23:35:18
そうでしょ。仏教は、上の記事で紹介した本にもあるように、不十分ではあるかもですがそれなりに動いていると思いますが、神道に関しては、仏教をはるかに下回るレベルでしか活動していないと思います。
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Unknown (bogus-simotukare)
2022-06-29 20:24:12
「同性愛は依存症」「LGBTの自殺は本人のせい」、神道政治連盟議連で配布
https://news.yahoo.co.jp/byline/matsuokasoshi/20220629-00303189
 「極右議連」神道政治連盟なら「予想の範囲内」ですが全く時代錯誤で酷いもんです。しかし何でこんなに神社本庁って気が狂ってるのか?
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>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2022-06-30 21:45:59
どうも、さっそく該当記事を読ませていただきました。あまりの時代錯誤ぶりに驚きますね。それで、この「神道政治連盟議連」について調べていまして、

https://www.sinseiren.org/info_details247.html

によれば、記事で取り上げられている楊尚眞教授のほかに、島田洋一と高橋史朗が講演ですからね。こんなのかえって、この議員連盟にとっても恥以上のものでもないのですが、そうは考えないということなのでしょう。まったくお話にもなりません。
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Unknown (アンドリュー・バルトフェルド)
2022-06-30 22:12:09
神社本庁がLGBTのアウティングを扇動する可能性を頭に入れた方が良いと思います。

縁結びをアピールしている神社なら絵馬に書いてあるのを探し出すでしょうし、神主や巫女に対しても性的志向を晒そうとするかもしれません。

選挙絡みですが、山谷のポスターを賽銭箱に貼っている神社があるとのことです。
こちらも救いようがないことです。

本当に宗教界は「反戦」だけでなく「反差別」にも積極的に関与すべきですが、「まるで成長していない」ことに呆れますし、文句を言わなければなりません。
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>アンドリュー・バルトフェルドさん (Bill McCreary)
2022-07-01 21:03:28
山谷は、この連盟でも相当な活動家のようですね。まあ神社本庁は、アウティングくらいなんでもないでしょうね。

>本当に宗教界は「反戦」だけでなく「反差別」にも積極的に関与すべきですが、「まるで成長していない」ことに呆れますし、文句を言わなければなりません。

ですよねえ。ほんと神社本庁の時代錯誤ぶりと鈍感さはひどすぎる。
返信する
仏教の戦争協力 (bogus-simotukare)
2024-07-17 05:42:09
https://bogus-simotukare.hatenadiary.jp/entry/2024/07/14/000000_1の流用ですが。

NHKBS「戦禍のなかの僧侶たち〜浄土真宗本願寺派と戦争〜」2022年8月20日
https://www.nhk.jp/p/bssp/ts/6NMMPMNK5K/episode/te/22KJL1K5RJ/
 仏教は戦争にどう関わったのか。浄土真宗本願寺派(西本願寺派)は1万寺に調査を行った。戦場に派遣された従軍僧の日誌や戦時動員の住職の記録など新資料から僧侶たちの戦争体験を描く。中国の戦場に派遣された従軍僧の日誌や門信徒を戦場に送った住職の記録などアジアに進出した教団の姿が浮かび上がった。太平洋戦争では85%の寺が金属回収に応じ学童疎開や戦時動員に協力していた。新たな調査をもとに戦禍の中の僧侶たちの姿を描く。

NHK教育「僧侶たちの戦争」2022年12月4日放送
https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/7RQ6M8R84G/
 不殺生を説く仏教僧たちはなぜ戦争に関わったのか。この問いに向き合う浄土宗の有志の僧侶たち。全国の寺から戦時中の遺物を収集し、その歴史から学ぼうと活動している。
 浄土宗平和協会の廣瀬卓爾理事長は全国7000を超える寺院に呼びかけ、戦時中の資料を集めてきた。それらの資料から僧侶たちが戦争に積極的に協力した歴史的事実が浮かび上がる。当時の教団は本来の教えを曲解してまで戦争加担の論理をうち立てた。廣瀬さんの、僧侶と戦争の問題を考える原点の一つは、先代住職の父が開教使として中国大陸に渡っていたこと。遺品から僧侶たちの人生に触れ、僧侶であることの意味を問い直す。

『僧侶たちの戦争』
http://houzenjibrog.sblo.jp/article/189973293.html
◆浄土宗平和協会理事長 滋賀県 願海寺 廣瀬卓爾上人
「あの時代だから仕方がなかった。今更そのことを掘り返してどうなるという人もいる。仕方がなかったではすまない。仏道を歩もうとして僧侶になった人が武器をとる。檀信徒の人々に頑張ってこいと送り出す。それは私たちの勤めではない。反省と教訓、上っ面のものではない。本気でそのことを考えたい。」
◆栃木県 清泉寺 故山田隆元上人
 南方戦線のオランダ領インドネシア、ジャワ島にて現地のオランダ兵を抑留した収容所の所長。
 部下による虐待の刑を問われ20年長期刑。BC級戦犯。戦後持ち帰った名簿には処刑されたり、自ら命を絶った自分の部下たち兵士の名前が綴られている。
 山田上人はインドネシアの刑務所の中で砲弾を加工してお鈴をつくっていて、名簿とともにお寺に持ち帰り兵士たちの供養を続けた。お鈴をつくっているときの心境を察すると言葉がない。しかし、つくることも打ち鳴らして回向することも、もしかして僧侶としての存在意義を探した証かもしれない。
 廣瀬上人がおっしゃるように、山田上人がおつくりになったお鈴は浄土宗の宝物だと思います。今度拝見させて頂こうと思います。

「僧侶たちの戦争」
https://eraoftheheart.hateblo.jp/entry/2023/02/17/072653
◆ナレーター
 国策を担わされた教団の中で、葛藤を抱えながら戦地に赴いた僧侶たちはどんな戦後を生きたのか、それを物語る遺品が栃木県の寺で見つかりました。南方戦線に出征した清泉寺の住職、山田隆元さんが戦後持ち帰った名簿です。山田さんは、オランダ領インドネシアのジャワ島で、現地のオランダ人を収容した抑留所の所長でした。
 戦後、バタヴィアでのBC級戦犯裁判で部下による虐待の罪を問われ、 20年の長期刑となります。6年後、山田さんは巣鴨プリズンに身柄を移され、帰国。身に携えて持ち帰った名簿には処刑されたり、自ら命を絶ったりした兵士たちの最後が刻まれています。
 山田さんが、インドネシアの刑務所の中で、砲弾のかけらで作った仏具、お鈴。廣瀬さんは、この遺品によって最後は僧侶として生きようとした山田さんの思いに触れました。
◆廣瀬卓爾氏
 刑務所にいて自分の部下たちが処刑をされる、あるいは自死をする、逃亡してそこで命を落とすと、そういう人たちを、「私はやっぱり僧侶なんだ」っていうね、ひょっとしたら、そこで自分は一生を終えるかもしれない、しかし自分は僧侶として生きたんだ。弔うためには回向をきちっとしようと。だから、これを作っておられた時の心境を察するとね、ちょっと言葉出ないですね。
 これ本当にね、浄土宗の宝物だと思いますね。 後世に伝えるべきこれはそういうものだと。
(引用終わり)

 一応紹介しておきます。これと真逆が神社本庁だから心底呆れます。
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Unknown (アンドリュー・バルトフェルド)
2024-07-17 21:41:36
仏教でも、ウヨの僧侶が少なからずいるので分かり次第晒したいなと思います。信者にしても高須みたいなのがいますが。

神社本庁から離脱した神社の可視化と激励とさらなる離脱の推奨が広がらないのが何ともです。
神宮外苑の再開発で明治神宮は文句を言ってもいいのですが、それも問題です。
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>bogus-simotukareさん、アンドリュー・バルトフェルドさん (Bill McCreary)
2024-07-17 22:08:04
仏教の戦争責任認識を過大評価してはいけませんが、ただ神社はあまりにひどすぎますからね。あそこまで戦争に負けておいて、それであのような態度をよくとれるなと正直私はかなり不思議です(呆れ)。
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