オジサンおひさまの備忘録

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岩槻の御朱印巡り寺院編

2021-06-26 22:31:32 | 旅行

ちょっと間隔があいてしまいましたが、岩槻の御朱印巡り寺院編をご報告いたします。

訪問先は慈恩寺~芳林寺~彌勒密寺(岩槻大師)~法華寺となります。

①慈恩寺

慈恩寺は西暦824年に慈覚大師によって開かれたお寺で、寺名は中国長安にある大慈恩寺にちなんだものとされています。

最盛期には10万坪以上の境内を所有する大きな寺院であったが、数度の災厄によりほとんどの建物や貴重品は焼失し現在

の本堂は1842年の建立でありご本尊の千手観音菩薩は天海僧正が比叡山より安置したものとされる。

慈恩寺の観世音菩薩は特に夫婦円満・家内安全・子宝に恵まれる御仏として、秋の大祭にはその年結婚した婦人が姑ととも

に参詣する風習が伝えられている。慈恩寺は立派な本堂とともに必ず訪れたい場所があります。西遊記で名高い玄奘三蔵法師

の霊骨塔が本堂のある場所から少し離れた静かな場所に建てられています。玄奘三蔵法師は中国仏教においては大偉人であり

南京郊外で発見された遺骨の一部が日本に贈られこの地に納められた。

慈恩寺 さいたま市岩槻区慈恩寺139  電話 048-794-1354

ホームページ http://www.jionji.com/

②芳林寺

芳林寺は比企郡松山にあった当時は地蔵寺と号していたとされ、太田道灌が暗殺された際に越生の寺院と分骨と遺品分けをされた

とされるため太田道灌ゆかりの寺として太田道灌公の像があります。地蔵寺が火災にあったため、太田大和守資高が自分の居城で

あった岩槻に移し、1523年に再建したとされています。1563年に禅門に帰依していた太田資朝公の母である芳林妙春尼が逝去した

際に芳林寺に改められた。現在の本堂は1841年に再建されたもので、境内には岩槻城主太田氏資の供養塔がある。

芳林寺 さいたま市岩槻区本町1-7-10 電話048-757-7670

③彌勒密寺(岩槻大師)

彌勒密寺(岩槻大師)の開山は774年とされ、第一世開成和尚が修行の途中、岩槻の地で難病に苦しむ人々を救わんがため金色の弥勒菩薩を

安置し開山された古刹です。江戸や明治には寺子屋を開設し明治5年の普通教育制度発布後も弥勒寺学校として明治25年まで続きました。

昭和53年に鉄筋コンクリートで半地下入母屋造りの本堂を完成させました。本堂の地下には四国八十八か所のご本尊とお大師様を勧請し

お砂を請来してお遍路参拝の道場として知られています。我々も折角なので体験させていただくことにしました。

入場における作法と手順を説明していただき善光寺のように降りてしばらくは暗い場所がありそれを抜けるとたくさんのお大師様が安置

されており、砂が入った袋を一つずつ踏みしめながら進み、自分の年齢の場所に来たらしっかりと祈願をしてくださいとの説明通りに参拝

させていただきました。本堂内ではご本尊と結ばれて御祈願ができますので、御朱印だけではなく是非体験していただければと思います。

また、境内には、薬師堂・稲荷堂・交通祈願殿・子育て人形大師像・身代わり地蔵などもございます。

彌勒密寺(岩槻大師) さいたま市岩槻区本町2-7-35  電話048-756-1037

ホームページ http://www.evam.ne.jp/iwatukidaishi/index.html

※法華寺のご報告は省略させていただきました。



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