マーキュリーマークの尾張とハジメ gooブログ版

毎週月曜に投稿する予定です。私はカナダに行ってからカナダが好きになりました。

カナダ旅行を振り返りたい その9 令和二年十月

2020年10月13日 | 旅行




 マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ編 その9
ロブソン通りで、ニューエラが販売してるブルージェイズの野球帽とゴーフレというかベルギーワッフルをネロさんで購入した後で、世の中には徹夜で富士山を二往復する人もいてるから、それと比較したら良い方だと考えながら歩行して、パシフィックセンターに赴き夕食を買いに行った。
ショッピングセンターに付き物と言えば、フードコート。どのようにして初めて知ったかについては全く覚えていないが個人的にはルートビアはおいしいと考えてる。
そういう訳でルートビアを販売してることで有名なA&Wがパシフィックセンターで営業してるので再び入店した。
そればかりか、フローズンヨーグルトの量り売りのお店(Qoola)も営業してたので嬉しかった。
まるで、パーティーランド(フローズンヨーグルト販売店)のようです。個人的にヨーグルトが好きなので一週間の内5回以上は食べたいと考えていたので購入することにした。海外旅行中に胃腸病に罹患した人もいますしね。ヨーグルトを最初に食べたいと考えてたから簡潔にオリジナルとバニラ(両者共、白系)のヨーグルトに赤いラズベリーを入れた紅白(?)のフローズンヨーグルトを購入し食べ終えた後でA&Wにてハンバーガー等の買い物を済ませた。

 順番が前後するようだが、私がこの日パシフィックセンターに赴いたのは二回目であった。パシフィックセンターに赴いた理由は、店内の状況の把握ばかりかどういった企業が営業してるかの把握。そして、取り扱いが無かったというか品切れであったから買えなかったが靴を買いに行ったのが目的でもあった。だが、一回目にパシフィックセンターへ赴いた時には空腹でなかったばかりか前もってフローズンヨーグルトを買った後で後に空腹になってから食べようとしたら溶けてる状態だと良くないから、後回しにする決断を下した。フローズンヨーグルトに限っては、買ってスグに食べたら問題無い。溶けやすい食品の購入の後回しは仕方なかった。
 初めてパシフィックセンターに赴いた時にフードコートには日本語を喋ってる人々がいた。東京から来たご家族(3名)であった。軽く挨拶をしたら当初は驚かれておられた。大雑把だけど、私が日本人であることや初めての海外旅行を一人で旅をしてることを伝えたら挨拶より驚かれた。だが、「東京都を一人で旅するよりもブリティッシュコロンビア州の旅行を一人旅する方が安全です。」と伝えると納得されてた。最近(平成)の東京都は過去と違って危なくなってるように思う。過去に私は東京都に住んでいたが複雑な思いです。
 色々と複雑な思いを抱きながら、私はホテルに戻り食事を済ませてから寝た。夕食はA&Wのハンバーガーでした。 その10に続く。

これらの海外旅行記を読まれて海外では、胃腸病で苦しむ日本人がおられることを理解してもらいたい。

2015年十月八日に私はカナダへ渡航した。カナダ旅行記その9を振り返りたい。
日本と比較してカナダのバンクーバーとの間では16時間(冬は17時間)の時差が存在するので時差ボケは大変でした。
フローズンヨーグルトのお店がカナダで利用出来たのは良かったです。ヨーグルトは胃腸に良いらしいので私は頻繁に食べるようにしてます。溶けやすい食品の購入の後回しは仕方なかったので一日で二回同じショッピングセンターのパシフィックセンターに入店したのはやむを得なかった。
日本では太平洋は東側でカナダでは西側になる。
カナダ旅行を楽しむ日本人旅行者が多かったのを連想する。カナダで日本人に出会う事は多かったです。
A&Wは沖縄では有名らしいが私の地元では営業してないのでカナダのハンバーガーに思えました。
追記
日本の午後11時の食事はバンクーバーの朝食の時間帯です。
 16+7=23 17+6=23
東京について述べた投稿は以下で紹介します。

東京 平成29年8月
私は過去に東京に住んでた。幼少期の時だがおよそ千日間は住んでたと思う。東京の人って「何の仕事してましたか?」と質問するから「子供の時だけ住んでました。」と返答すると嫌がるから困る。明白に嘲笑したり否定的になったからか離れた人もいた。非常に無礼で赤ちゃんや幼子に対して「仕事しろ。」と発言するのに匹敵する過失行為で改善してほしい。13階建てのマンションの8階に住んでいたので明るいようで暗い通路にて特撮のおもちゃで遊んでいた事を今でも連想する。東京での仕事が終わると元々住んでいた地元に帰られる人も少なくないらしい。中には、東京の中央線沿線から大阪市営地下鉄中央線沿線に引っ越しされた人もいるであろう。
私は平成十年代に何度か東京に戻ったが平成20年代には一度も東京には帰ってない。気に入ったホテルがあったが平成十年代と平成20年代は大違いでそのホテルは名称が変わった。別の名前になった上でホテルとして経営は継続してるから贅沢を言わなかったら再び同じ場所のホテルに宿泊は行える。実際の所、ホームページで確認した時には切り替わった事に本当に驚いた。住んでた町は地下鉄ばかりかJR東日本の駅が利用出来る町でした。第二の故郷のような感慨深さがあるようでないような思いだったが私が住んでた事だけは否定が行えない。東京に住んでいたから初めて戻った時は嬉しかった。私にとって明確化した事が喜びに感じられたからです。
オマケ
やしきたかじんが歌った「東京」を連想する。 中学時代の社会科の先生が「私の知り合いが東京で働きたいと発言していて東京の離島で働くことになりました。」東京都内でも離島と23区とは大違いです。
東京都民が近畿地方に来た時に「何の仕事してましたか?」と人様に質問するのは良いが返答した後で無礼者にならないようにしてもらいたい。



カナダ旅行を振り返りたい その10 令和二年十月

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« カナダ旅行を振り返りたい ... | トップ | 旧知との再会だけでなく飲食... »
最新の画像もっと見る

旅行」カテゴリの最新記事