フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

クリスチャン、ジョエル夫妻、セリーヌ、ジョゼフの四人とパリで再会した。 

2021-12-10 08:57:26 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

ヴァランシエンヌからTGVでパリに戻ってきたのは、夕方だった。

ビュットショーモン公園前のミッシェルさんの家に戻ったが、今夜も約束が待っていた。

 

ミッシェルさんの家の近くに住む、食いしん坊のクリスチャン(もちろん本人には内緒のニックネーム)と、奥さんのジョエル

そのジョエルの紹介で来日したセリーヌと、そのセリーヌが二度目の来日時にはおじさんとともにやってきたがそのおじさんのジョゼフ、この四人と夕食することになっていた。

 

ジョエルとセリーヌは同じアクセサリーのアトリエで働いていたので、ジョエルに紹介してもらって初来日したセリーヌ。

 

ジョセフはスペイン人で、フランスに若いころからいわば出稼ぎのようにやってきて、定年までパリ郊外に住んでいて、日本にずっと憧れていたらしい。

しかし彼はもちろんスペイン語とフランス語は話せるが、英語も日本語も話せない。ならば姪のセリーヌを頼り、来日の夢を実現するしかないというわけだった。

 

このジョゼフは、とても感じのいい人で、パリで会いたかった人の一人だった。

待ち合わせのアトリエの近くのクリスチャンの家について、クリスチャン夫妻と再会を喜んでいたら、ジョゼフがやってきた。

しばらく待っていたのだが、一向にセリーヌが現れない。(セリーヌは、パリ郊外に住んでいる)

結局予約の時間もあったらしく、先にレストランへ行こうということになった。

 

このレストランはフランスでは、ブラッスリーと呼ばれるところで、伝統的な料理を注文することにした。

 

遅れること1時間、やっとセリーヌがやってきた。もちろん遅刻したことを謝っていた。

それでも日本の話題で四人は楽しい思い出を話しだし、夕食もおいしく、短い時間だったが、私は楽しい時間を過ごせた。

 

帰り際も近くになり、夜道が心配だなと思っていたら、「送っていくよ」とクリスチャン。結局にぎやかに四人に送ってもらうことになった。

 

偶然なのだが、ミッシェルさんのアパートの隣に住んでいたことがあるクリスチャン夫妻なので、そんなことも思い出話をしながら、歩いているとあっという間にミッシェルさんの家に着いた。

********

ジョゼフの近況

昨年夏、セリーヌから連絡があり、ジョゼフと交えて三人でSNSで話をする機会があった。ジョゼフも退職し、今はバルセロナに近いところに住んでおり、セリーヌもまたその近くのフランスの海辺にセカンドハウスを買ったとのことで、空いているときは、どうぞとのことだったので、幻の三ヵ月滞在の候補になっていて、ジョゼフにも再会できる機会だったので、本当に残念。


隣村へ行くような感じで簡単にベルギーへ行けた。

2021-12-08 11:16:02 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

通りに出ると、馬に乗った女性に出会った。

映画の一シーンのようだった。

しばらく行くと、今度は、彼らが若いころ、アンリ夫妻ギリシュ夫妻と住んでいたという、アパートがあった。

 

そこで話をしていると、窓を開けて何か話しかけてくる老女がいた。

都会から来た?怪しいものだとでも思ったのかもしれない。

すかさず、エリザベットが「昔住んでいた」と説明をすると、思い出したようで、

アンリ夫妻の近況などを尋ねていたようだった。

和やかなムードに一転して、ほっとした。

 

帰りがけに、私がチョコレートが好きなことを知ると、「すぐそこがベルギーで、美味しいチョコレート屋さんがあるのよ」というエリザベットの言葉に従い、チョコレートを買いに行くことになった。

しかもベルギーはフランスより物価も安い。

ほんとに国境をあっという間に超えた。確かに国境の表示はあったが検問のようなもはなく、まったくフランス国内の隣の村へ行ったような感じだった。

 

正直に言うと、アミアンとヴァランシエンヌについてあまり良く知らなかったので、一泊で十分だと思っていたのだった。

 

しかし彼女が言うには、このヴァランシエンヌは、ベルギーにもすぐだし、イギリスへもドーバー海峡を船に乗って車で行けるし、彼女の故郷のブルゴーニュの手前に位置するシャンパーニュへも日帰りが可能なんだそうだ。思わず地図を見直した。なるほど、シャンパーニュもパリを通らずに行けるようだ。

「今度はもっと長く来てね」と、その好意に甘え、本当は、今年の幻の三ヵ月滞在で、ゆっくりさせてもらうつもりだったのだ。

 

このアンリ夫妻、ヴァンサン家族に加え、小児科医夫妻と、その三組のネットワークで、私の長い滞在を心待ちにしてくれている。

 

残念ながら、この2014年の時は一泊だけで、夕方にはパリに戻らなければならない超過密スケジュールが続くのだった。

ヴァランシエンヌ駅↓からパリへ

涙ぐんでいたエリザベット↓ 再会は2018年のヴァンサンの結婚式


村で見た藁葺の屋根の家

2021-12-04 09:06:12 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

帰宅後、ランチの準備をしてくれた。いいにおい。

 

デザートはプルーン↓

午後は、新しくできたランス美術館と言うところも近いらしく、その提案もあったが、私は建築や芸術にあまり興味もないので、ただ街歩きのほうがいいと伝えたところ、近くにふるい村があるので、そこに行こうということになった。

 

そこは私の好みの小さな村だった。

 

車で行ったのだが、通りに茅葺の古い家が見えてきた。

知合いの家だったらしく、私が希望するならと、家の人に話をしてくれ、訪問させてもらえることになった。

 

藁葺の家だけでもとても珍しく、フランスであまり目にしたことがないくらいだったのでとても興味深かった。日本の藁ぶきの農家によく似ている。

しかも農家で、小動物が飼われている。映画などでは目にするが、やはりフランスは農業国だということを改めて強く感じる。

こんな家が現存し、実生活を続けているのもまた新鮮な発見だった。

 

 


フランスの博愛精神は自然な姿でひょいと現れる

2021-12-02 08:48:59 | 2014年初夏の旅行(サルラ・ボルドー・ナント・アンジェ・アミアン)

さて、ヴァランシエンヌの家での朝食は、エリザベットが英語の教師だったのでイギリスを何度も訪問しているからか、何となく、イギリスをほうふつさせるような感じがしないでもなかった。もちろん伝統的なフランスの朝食が用意されてはいたが、ティーポットやお皿などにイギリスを少し感じる。

 

ブルゴーニュ出身のエリザベットはカシスのジャムも準備↓

さすがにお母さんはきれいな英語を話される。

お父さんのアランは、産業医として、今も週に何度かは勤務を続けているとのことだ。

 

朝食を済ませた後は、散策に出かけた。

この町は、ベルギーに近いので、街並みもベルギーやオランダのように感じる。

どんよりした天気のせいもあり、やはり北部の町は、どこかうらさびしい気もする。

お昼に向けて買い物もする。

この町もアミアンのように彼らの家からは徒歩圏で生活に必要なものがそろうし、観光もできる。

 

この町は、トヨタの工場があることでも知られているので、私は知らなかったが、日本人でも意外に訪れている人もいるのかもしれない。

 

そして、とてもカルポーと言う有名な彫刻家が生まれた町でもあるそうだ。

 

 


図書館や教会も訪れたが、教会から外に出たとき、1人のご婦人の手をエリザベットがごく自然に取り、誘導した。

その人は目が不自由な方だったが、エリザベットがそれにすぐ気づき、さっとそのような行動ができるのを目のあたりにし、やはりフランスは博愛の精神にあふれた国だと、感じずにはいられなかった。

 

当たり前のことのように思えるが、意外と日本ではそう言う光景を目にすることは少ない気もするので、よけい深く心に残っている。

 

さて、家に帰り、昼食だ。

また美味しいごちそうを用意してくれていた。


フランス人交流


フランスランキング

ブログランキング


フランスランキング