何気ない日々

思い浮かぶこと。古いアルバムをめくるように、...... 、今は昔のこと、時々、今。

『満天の星空』、いつか……。

2022-12-16 20:45:00 | 日記
都会ではないが、街中に住んでいると、なかなか星空を見ることができない。街灯や車のライト、深夜でもいろいろなところに灯りがついているので、輝きの弱い星は見えにくくなる。

山の中は、月あかりと、せいぜい懐中電灯の灯りくらいだ。新月の日を含めた前後何日かは、お天気さえ良ければ、星空指数100%になる時間帯がある。トータル何日、山の中で夜を過ごしたかわからないが、何度かは空も晴れて、星を見る機会もきっとあったはずだ。
ところが、夜、山の中でゆっくり星空を見上げた記憶がない。月が煌々と輝いていたのは、少しばかり記憶に残っている。

ニ回生の夏合宿で、東北の飯豊•朝日連峰を縦走したことがある。下山を間近にしたその日は、体調も悪く苦しい一日だった。反省会では「この山行が終わったら、クラブを止めようと真剣に思った」と言い、リーダーを泣かせた。と、記録に残っている。続けて以下のように書かれていた。
夕食後、外に出てみると、この合宿の最後の夜を祝福してくれるかの如く、満天の星降るような夜空であった。
残念ながら、私の記憶には全く残っていない。悲惨な一日だったから、空を見上げる余裕もなかったに違いない。

この『満天の星降るような夜空』を見てみたい、というのが、まだ先のことながら、私の、◯ぬ迄にしたいと考えた、いくつかのうちの一つだった。

3年ほど前、新月&快晴の、星空指数100%の夜、近郊の、車で行ける1000m程の高原に、『満天の星空』を見に出かけた。インスタグラム等にも、そこで撮った天の川や綺麗な星空が紹介されていたからだ。
何人かの友人と誘い合わせて行った。到着して早速アルミシートに寝転がって空を見てみるが、そこには期待した星空の光景はなかった。もちろん、街中で見る空とは天地の差ではあるが、願いが叶わない現実を知ることになる。眼鏡をかけても1.0に満たないド近眼の私の視力では、インスタに載っているような『満天の星空』を見ることが出来ないという現実。老眼の進んでいる少し年上の友人は、「綺麗!」とはしゃいでいる。結局、持参した双眼鏡を使って、夜空の、限られた範囲を少しずつずらしながらの星見となった。天の川らしきものも見当たらず、季節と時間帯によっては天の川も見ることが出来ない事を後で知った。

こんな体験をしたものの、もっと条件の良い、市街地の光の影響が全くない、尚且つ雨上がりの、空気が綺麗で快晴の新月の夜に、少し度の強い眼鏡をかけたら見えるだろうか、などと考えている。
そんな、全ての条件を満たす日はなかなか迎えられそうにないが、今でも『満天の星空』を見てみたいという思いを諦めることが出来ない。