1期生堀口さんのエッセイの一部を、ご本人の許可のもと掲載します。写真は1期生豊田さんにご提供いただきました。
回想 サルスエラ「LA VIEJECITA」のこと
この劇が上演された1957年1月といえば、イスパニア語1期生にとって2年次の学期末に当たるが、どうにかスペイン語の中級が理解できるようになった程度で、語劇を演ずるには未だ力不足であったと思う。それでもサルスエラをやろうということになったのは、指導に当たられたスペイン人神父様の熱意と、好奇心の強い学生が大勢いたからだったと思う。この神父様は、ピアノだけを使って音楽面から演技のひとつひとつまで全てについて一人で指導してくださった。それまで演劇の経験もなく、音譜も読めない私共をして、なんとかかっこうのつく劇にまとめあげるのには、非常なご苦労があったと思われる。
次いで特筆されるべきことは、やはり他校の女子学生との共演が実現したことである。
当時の上智には女子学生は在学していなかったので、主役を含めた女性出演者を校外に求めざるをえなかった。どのようなツテがあったのか知る由はないが、武蔵野音大等から7~8人の女子学生が共演していただけることとなり、これが上演を可能にした鍵となった。彼女たちの中には声楽専攻の人もいて、サルスエラの音楽的な魅力とその出来映えは、彼女たちの美声に負うところが大であった。さらに女子との共演は、我々男子出演者を大いにハッスルさせ練習にも一段と熱が入るという現象を生んだ。
練習会は、いつも1号館4階の大講堂に全員が集合し、神父様のピアノの先導で、ソロやコーラスの練習が繰り返された。
当時の学内は学生数も少なく、女性の姿はなく、キャンパスには、厳粛な空気がただよっていたが、その一角から時折華やいだ混声コーラスが流れていった。
私事であるが、この頃私はある学生連盟の活動に参加していて、その関係でときどき練習会に出られないことがあった。私一人が欠けることで、みんなに迷惑をかけることになったが、こんな状況を見兼ねたのか、女子学生の一人から個別の特訓をしてあげてもよいとの申し出があり、何度かマンツーマンの指導をしていただいた。
アミーガもいなかった私にとってそれはとても楽しいひとときであった。
2011年5月29日 記