8月19日に到着した齊藤康一さんのエッセイの一部を掲載します。このエッセイで、はじめて、神吉先生が語劇の顧問をしていた時代があった事を知りました。神大の橘川先生も語劇出身!懐かしい名前が並んでいます。Los interese creadosは、今、私のゼミ生が卒論のテーマに選び、奮闘中です。彼女は「Los interese creadosはピカレスク文学の流れを汲んでいる」と主張しています。
原稿をいただいてから掲載するまでにこんなに時間がかかってしまい、申し訳ありません。 (吉川)
先日物置の書類を整理していたところ,大学時代の教科書や写真などが沢山出てきて、
ひと時、ひとりで懐かしい思い出に耽った。「もう半世紀も前になるんだな!!!!」
その中にイスパニア語劇のアルバムがあった。
1963年、私が3年生の時、西語学科では「語劇祭」でスペインのノーベル文学
賞作家Jacinto Benaventeの”Los Intereses Creados”を上演することになった。
神吉敬三先生、Sancho神父の監修の下に、1年生~3年生が中心になってキャスト、
スタッフが編成された。
同級の橘川慶二君(のち神奈川大学教授、1998年没)に口説かれて、私は「美術
兼舞台監督(副)」を引き受けることになった。橘川君は歌舞伎をはじめ演劇に造詣
が深く、「齊藤,どうせやるのだったら、今までやったことのない舞台を作ろうよ!」
といいだした。そこで,舞台美術の重鎮、伊藤熹朔氏の「舞台装置の研究」を読破し、
砂防ホールの舞台主任のところへ何度か足を運び、構想を練った。
その結果,歌舞伎に用いられる「暗転」を西語劇に取り入れてみようと決めた。
「暗転」というのは、幕と幕の間に幕を下ろさず、暗闇の中で、短時間で舞台背景を
変え、観客に、そのあまりの変化にあっ!と言わせる手法である。
書き割り(背景のパネル)の作成には随分苦労した。何せ1幕目と2幕目で同じパネル
を表裏で使うのだから。
上演当日、大道具スタッフは皆バールとハンマーを持って、暗闇の中でまるで戦争の
様に奮戦したが、見事目標とした短時間内で舞台の転換ができた。今だったら「ヤッ
ター」というところだろうか?
(2012年8月19日受領原稿)
引き続き、皆様のエッセイを募集しています。
ご連絡をお待ちします。
上智大学イスパニア語学科
吉川恵美子
emiko-y@sophia.ac.jp
原稿をいただいてから掲載するまでにこんなに時間がかかってしまい、申し訳ありません。 (吉川)
先日物置の書類を整理していたところ,大学時代の教科書や写真などが沢山出てきて、
ひと時、ひとりで懐かしい思い出に耽った。「もう半世紀も前になるんだな!!!!」
その中にイスパニア語劇のアルバムがあった。
1963年、私が3年生の時、西語学科では「語劇祭」でスペインのノーベル文学
賞作家Jacinto Benaventeの”Los Intereses Creados”を上演することになった。
神吉敬三先生、Sancho神父の監修の下に、1年生~3年生が中心になってキャスト、
スタッフが編成された。
同級の橘川慶二君(のち神奈川大学教授、1998年没)に口説かれて、私は「美術
兼舞台監督(副)」を引き受けることになった。橘川君は歌舞伎をはじめ演劇に造詣
が深く、「齊藤,どうせやるのだったら、今までやったことのない舞台を作ろうよ!」
といいだした。そこで,舞台美術の重鎮、伊藤熹朔氏の「舞台装置の研究」を読破し、
砂防ホールの舞台主任のところへ何度か足を運び、構想を練った。
その結果,歌舞伎に用いられる「暗転」を西語劇に取り入れてみようと決めた。
「暗転」というのは、幕と幕の間に幕を下ろさず、暗闇の中で、短時間で舞台背景を
変え、観客に、そのあまりの変化にあっ!と言わせる手法である。
書き割り(背景のパネル)の作成には随分苦労した。何せ1幕目と2幕目で同じパネル
を表裏で使うのだから。
上演当日、大道具スタッフは皆バールとハンマーを持って、暗闇の中でまるで戦争の
様に奮戦したが、見事目標とした短時間内で舞台の転換ができた。今だったら「ヤッ
ター」というところだろうか?
(2012年8月19日受領原稿)
引き続き、皆様のエッセイを募集しています。
ご連絡をお待ちします。
上智大学イスパニア語学科
吉川恵美子
emiko-y@sophia.ac.jp