イスパ語劇の歴史編纂企画のブログ

イスパ語劇の歴史を振り返る文集を作ります。作業進捗状況を伝えていきます。問い合わせ先はイスパニア語学科吉川恵美子

1959年  Nicotina 公演アルバム

2011年07月22日 | 日記
1959年 Muños Seca "Nicotina"


写真は堀口さんと豊田さんに提供していただきました。

この公演は毎日新聞1月19日の夕刊で紹介されました。


‐貫禄十分のしろうと芝居‐ 
上智大イスパニア語学科一期生

上智大学にイスパニア語学科ができて四年、この三月に第一期三十二人が卒業するが、それを記念して後輩をはげますため、この一期生たちは十八日、同大講堂でスペイン語劇「ニコチン中毒」(P.M.セーカ作)を上演した。これは愛煙家バルトロメ(八戸公明)が医師からニコチン中毒ときめつけられて禁煙を命ぜられ、強がったり苦しんだりするのを、言葉のやりとりのおもしろさで笑わせるものだが、場内はコロンビア大使代理のこどもたちまで笑いだすほど、大林多吉学科長やディアス講師は「発音が正確で、卒業のレベルに達した」とこのしろうと役者に拍手をおくっていたが、一期生たちはもう日本航空その他に大半が就職決定、四月からはイスパニア語を生かした国際舞台で活躍するという。


文中、「ディアス講師」とあるのは、「ディエス講師」の間違いだと思われます。ディエス先生には17期生の私もたくさんお教えをいただきました。

2011.07.22 吉川恵美子 記 emiko-y@sophia.ac.jp




1957年1月 La viejecita (zarzuela) 上演

2011年07月22日 | 日記
画面下右端の小窓クリックで写真が大きくなります。

1期生の堀口さんと豊田さんに写真を提供していただきました。
出演者名簿の復刻を試みています。出演された方、ご連絡ください。

2011.07.22 吉川恵美子 記 emiko-y@sophia.ac.jp

4期生山内さんの思い出の記(抜粋)

2011年07月05日 | 日記
お待たせいたしました。山内さんからお預かりした原稿の一部を写真とともに掲載します。

   (語劇を)主導したのは、当時の私たちのスペイン語の先生、ARTURO CHIRINO神父でした。彼は、キューバ出身で、当時キューバ革命を成功させ大統領に就任したばかりの「カストロ氏とキューバ大学で机を並べていた」、と自己紹介をされたことをよく覚えています。兎も角、我々の年代では、一番人気があった先生であったと思います。我々のクラス会にも何度かご出席頂いたことがありましたが、残念ながら既に帰天されました。
   多分、私が3年だったと思いますが、チリノ先生が主導しスペイン語劇をやろうということになりました。そのストーリーは記憶を探ると「保険屋が3人集まって、一種のかけあい」をやり、その3人の会話の面白さがポイントと言うようなものではなかったか、と思います。出演者は、同じ36クラス(西語科は35・36クラスの2クラスあった)の「奥坊」「比嘉」両君と私の3名であったと思います。両君は既に物故しており、出演者3名の内、生存しているのは私一人のようです。
   私の記憶になりますが、私は「退役大佐」の保険屋という設定で、これは、私の髭が濃かったことからチリノ先生の指名に預かったようです。指名されてから、私は(それまでは毎日髭をそっていたのですが)全くそるのをやめました。しかし、当時の世の中で、髭を伸ばしているのは少数派であり、私も、1カ月足らずで、また、髭をそってしまいました。「髭が濃い」ところを買われて、指名されたのに、肝腎の髭をそってしまいましたので、先生には叱られました。でも、役は変更なく、私はまた髭を伸ばしました。でも、前ほどは伸びませんでした。
   そして、いよいよ、「語劇」の当日のことです。入りは、良かったのか、悪かったのか、記憶はありません。多分良くはなかったと思います。劇は、最初は誰も居らず、最初に登場するのは私で、第一声は私が「NADIE」と言うことになっていました。ところが、私が「NADIE」を言おうとしたとき、次に登場する「奥坊」君が舞台に出てきてしまいました。「誰もいない」と言おうとしているのに、人がいるのは、いかにもおかしいと、私は思い、「奥坊」君に一旦消えろと言わんばかりに、小さい声で「シーッ」と言いましたが、一向に消える様子がない。それどころか舞台のあちこちを歩き回っている。私は、ついに覚悟を決めて「NADIE」と言い、その後のセリフを続けました。この間、異常な時間が流れたようです。座席で見ていた、クラスの他の方から、「どうしたんだセリフを忘れたのか」と言われ、私が、前述の理由を言ったら、「そうか」と言っていました。「奥坊」君には、私から「なぜ出てきたんだ」と言ったところ、彼は、「扉がちゃんと開くか、どうか心配だったので、押してみたら扉があいちゃったので、出てしまったんだ」と言っていました。以上のことは、私は、はっきりと記憶が残っています。忘れることが出来ないエピソードです。
2011.6.21筆
 


吉川恵美子 emiko-y@sophia.ac.jp



4期生の先輩にお目にかかりました。

2011年07月03日 | 日記
7月1日(金)の夕刻、4期生の山内さんと塩沢さんにお会いすることができました。山内さんからは大学生活の記録アルバムをお預かりしました。その中にはたくさんの語劇関連写真があります。私の大学の仕事が一段落したらスキャンをして保管します。山内さんからはエッセイも頂戴しています。追って掲載します。

吉川恵美子