この恋は、あたしが一方的に不利だ。
だってあたしの恋愛遍歴は、全部というかほとんど伸下に知られてる。悔しいことに。
失恋するたびに呼び出して一部始終顛末を聞かせた張本人はあたしだ。だから自業自得ではある。
そんな「ともだち」の範疇だった男が、今やあたしの恋人の座に収まっている。ごく自然に。
三池はだから考える。
伸下って、どんな子と今までつきあってきたんだろう?
訊いてみたいけれど、今更の気もしないでもない。昔のことを持ち出して、自分自身がやぶへびになるのが怖い気もするし。
あーあ。あたしの手の内は向こうに全部知られているのに、こっちにはカードが全くないなんて。この恋は分が悪いなあと三池は頭を掻くしかない。
八年も友達でいさせたツケか、いざ付き合い始めてもどうも伸下とはなかなか甘いムードにはならず。
「おっ」
「よう」
なぞと寮の門での待ち合わせの挨拶も、まったく恋人同士っぽくならない。これではいかんと三池が少し語調を和らげる。
「ごめん、待たせた?」
腕時計を見ると、待ち合わせの時間にはまだ間がある。でも伸下が当たり前のように先に来ていた。
「いいや。こんなの待ってるうちに入らない」
お前一度人を飲みに誘い出しておいて、部隊のほうの飲み会とかぶったって思い出してそっちに行って、すっぽかしたこともあったよな。伸下はそう言って笑った。
「いやああんときは三時間も待って結局来なかったんだから、あれに比べたら全然」
屈託ない笑顔を見せる。三池はしまった自爆ったかと焦り言葉をかぶせた。
「だから、ごめんって。時効じゃんそんなの」
「そうだな」
「待たせた? とかこっちが殊勝に出てるんだから、あんたもいや全然とか定番の台詞言いなさいよ」
「なんだそれ、強要かよ」
「そ、そういうわけじゃないけどさ」
少しはデートっぽくしたいじゃん。とは言えない。
あーもう!
「いいから行こ行こ。車、知り合いから借りてるんでしょ」
遅れたら失礼だって。話を切り上げさせるように、ぐいと伸下の手を引いた。
伸下は引かれるままに、植え込みのブロックから腰を上げ三池の後からついてくる。
「そんな慌てなくても大丈夫だよ」
そう声をかけられるものの、三池は聞こえない振りで伸下の手を握ったままでいた。
どさくさまぎれだってばれるかな。
手をつなぎたい気分なの。
自分より少し体温の高い、厚みのある伸下の手のひらの感触が心地いい。
急ぐ振りで訓練速度で歩を進めていく。これについて来れる男だと確信がないと、このスピードは出せない。
「お前、今日綺麗だな」
不意に背中に声を置かれて、慣れないヒールがぐらつく。
「あっ」
「おっと」
よろめいたところを、伸下に背後から抱きとめられ、がっしりした腕に囲われる。
「大丈夫か。気をつけろよ」
声が近い。さっき手から感じた体温が、洋服越しに伝わり、ほんのり自分の身体も上気するのが分かる。
「ご、ごめん。いきなり伸下が、変なこと言うからびっくりして」
「変なこと? 褒めたんだろ、お前を」
けげんそうに首を傾げる。ノースリーブのブラウスと、脚のラインがきれいに見える膝丈のスカートを身に纏った今日の三池は、誰がどこから見ても「綺麗なお姉さんは好きですか」という感じだ。訓練時は後ろでひとつに束ねている、肩甲骨までの髪も背中に流している。
「こういうかっこも似合うな、お前」
言った自分の台詞に急に気恥ずかしくなったのか、伸下は腕を離した。
「……頑張っちゃってるオーラ満載で、痛くない?」
初デートだと思って少し気合を入れすぎたか。自分で気になっていた分だけ、指摘されるときつい。地面に声を置くように呟いてみる。
伸下は「なんで? そんなこと全然ねえよ」とこれも地面を見ながら返した。
「それに、俺とのデートでおしゃれを頑張ってくれたんなら余計嬉しい」
「……あんたはまた、そういうことぬけぬけと」
「照れてるのかお前」
「うるさい」
反射で三池はこぶしを容赦なく伸下の腕に叩き込む。
「いてて」
「あ、ご、ごめん、つい……」
これまでの習性で。焦って自分の手を押さえる三池。
「いいよ、お前はそんくらいで。気にするな」
けろりとした顔で、今度は自分から三池の手を握りなおし、伸下が先に立って歩き出す。
さりげなく女の子速度にペースを落として。
「つっぱらかってるくらいのほうが、お前は可愛い」
でも足元に気をつけて歩けよ。前を向いたまま言って、伸下は三池をエスコートしていく。
自分より少し背の高い、がっちりした肩の辺りに目線を置いて、三池は思う。
ああ……つくづく勝てないなあ、この男には。
完璧、白旗だわ。
三池は大人しく彼に従う。どこをどう取ってもかなわないと分かって、なおかつ嬉しさがじわじわこみ上げてくる男もまた伸下だけなのだった。
八年って、口で言うほど簡単な長さじゃない。小学校に入学した子が、あと一年で高校生になるっていう長さだ。それを思うと、なんだか三池は気が遠くなる。
あたしは伸下みたいないい男を八年も袖にして、いいように鼻で使って舎弟みたいに扱って。
振られたときのクッション役にしていた。
伸下が決して断わらないのをいいことに。嫌な顔をしても、最後の最後まで面倒を見てくれるのをいいことに。
「こいつのこと好きかも」という気持ちを「こいつは信頼できる」に置き換えて、甘えきっていた。
……ごめん。ごめんね伸下。今はほんとにあんたのこと好きだよ。
なんでいままで友達としか見られなかったんだろうって不思議になるくらい。一秒だって離れていたくないくらい。
あんたが好き。
ドライブデートということで、知り合いが貸してくれた車はなんとセリカだった。色は黒。しかも、マニュアル車だ。
ハイグレードのスポーツカーに目がない三池はあたしに運転させてえと懇願しかかって、ふと我に返る。
だめだめ。ここはやっぱし伸下に任せるべきでしょう。初デートで彼氏からハンドル奪って嬉々として車を駆る図っていうのは、傍から見なくても相当痛いはず。
「運転したいのかお前?」
キイを握りなおしながら伸下が尋ねる。見透かされてる。ここでううん、助手席がいいとか言えたらあたしは幸せな女になれるんだろうがとちらと頭を過ぎった、が、自分に嘘はつけない。
「う、実は、かなり」
頷くと、伸下は笑った。
「じゃあ行けるトコまで俺が運転するから。きりのいいところで代わってくれるか」
「うん」
三池は大きく顎を引いて助手席に乗り込む。
車の精度もいいけれど、伸下のドライビングの腕前もさすがだ。マニュアル車なのに、難なくギアチェンジしてスムーズに郊外へ抜け出した。走行速度も安定している。その上、飲み物を買ったり休憩したりで適度にパーキングエリアにつけて休息も忘れない。
同乗者のことを気遣うのに慣れていることが分かる。
「ほら、冷たいやつ」
海を見下ろす道に面したガードレールに軽く腰を預けて休んでいると、後ろから伸下の手が目の前に突き出された。その手にはカフェオレの缶が握られている。自販機で買ったのか、一角がすこし歪んでいる。
「あ、サンキュー。お金……」
バッグに手を伸ばしかけて、伸下はそれはいいよと目で止める。
「お前はコーヒーよりそっちがいいんだよな」
「うん」
好みをちゃんと知ってもらえていて、嬉しくて三池はプルリングを折るのがなんだか勿体無く思える。
そうだよ。あたしたちもう友達じゃないんだよ。
割り勘とか身についてしまってるから。……だめだなあ。
こういうとき、飲み物とかおごってもらったとき、するっと「ありがと、嬉しい」って笑って言えたらきっと可愛い彼女なんだろうけどな。
だめだなあ、あたし。
「飲まないのか。開けてやるか」
隣に腰を下ろした伸下が、手を差し出してくる。
「あ、うん」
「お前今日綺麗な爪してるからさ。折れると嫌だろ」
「……気がついてくれてたんだ?」
昨夜、念入りに手入れして塗ったネイル。何時間もかかった宝石のような指先。
目に留めてくれていたのが、こんなに嬉しいなんて。
「気がつくよ。高いヒールも着慣れないスカートも」
プルリングを太い親指で折って、ほら、と缶を返す。
「普段しないピアスも、今日だけのマニキュアも、嬉しいし似合ってる」
短く切り揃えた伸下の前髪が風を受けて踊る。間近でそれを見ていたら、なんだか不意に泣きたくなった。
「……伸下」
キスして。
囁いた声を、風が浚う。
でもちゃんとそれは彼に届いた。一瞬、目を糸のように引き絞って、伸下は顔を近づけて三池にくちづけを贈った。
「……」
「……」
時が止まる。二人の周りだけ。
誰がなんと言おうと、昔、この人と一度ホテルに行ったことがあろうと、伸下とのキスのカウントはここからだから。絶対。
夢のような心地で三池はまた目を閉じた。
(この続きは9月発刊予定の記念誌その2「Immoral Summer」にて! よろしくです)
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だってあたしの恋愛遍歴は、全部というかほとんど伸下に知られてる。悔しいことに。
失恋するたびに呼び出して一部始終顛末を聞かせた張本人はあたしだ。だから自業自得ではある。
そんな「ともだち」の範疇だった男が、今やあたしの恋人の座に収まっている。ごく自然に。
三池はだから考える。
伸下って、どんな子と今までつきあってきたんだろう?
訊いてみたいけれど、今更の気もしないでもない。昔のことを持ち出して、自分自身がやぶへびになるのが怖い気もするし。
あーあ。あたしの手の内は向こうに全部知られているのに、こっちにはカードが全くないなんて。この恋は分が悪いなあと三池は頭を掻くしかない。
八年も友達でいさせたツケか、いざ付き合い始めてもどうも伸下とはなかなか甘いムードにはならず。
「おっ」
「よう」
なぞと寮の門での待ち合わせの挨拶も、まったく恋人同士っぽくならない。これではいかんと三池が少し語調を和らげる。
「ごめん、待たせた?」
腕時計を見ると、待ち合わせの時間にはまだ間がある。でも伸下が当たり前のように先に来ていた。
「いいや。こんなの待ってるうちに入らない」
お前一度人を飲みに誘い出しておいて、部隊のほうの飲み会とかぶったって思い出してそっちに行って、すっぽかしたこともあったよな。伸下はそう言って笑った。
「いやああんときは三時間も待って結局来なかったんだから、あれに比べたら全然」
屈託ない笑顔を見せる。三池はしまった自爆ったかと焦り言葉をかぶせた。
「だから、ごめんって。時効じゃんそんなの」
「そうだな」
「待たせた? とかこっちが殊勝に出てるんだから、あんたもいや全然とか定番の台詞言いなさいよ」
「なんだそれ、強要かよ」
「そ、そういうわけじゃないけどさ」
少しはデートっぽくしたいじゃん。とは言えない。
あーもう!
「いいから行こ行こ。車、知り合いから借りてるんでしょ」
遅れたら失礼だって。話を切り上げさせるように、ぐいと伸下の手を引いた。
伸下は引かれるままに、植え込みのブロックから腰を上げ三池の後からついてくる。
「そんな慌てなくても大丈夫だよ」
そう声をかけられるものの、三池は聞こえない振りで伸下の手を握ったままでいた。
どさくさまぎれだってばれるかな。
手をつなぎたい気分なの。
自分より少し体温の高い、厚みのある伸下の手のひらの感触が心地いい。
急ぐ振りで訓練速度で歩を進めていく。これについて来れる男だと確信がないと、このスピードは出せない。
「お前、今日綺麗だな」
不意に背中に声を置かれて、慣れないヒールがぐらつく。
「あっ」
「おっと」
よろめいたところを、伸下に背後から抱きとめられ、がっしりした腕に囲われる。
「大丈夫か。気をつけろよ」
声が近い。さっき手から感じた体温が、洋服越しに伝わり、ほんのり自分の身体も上気するのが分かる。
「ご、ごめん。いきなり伸下が、変なこと言うからびっくりして」
「変なこと? 褒めたんだろ、お前を」
けげんそうに首を傾げる。ノースリーブのブラウスと、脚のラインがきれいに見える膝丈のスカートを身に纏った今日の三池は、誰がどこから見ても「綺麗なお姉さんは好きですか」という感じだ。訓練時は後ろでひとつに束ねている、肩甲骨までの髪も背中に流している。
「こういうかっこも似合うな、お前」
言った自分の台詞に急に気恥ずかしくなったのか、伸下は腕を離した。
「……頑張っちゃってるオーラ満載で、痛くない?」
初デートだと思って少し気合を入れすぎたか。自分で気になっていた分だけ、指摘されるときつい。地面に声を置くように呟いてみる。
伸下は「なんで? そんなこと全然ねえよ」とこれも地面を見ながら返した。
「それに、俺とのデートでおしゃれを頑張ってくれたんなら余計嬉しい」
「……あんたはまた、そういうことぬけぬけと」
「照れてるのかお前」
「うるさい」
反射で三池はこぶしを容赦なく伸下の腕に叩き込む。
「いてて」
「あ、ご、ごめん、つい……」
これまでの習性で。焦って自分の手を押さえる三池。
「いいよ、お前はそんくらいで。気にするな」
けろりとした顔で、今度は自分から三池の手を握りなおし、伸下が先に立って歩き出す。
さりげなく女の子速度にペースを落として。
「つっぱらかってるくらいのほうが、お前は可愛い」
でも足元に気をつけて歩けよ。前を向いたまま言って、伸下は三池をエスコートしていく。
自分より少し背の高い、がっちりした肩の辺りに目線を置いて、三池は思う。
ああ……つくづく勝てないなあ、この男には。
完璧、白旗だわ。
三池は大人しく彼に従う。どこをどう取ってもかなわないと分かって、なおかつ嬉しさがじわじわこみ上げてくる男もまた伸下だけなのだった。
八年って、口で言うほど簡単な長さじゃない。小学校に入学した子が、あと一年で高校生になるっていう長さだ。それを思うと、なんだか三池は気が遠くなる。
あたしは伸下みたいないい男を八年も袖にして、いいように鼻で使って舎弟みたいに扱って。
振られたときのクッション役にしていた。
伸下が決して断わらないのをいいことに。嫌な顔をしても、最後の最後まで面倒を見てくれるのをいいことに。
「こいつのこと好きかも」という気持ちを「こいつは信頼できる」に置き換えて、甘えきっていた。
……ごめん。ごめんね伸下。今はほんとにあんたのこと好きだよ。
なんでいままで友達としか見られなかったんだろうって不思議になるくらい。一秒だって離れていたくないくらい。
あんたが好き。
ドライブデートということで、知り合いが貸してくれた車はなんとセリカだった。色は黒。しかも、マニュアル車だ。
ハイグレードのスポーツカーに目がない三池はあたしに運転させてえと懇願しかかって、ふと我に返る。
だめだめ。ここはやっぱし伸下に任せるべきでしょう。初デートで彼氏からハンドル奪って嬉々として車を駆る図っていうのは、傍から見なくても相当痛いはず。
「運転したいのかお前?」
キイを握りなおしながら伸下が尋ねる。見透かされてる。ここでううん、助手席がいいとか言えたらあたしは幸せな女になれるんだろうがとちらと頭を過ぎった、が、自分に嘘はつけない。
「う、実は、かなり」
頷くと、伸下は笑った。
「じゃあ行けるトコまで俺が運転するから。きりのいいところで代わってくれるか」
「うん」
三池は大きく顎を引いて助手席に乗り込む。
車の精度もいいけれど、伸下のドライビングの腕前もさすがだ。マニュアル車なのに、難なくギアチェンジしてスムーズに郊外へ抜け出した。走行速度も安定している。その上、飲み物を買ったり休憩したりで適度にパーキングエリアにつけて休息も忘れない。
同乗者のことを気遣うのに慣れていることが分かる。
「ほら、冷たいやつ」
海を見下ろす道に面したガードレールに軽く腰を預けて休んでいると、後ろから伸下の手が目の前に突き出された。その手にはカフェオレの缶が握られている。自販機で買ったのか、一角がすこし歪んでいる。
「あ、サンキュー。お金……」
バッグに手を伸ばしかけて、伸下はそれはいいよと目で止める。
「お前はコーヒーよりそっちがいいんだよな」
「うん」
好みをちゃんと知ってもらえていて、嬉しくて三池はプルリングを折るのがなんだか勿体無く思える。
そうだよ。あたしたちもう友達じゃないんだよ。
割り勘とか身についてしまってるから。……だめだなあ。
こういうとき、飲み物とかおごってもらったとき、するっと「ありがと、嬉しい」って笑って言えたらきっと可愛い彼女なんだろうけどな。
だめだなあ、あたし。
「飲まないのか。開けてやるか」
隣に腰を下ろした伸下が、手を差し出してくる。
「あ、うん」
「お前今日綺麗な爪してるからさ。折れると嫌だろ」
「……気がついてくれてたんだ?」
昨夜、念入りに手入れして塗ったネイル。何時間もかかった宝石のような指先。
目に留めてくれていたのが、こんなに嬉しいなんて。
「気がつくよ。高いヒールも着慣れないスカートも」
プルリングを太い親指で折って、ほら、と缶を返す。
「普段しないピアスも、今日だけのマニキュアも、嬉しいし似合ってる」
短く切り揃えた伸下の前髪が風を受けて踊る。間近でそれを見ていたら、なんだか不意に泣きたくなった。
「……伸下」
キスして。
囁いた声を、風が浚う。
でもちゃんとそれは彼に届いた。一瞬、目を糸のように引き絞って、伸下は顔を近づけて三池にくちづけを贈った。
「……」
「……」
時が止まる。二人の周りだけ。
誰がなんと言おうと、昔、この人と一度ホテルに行ったことがあろうと、伸下とのキスのカウントはここからだから。絶対。
夢のような心地で三池はまた目を閉じた。
(この続きは9月発刊予定の記念誌その2「Immoral Summer」にて! よろしくです)
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おっとその前にもう一度「クジラの彼」を読み返さねば♪
これから監修作業受けて印刷所にいければいいな、と。
になさん、本日「LESSON]発送いきますので、受理方よろしくお願いいたします。