背中合わせの二人

有川浩氏作【図書館戦争】手塚×柴崎メインの二次創作ブログ 最近はCJの二次がメイン

塩の街の花嫁(秋庭×真奈)

2023年11月23日 03時08分07秒 | CJ二次創作
「真奈、きょうの映画選んでくれ」


高範さんがご飯を終えてあたしに言った。
彼のお仕事がオフの日の夕食の後、リビングでまったり寛ぐのがあたしと高範さんの日課。
お互い好きな飲み物を持ち寄って、ソファに座って映画や動画を見る。食洗機なんていうぜいたく品は、うちにはまだ備わっていないので、手動で洗い物をするしかないのだけれど。
でも、
「食器洗いしてからじゃなくていいの? 溜めておくと……」
あたしが言うと、
「俺がやる。いいからお前は座ってろ」
高範さんはコーヒーを淹れてキッチンからやってきた。あたしのマグカップだけ。
ミルクも砂糖も淹れるあたしの好みを、すっかり覚えてくれている。それをあたしにほれ、と手渡す。
受け取っていいものやら、迷ってあたしは言ってみた。
「でも、今日の洗い物はあたしの番……」
「いいから座れ。映画を選べ」
お前が見たいやつな、とびしっと指示を出す。そして自分はキッチンに向かった。
高範さんはひとに優しくするとき、怖い顔をする癖がある。出会った頃からずっと、夫婦になってもそれは変わらない。そのことを愛おしく思いながら、あたしは
「はあい」
と頷いた。何にしようかなとコーヒーを持ったまま、ラックに並んだディスクを選ぶ。
こないだはSFだったから、今夜はアクションにしようかしら。でも、甘いラブロマンスもたまにいいよね……。
でも、高範さんはあまあまは、きっと好まなそう。もちろん、あたしが選んだら付き合って見てくれるだろうけど、自分からはチョイスしないだろうなあ。
むむむ、こうなると、選択が難しい。
高範さんがキッチンで洗い物を始める音がする。生活音が聞こえるというのは、誰かと一緒に暮らせるというのは、とても幸せなことだ。塩害の後はなおさら実感する。
シンクの前に立って高範さんは、長考に入ったあたしを見つめる。とても穏やかな顔をして。




夫婦になって、まだ間もないあたしたち。塩害が終わってからの新生活も、まだ決して軌道に乗ったとはいえない。
自衛隊に戻った高範さんと、あたしは自衛官の夫婦用の官舎に入ることになった。
傍から見ればおままごとみたいな、夫婦生活かもしれないけれど。あたしは幸せ。
この上なく、幸福だった。


ーーあ……。
あたしはソファのアームレストからむくっと身を起こした。
目が覚めた。いけない。いつの間にか、眠っちゃってた? うたたね、してた。
せっかくの映画の夜だったのに。やっぱり……医療ドラマじゃなく、アクションにすべきだった。難しい専門用語が出てきたあたりから、記憶がないーー
と、そこまで考えて、ふと気がつく。ソファに凭れて眠っていたあたしに、ブランケット代わりに掛けられていたもの。
これは……真っ白い、ウエデイングドレス?
あたしはにわかに信じられず、ごしごしと目をこすった。
何か夢の続きか幻でも見ているんじゃないかと思って。
胸元が大きく開いたデザインの、ビーズをふんだんにあしらったチュール。八分の丈の細身のスリープ。ハイウエストで切り替えた、たっぷりとシフォン素材の生地を何重にも重ねた、お姫様が着るみたいな広がったドレススカートの裾。ふわふわで、さらさら鳴る衣擦れの音が心地よい。
驚きのあまり動きが固まったあたしに、「起きたか」と優しい声がかけられる。
あたしは隣に座っている高範さんを見た。
彼はマグカップを持ったままーーあたしが寝落ちする前の姿勢のまま、ゆったりと背もたれに凭れてこちらを見ていた。
「たかのり、さん……これ」
どうしたの。と聞きたいけれども驚きすぎて声が出ない。
あたしは、うかつに触れられないと思った。ドレスがあんまりきれいで、真っ白すぎて、手なんか触れたら夢みたいに消えてしまいそう。
驚いているあたしを高範さんは少し、照れたように見つめた。テレビに流していた映画のディスクはとっくにエンドロールも終わっている。
高範さんはテレビのスイッチをリモコンで切った。
「遅くなったけどようやく手に入ったんだ。新品のウエディングドレスーー悔しいが、入江のツテを頼った。純粋の国産だぞ。たぶんサイズも合うと思う。着てみてくれ」
あたしはまた驚くことになった。
「新品なんですか、これ。うそ」
と息を呑む。
このご時世、結婚式も披露宴も挙げず、入籍だけで済ませるカップルがニューノーマルになって久しい。実際にあたしたちも婚姻届けだけ役所に提出して「夫婦」になった。
実を言うと、ちょっとだけ、調べたことがある。今どきのドレスの価格の相場ってどのぐらいなのかあと思って。塩害の前は、式場お抱えの貸し出し用ドレスが結構それなりのお値段で揃えられていたらしい。それが例の混乱期に市場に流れて(強奪されて)、ネットなどで闇取引、違法な金額で売買されているとのことだった。
どうしてもドレスを着て結婚式を挙げたいカップルは、レンタル落ちのそれらのドレスは入手可能だということだったけれども、それでもン十万円から、ウン百万という高額の取引がされていた。
ぜいたく品の最たるものだもの。ウエディングドレスなんて。一生に一回、袖を通すためだけに作られる衣装。
そのためだけに高いお金を払うのは、難しいわよね。
あたしには手の届かないものだわと、そっと諦めていたのだけれども。
高範さんは今さらっと国産の、と言った。しかも、新品だなんて。どんなルートを使ったというんだろう。
入江さんに、いったいどんな借りを作ったんだろう。あたしは考えるだけでぞうっとした。
ドレスの肩のあたりをおそるおそる捧げ持ち、
「い、いったいおいくらくらいしたんですか。これって、た、高範さんのお給料の何か月分??入江さんの交換条件ってなんですか。きっとなにか無茶な要求なさいましたよね」
声が震えた。
高範さんはむうっと口を引き結んで声のトーンを落とした。
「開口一番、金の話と入江への借りの話か。ドレス自体は喜んでくれないのか、真奈」
「あ」
あたしはさっと血の気が引くのを感じた。
慌てて彼に詰め寄る。
「ごめんなさい。嬉しい。とっても嬉しいの。でも、なんだか夢みたいでーードレスなんて着るの、諦めてたから。いきなりこんな風にもらってびっくりしたの。素直に喜べなくて、ごめんなさい」
ドレスをぎゅっと抱きしめて胸に押しいだく。さら、とまた衣擦れの音がした。
鈴を転がしたような、きれいな音。
俯いたあたし。その頭を、高範さんはため息をつきながらぽん、とはたいた。
大きな手で髪を撫でられる。
「高範さん」
「サプライズしたくて、こんな風に寝込みを襲って悪かったな。もっとしっかり手渡せば余計な心配を掛けずに済んだ」
ごめんなと目で詫びる。
あたしはなんだか涙ぐみそうになった。この人の優しさは分かっているはずだった。不器用な人。誤解をされがちな人だと分かっているのに。
でも、寝込みを襲うって……。それって。
「なーにを笑ってんだ、お前は」
ぐりぐりと撫でる力が強くなる。あたしは歓声を上げて彼の手から逃れようとした。
「だって、寝込みを襲うだなんて言い方。おかしいでしょう。犯罪ですよ」
「それもそうか」
高範さんが、ナルホドと言う顔をしたのがまたおかしくて、あたしはくすくす笑った。彼もつられて笑いだす。
ひとしきり笑った後、真顔にかえって高範さんが言った。
「ドレス、着てみてくれ、真奈。お前に着せたくて、用意したんだ。遅くなったけど二人きりで結婚式を挙げよう」
「ーーはい」
嬉しい。あたしはドレスを丁重にもち上げて、シフォンの生地にそっと頬をうずめる。
口紅、塗っていないから、いいよね。そんなことを想いながら、そこに口づけを落とした。
高範さんが選んでくれた。あたしのためのドレス。
彼の想い、愛情、全てが詰まったドレスに袖を通す喜びに、心が震えた。




ドアに手を掛けると、しゃら、と裾が鳴る。
寝室を着替え場所にしたあたしは、身なりを整えてリビングに向かった。
「高範さん、どうですか?」
ソファに座っている彼はこころなしか緊張して見えた。いつも姿勢がいい人だけれど、今夜はより背筋がピンと伸びていた。
呼ばれてこちらに視線を移した。動作がぎこちない。首を巡らし、あたしに目を留め、わずか見開く。
呼吸と瞬きを忘れたように、ウエディングドレス姿のあたしを高範さんは凝視した。
「……」
たっぷりと十数秒、高範さんは言葉を失った。
彼にしては珍しい。ポーカーフェイスを作れなかった。
ただ、あたしに視線を注ぎ、硬直した姿勢のまま身じろぎもしない。
あたしは、照れた。
予想以上の反応だったから。照れくさい。
身体の後ろで手を組んだ。そうか、花嫁が手にブーケを持つのは手持ちぶさたを避けるだけじゃなく、人目を集める気恥ずかしさから逃れるためでもあるのね。
もう片方の手は、新郎の腕に絡めればよいのだし……。
そんな風に思っていると、何か言葉を象ろうと高範さんの口が動きかけ、逡巡し、違う言葉を送り出すのがわかった。
「ーー髪、まとめたんだな」
第一声が、それだった。
あたしは、ああ、これですかとシニヨンにしたまとめ髪を触って見せた。
「まとめたほうが、ドレスがきれいに見えるかと思って。変ですか?」
下ろした方がよかったかな。と後悔しつつ尋ねる。
「いや、似合ってる」
「よかった」
「化粧も、してるか?」
まぶしそうに目を細めて高範さんが訊く。あたしは頷いた。
「ええ。せっかくドレスをもらったので。少しだけ。普段、全然お化粧ってしないから、時間、かかっちゃいました」
やっぱり手を抜いちゃだめですねと笑って見せる。
でも、化粧品ってお高いのだ。昔、ドラッグストアで安価に手に入れられていたのがウソのように。
だからあたしも、高範さんとちょっといい所へお出かけ以外、普段は滅多にしない。
だけど今夜は。特別だから。
髪もまとめたし、メイクもしっかり肌に載せた。一番きれいなあたしを見てほしくて。あなたの前に、美しい姿で立ちたくて。
なのにーー
「きれいだって、言ってくれないの、高範さん。ドレス、似合わないですか」
心がしおれそう。あたしはうつむいた。
涙がにじんでくるのを堪えた。せっかくメイクしたのに、睫毛もビューラーで巻いてマスカラで整えたのに、泣いたら剥げちゃう。
言われた高範さんはぐっとどこか痛むみたいな顔をした。
「き、きれいだ。すごくドレス似合ってる。あんまり真奈がきれいで、びっくりして、声が出なかったんだよ。すまん」
慌てて言葉を継いだ。
あたしは「ほんとう、ですか? お世辞言ってない?」と彼に詰め寄る。
「俺が世辞なんて言える男かどうか、お前が一番よく知ってるだろうが」
「確かに」
「ひでえな。ーーでも、本当にきれいだ。想像以上だ」
そう言って、あたしについと手を差し伸べた。いかつい手。ファイターパイロットの手だ。
出会ってから何度も何度もあたしを助け、救ってくれた大きな厚みのある手。それに、あたしはそうっと自分の手を預ける。
高範さんはあたしを自分の方へ引き寄せ、ソファに座らせた。というより、膝の上に抱っこした。
しゃらんと、また裾が軽やかに鳴る。
「あ」
「あんまりお前がきれいだから見とれて言葉が出なかった。拗ねないでくれ」
腰に手を回し、抱き寄せられる。
至近距離で、この人に密着するといまだにあたしはどぎまぎしてしまう。心臓の高鳴りを感じながら
「拗ねてません……きれいって言ってもらえて、嬉しい」
と、こつんとおでこに自分のおでこをくっつけた。
高範さんは間近であたしの眼を覗き込み、
「真奈……。軽いな、お前は相変わらず」
そう囁くから、あたしは今度こそむうっとした。
「花嫁衣裳を着た妻に次に言うのが、それですか。ひどっ」
「ひ、ひどって。俺はただ、お前が少食だからちゃんと食ってるのか心配で」
「にしたって、時と場合があるでしょう。こんなにロマンチックなのに、重いとか軽いとかそういう話題をここで出すなんて」
「す、すまん。悪かった。デリカシーがなかった、この通り」
高範さんはあたしから手を離し、拝むように両手を合わせた。
泣く子も黙る秋庭一尉が、ウエディングドレスのあたしを膝に乗っけて、身を縮めて謝る姿が姿がなんともちぐはぐで。あたしはうっかり吹き出してしまう。
ぷぷっ。
「真奈」
「高範さんがデリカシーがないってことは、とっくの昔から知ってますよ」
あははと肩をゆすって笑う。そんなあたしを見てほっとしたように彼は眉を下げた。
「お前も、言うようになったなあ。そんな皮肉、言うやつじゃなかったのに」
むにっとほっぺたを両方からつままれた。
「変な顔になっちゃう、止めて、高範さん」
「ははは。せっかくの化粧が台無しだな、奥さん」
どき。
高範さんのその呼び方が新鮮で、心臓が跳ねた。
「ウエディングドレス着た奥さんに、キスをください。ねえ、旦那様」
あたしは高範さんに甘えた。身を心持ち寄せて、上目でお願いする。
高範さんは、あー……と一瞬だけ何かを考えるそぶりを見せた。そして、
「言っとくけど、キスだけじゃ止まんねえぞ、今夜は」
スイッチ、入っちまうとぼそりと呟く。
「……じゃあ入れちゃう」
ちゅ。あたしから、珍しく口づけを刻む。
高範さんはわずかばかり身体を硬直させた。そして、あたしが唇を離すと真っ赤になって言った。
「~~お前は、っとに~~」
以下の言葉を省略して、貪るように唇を重ねてきた。
濃厚な口づけの音だけが、リビングに充満する。
しばし互いの唇を味わったのち、はあと息継ぎをして高範さんが言った。
「場所、変えるぞ。寝室にいこう」
そして、あたしをひょいっと抱き上げる。いわゆる「お姫様抱っこ」の要領で。
あたしはバランスを崩さないように反射で彼の肩にしがみついた。
ふわりと風をはらんでドレスの裾が膨らむ。
幸せの残像のように、あたしの目に映る。
あたしを抱いて、部屋を移動しようとした高範さんの耳元であたしは言った。
「あの、提案なんですけど。場所、別に寝室でなくてもいいですよ」
このまま、ここでも。
「ーー!」
高範さんは今度は本当に絶句した。ゆでだこみたいに真っ赤になる。
ドアまで行きかけた足を止め、
「お前、ほんとにーーお前が俺のスイッチ入れたんだからな、真奈。覚悟しとけ」
後から苦情言っても聞かねえから。そう言いおいて、その場にあたしを押し倒した。
リビングのラグが、あたしの背中を受け止める。
全然捨て台詞に聞こえませんよ、高範さん。
あたしを押し倒すときもそれはそれは丁重に、まっさらなシーツの張られたふかふかのベッドに横たえるみたいに扱った。
大好き、高範さん。
あたしの、愛しい旦那様。


一心不乱にあたしを愛し始めた彼の背中に腕を回しながら、うっとりとあたしは純白のドレスを彼に脱がされていくときめきに満たされていた。


(END)

懐かしいCP! 弓きいろさんのコミカライズを読んで再燃。有川作品はやっぱしいいですね~ 


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