【自動】私は愛によって創られた存在だ。私が創り出すものもすべて、愛によって生まれる。私が発する言葉は、私の中にある愛に満ちた場所で生まれる。
【自動】☆あなたはダイヤモンドの原石です。☆磨けば光る素質はまだまだ無限に伸びて行きます。☆何があっても大丈夫!☆いかなることもしあわせ。あなたをますます輝かせ、しあわせに導くためのもの。
心の平和は、許しを実行できた時にだけ得られます。許しとは過去を手離すことであり、過去の誤解を解きほどく方法なのです。 ジェラルド・ジャンポルスキー
【自動】☆あ:ありがたし☆い:いつくしみ☆う:うれしく☆え:えんじょい☆お;おおらか。さんはい♪
持たざるものを持った者が分かち合うことは自然な流れであり、その分かち合いを拒否するから苦しみが生まれる。豊かなるものは必然的に分かち合うようにできているようだ。
豊かとは物質的なものとは限らない。情報、知恵もそのひとつであるのだろう。バランスを保つ、すなわち調和の精神が心をおだやかにしてくれる。右に倒したら、今度は左に倒す。そうやってバランスを持つこと。人間はバランスだ。また知恵に関しても知ってしまう苦しみがある。その責任は全うすること
もし、あなたが波動を高めたら必ず周りの環境も浄化する。その高い波動によって追い出された低い波動はあなたを攻撃してくるかもしれない。それでも許すことができるか。それの心を変えさせることができるかどうか。どんな環境でも「耐える」これが重要なんだろう。誰の責任でもない。自然な流れ
波動の高い1日の自分の行動や思考、思いついたことを書き留める。それが道を開くことになるかもしれない。
花火には陰気なものを払って、明るい心で歩いていく作用があるようです。写真にしても明るいです。去年は3.11により中止となるところがほとんどでした。今年は待ちに待ったという感覚があるでしょうから、より大きな賑わいを見せてくれるでしょうね。それだけ気持ちが籠もってますからね。
カウンセラーで時間とお金を使うより、自分でいろんな本やブログなどの情報を使って、セルフカウンセリングした方がどんなに安くすむかわからない。すごいカウンセラーは深いところの感情を解放していく。自分の中の気づいていないところを見抜く目を持つ。自分でやるときには「感じる」ことに注意する
いろんな人を見ては自身の心の闇を見抜くのもよいだろう。大体、嫌いな人の中に自分の眠れる姿があるのだから。それもいいが、まず呼吸法と内観の作業、自己の内側を観ること。穢れを祓うというのは「エゴ」を取り除くことともいえる。
ぬいぐるみのテッドくんの映画をみた。主人公は子供のころ、友達がいなかった。だから友達が欲しくてお月様に願った。その願いが聞き届けられ、ぬいぐるみに命が宿った。しかし、そのぬいぐるみのテッド君は主人公と一心同体であり、決して離れようとはしなかった。それを見て、これは○○だと思った。
「エゴ」です。幼少期の寂しい心が魔力によってテッド君を生み出したのです。あるはずのない現実を作り出してしまった。ある種の魔物というわけだ。実際にテッド君は主人公が大人になる頃には口がかなり悪くなっていて、
麻薬も酒も女も(不思議なのはテッド君はセックスができる。ちんこがどこにあるのか不明)すべてをそろえてしまう。なんでもうまくこなしてしまうすごい能力の持ち主なのです。そのテッド君と主人公との結びつきを(依存関係)変えていくある人物がいました。そうです。
そうです。主人公はいつもダメな人間で、年齢が35になっても、心が幼稚で5歳のときのまま時が止まったかのような状態です。いつもテッド君に呼ばれたら、心が動いて約束をすっぽかすことも平気です。その縁は彼の彼女がキーワードで、自立へと向けた決意を立てます。
ほとんどネタバレで申し訳ないが、彼の勇気にはすごく心動かされるところがあるように思いました。テッド君は彼の「エゴ」です。自立を阻止するためのもう一人の「エゴ」でありました。彼女のお蔭で自立を果たすことができますが、エゴに向き合うことはかなりの苦痛を伴います。
依存関係や幼少期のトラウマとの対峙ほどつらいものはありませんが、見えなくなっていたものを再び見ることで解決することになるわけです。距離が近すぎて見えなくなっている場合もあります。その場合は離れればいいわけですが、離れると同時に問題が起きることがある。過去の自分をもう一度覗くこと
エゴの発する「痛み、苦しみ、否定、絶望、拒絶、怒り」ネガティブなものとの付き合いが長いと手放すことができない。失うことを怖れ始める。過去の住人といつまで仲良くすれば気が済むのか。古いものは無くなり、新しいものが生まれる。新しいものとの交換が自然と行われる。変化を怖れない。
エゴの誘惑は変化する必要などないと言います。エゴは今のままでいいと言います。ときには休息が必要になる。けれども、ずっと今のままでいいと本当に想えるのだろうか。自分の中の魂の願いはほんとうにそう思っているのだろうか。細胞は常に変化している。変化は常に起きているんだ。
事件や事故、災い、問題も振り返るためにある。それらは自身のエゴを見つめること、自分の魂の願いに気付かせること、何かに気が付かせるためのメッセージであるからして、悪いものとして処理してはならない。時を無駄に流しては惜しい。無駄にしないとは気づくことではないかと思う。
すべてのエゴをもし削ぎ落としたら、恐らく「愛と感謝、喜び」のようなものしか残らないのかもしれない。ほとんどがエゴの声なのだから。90%エゴの声の中にピュアな魂の声が10%沈殿している。それを知るためにはエゴを掻き分けていくしかない。エゴと対峙するしかない。
怖さと向き合うことは辛いことだ。けれど、ある人の本にはこう書いてあった。「怖いと思ったらその道を進む。嫌だなと思ったらその道を進む」ということだ。これぞまさにエゴと対峙する道のひとつなのかもしれない。ということを映画からまた気づかされました。ありがとう。