∞開運ひとりごと♪~強運人生一本道∞ ☆(・∀・)!

人の中にはすべてがある。求めよ、されば与えられん
ブログには気づきがある。
私という世界でたった一つの物語

2014/4/12までの思ったこと

2014-04-12 | 日記




金運上昇のヒントはトイレにありますが、トイレの気の循環がいちばん大切だそうです。そのために換気扇などがついていないところでは窓を開けて換気するとか、他に時計などの流動物を置いておくと気が動きます。または部屋の中心にキラキラするものなどを置いて陽の光が反射されるようにするといいかもしれません。


自己評価の低い人は体のケアを怠るそうです。体のいろんな気になる部分を改善解消していけるように、魅力が上がるように日々の努力です。美人美男は日常生活も品があって美しいし体のケアもしていると思われます。努力は1日にしてならず継続してこそ効果の上がるものです。例えば今世ブサだからといって磨く努力をしなかったとしましょう。するとどうなるか?来世もブサなわけです。それが嫌なら今から少しでもできることをしていくことです。


真面目な話を聞きたがっている人もいるということを面白く思いました。真剣な話を真剣に聞いているのではなく、面白く楽しく聞いているのです。人間というものは人として当たり前のことや基本的なところを深く共感しているんですね。深い話を嫌がるのは避けているだけです。思い出したくないことがある証拠です。臭いものには蓋をせず開ける!たくさん臭わせておかなければ重い腰をあげません。

人が人とコミュニケートするときには想像力機能を使って共感している。すなわち「感じながら話している状態」、お互いに人と人がコミュニケーションするということはそういうことなんだよね。

「つながっている」これこそがcommunication


女性にしてみたらどんな男性と繋がり続けたいのか?ということを考えると自分がどうなりたいのか?ということが見えてくるでしょう。繋がった男性の何かに影響されていくのが女性だからです。なぜなら女性は陰性という極性が元々定められているからです。


人の感覚は以前よりも鋭くなっているので、この人良さそうだなあと感じたら良いものを持っているかもしれません。良いというものの考え方は人によっては良いものであっても、違う人によっては悪いものになる場合があるために直観に頼るところで考えると、今の自分に必要な人かそうでないかということになりますね。


種を蒔く人ということで、女性にモテたい男性は女性に対し、小さい頃から幸せを与えてきたでしょうか?もしコツコツと女性を幸せにしてきたなら、いつか必ずモテます。そうでなく逆に傷つけてきたような人の場合は侮辱され続けて孤独になってしまうかもしれません。基本的に人は愛すれば愛される存在だからです。


人が苦労してつかんだものを簡単には手離さないと思います。簡単に教えたりはしないのは当然ですが、徳という考えからすると、渡して行くほうが良いということになります。どういうことを話していくかによりますけれども、苦労して自分がつかんだ情報を誰かに教えてあげる。すると末広がりで幸せがいつか転がり込んでくる。若い人が年上に教えてあげることだっていいと思いますよ。


与えられる時期が来たら与えればいい。それまでは与えられなくてもいい。与えることにこだわることもない。与えられるものがないなんて卑下しなくてもいい。与えるということがどんなに小さくてもいいのです。小さな一歩こそ人類が進化するために必要なものであって、実は大きな一歩になっている。


情報を教えるという具体的なことでなくても与えるというのは聞いてあげることだけでも与えたことになる。それは優しさを与えたことになるからです。


神はいつもあなたのトラブル時の乗り越え方を見ています。
問題があったときにどうするだろうか?どんな風にして終わらせるのか?



ストレスが溜まる一方愚痴が増える一方な人たちがあふれています。客観的に余裕をもって対処する知恵がないからであろうと思う。ストレス対処法をしっかりと身につけないと怒り狂ってやらかすかもしれません。苛ついたら紙にそのことを書いてグッシャグシャにして破り捨てるといいらしい。


パートナー選びには一緒にいて心地がよいとか肌の調子がよくなるとか良い兆候を感じられるならば最適な相性であるらしい。


誰にでも試練は訪れるようです。その試練の時期というものはいつ訪れるのかはわかりません。来た時に快く受け入れるしかないようです。試練の度にステップアップが起きている。風邪を引く度に体調が悪くなって苦しいけれども、体や心には良い作用が見えないながらも起きている。そう考えて掃除してくれているんだな。ありがたいと感謝するようにしていれば試練という試験には合格して次なるステップの試練を待ちます。


いっぱい間違って。色んな所をみてきて、それでようやく本物が分かる。善人と悪人を見て中間が分かる。人間は失敗するようにできているようです。それはいろんな経験をさせるためであろうという人間の設計者の親心がそのようにさせるのでしょう。汚れやすい(付着しやすい)から掃除する。どんなものでも吸収する。吸収したら分類して整理する。
バカな人間だと自分で自分を貶しながらもようやく本物に出会える。


今ある環境の中で少しでも良くするようにやってみる。ちょっとでも良くなる効果が期待できるならばやってみることだ。それで自分の居心地がよくなるならばやってみることだ。それで自分が満足できるならばやってみることだ。


「心から感謝」できるようになれないと「ほんっとにありがとう!」というようなことは舞い込まない。どういうときに感謝するのでしょうか?何かしてもらったときだけ感謝するのでしょうか? 幸せな人はいつでも「ありがとう!」が癖になっているような人だと思います。小さな感謝


芸能人のように人の注目を集める(パワーを集める)ことで自分を強化しようとする人もいます。持って生まれたカリスマ性がそうさせるという人もいるかもしれない。だからといってパワーで解決するより、問題は自分の中で「理解して実行する」をやって解決する方がいい。


不幸災難苦難は自分の我(エゴ)を取り除くための修行です。例えば幸せになってしまったら、傲慢な性格を直せないとか、愚痴っぽい性格を直せないなど幸せになりたいならばどこを直すべきなのか?ということを訓練するしかありません。
間違いを修正する修行とはどんなに厳しくても挑戦したいという意欲を持ち続け、トライ・アンド・エラーの精神で行動すればきっとその願いは神仏に聞き届けられ、ヒントくださることと思います。


苦しいことがあるとひねくれた枝のように心がひん曲がって皮肉しか言わなくなります。それが普通です。でもその普通のことを普通のままにやっていていいのでしょうか?流されるままに流されていいのでしょうか?こういうことをされたからといって同じことをしていいのでしょうか?苦しいからこそ苦しみを取り除くためにどんなことをすればいいのかを考えます。二度と同じことをさせないために



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。