神は人が停止していることを望まない。一?前に歩き出したものに手を出す。人のオーラが輝いているような前向きな姿勢にある人を応援したくなるように。人間が苦境の極限状態になると、運命が転換するようなことが起きる。反転する人生です。その合図は必ずあるんです。
有名な美術にムンクの叫びというのがあるけれども、あれはおそらく人間の極限状態による叫びをあらわしているのだろう。美しいかどうかはわからんが、神に通じているような叫びを出す人間の霊的な状態は美しいのではないのでしょうか?心の発露ですからね。
アニメにもありますよね。追い込まれた主人公がものすごく叫んで、何かを呼んでいるというか、発動させるような震えを起こすシーンです。そして仲間が来たり、SFものだとパワーが湧いてきたり、神の力が降りてきたりと。人間の目には見えないが、ほんとはそういうものがあるんじゃないだろうか
泣き言いっているうちは助けに来てはくれないのに、仕方がなく動き出したときに、ひょっこり現れて、合格とか偉そうにいうやつがいるのかもしれない。レベルアップの音が鳴るかもしれない。それが神の試練とするならば人生ゲームみたいなものだ。
言葉で運命は変わります。悪いものを見て悪い言葉や映像が出る人は気をつけてこころを観察します。どんな汚く悪いものにも感謝ができるなら、良い点を見つけられるなら、かなり成長が期待できます。そゆひとこそ幸福を受けるに値する存在だからです。
なんだか依存関係が成立していると顔をみただけで愚痴が出てきちゃうことってあります。愚痴が出るということは自分が弱いということを証明しているようなもので、法則って恐ろしいです。強がっても意味無いですし。自分の中にしっかりした柱を作るんですね。その柱っていうのが内なる神様のことです。
わかって欲しいと、相手に懇願しても分かってはくれないです。信頼関係がなければ。その信頼関係ってのはお互いが柱を意識した状態、内なる神様を出す自立した関係でないと理解出来ないのです。
魂は神のものであります。我々が神を愛し、我々が神を愛し、神のごとく行為するなら、魂の力を十分発揮できます。 エドガーケーシー【自動】