私の(十年前他界した)父は原爆手帳を交付されていた。
広島から20キロ離れた呉市に住んでいて、その時キノコ雲を実際に見ているし、翌日広島市内にいるだろう親戚を捜しに行ったと聞いている。そのため交付を受けている。
史料によれば、原爆投下の12月までに14万人の方が一つの爆弾で命をなくしていることはとんでもないことである。その後黒い雨や放射線の後遺症などで更に多くの方がお亡くなりになっている。
広島へ親戚を捜しに行った父が行ったときの惨状をよく話をしてくれたり、小学校などでの先生の話を聞いており戦争、特に住民を狙った大量虐殺には強い憤りを感じている。
これは「原爆資料館」を見学すると同じようなことがよく分かると思うが、実際に見聞きした方々から聞くと目頭が熱くなるのを感じてしまう。
私も『原爆二世』ということになるが、父も私も原爆症等は特に発症していない。
先生の話は今でもよく覚えている。
それは、広島市内の病院は完全に機能マヒに陥っていたので、多くの被災者が汽車に乗って近くの主な都市であった呉市に押し寄せていて、当時子供だった先生にとっては、汽車から降りてくる広島からの病人は見るに耐えられずそれは酷い有様だと良く話してくれた。そのような重症の病人はまもなく多くの方が息を引き取ったとも話されていた。
また、当時広島県人は差別をも受けていて、広島県人とは結婚するなと他の地域の人から敬遠されて、相手先の両親などから結婚破棄などされ帰って来る女性も多かったと聞いている。
アメリカでは、戦争を早く終結するためで原爆は仕方ないというアメリカ人が数年前まで80%を超えていたし、未だにそのように信じている人が多いと聞く。
今でも、ウクライナでもガザでも理由はともかく罪が無い多くの市民や住民が被害を受け亡くなっていることを考えると広島県人としてはつらい。それらの双方の指導者やそれに近い方々は被災現場には関係ないところで指揮や主張しているが、亡くなって悲しむのは現場に住んでいる市民やその戦争に駆り出された兵士である。例えが良くないかもしれないが、アリやハチに例えると、女王アリ(バチ)は守られるが、働きアリ(バチ)や兵隊アリ(ハチ)はその犠牲になってしまっている。
今朝の「広島平和記念式典」での松井市長や湯崎知事のあいさつは心に響くものがあったが、広島出身でありながら〇〇首相は全く分からない気持ちのこもらない軽いものになったのは残念である。また、核兵器禁止条約に日本が批准しないことにも呆れてしまう。
このような発信はとても小さなことであるが、私の周辺で今日の8月6日のことを伝えることが出来ることくらいである。