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「加計騒動」に懲りない文科省が新たに打った、信じがたい悪手
これを読むと いかに マスコミが おかしな報道をしているかが わかります
高橋洋一
「加計騒動」に懲りない文科省が新たに打った、信じがたい悪手
「失態」からなにも学ばなかったのか
ワインセラーがどうした
ようやく加計学園問題が落ち着いてきた。本コラムで筆者は、大学学部新設を門前払いする前時代的な「文科省告示」について、(新設を)申請してもいいという特例を作った…それが今回の問題の本質であると指摘してきた。
はっきり言ってあまりにくだらない話である。こんな小さな話に総理が関与するはずはないことを、筆者は各種公開資料によって示してきた。また、一部政党・マスコミは憲法改正指向の安倍政権を倒したい一心で加計学園問題を利用していた、とも指摘した。
加計学園問題で、一部政党・マスコミが声高に叫んでいた「総理の意向」の証拠は筆者の予想通りにまったく出てこない。それにもかかわらず、それから話はとんでもない方向にずれてきている。最近では、加計学園の大学の図面にワインセラーやパーティールームがあるという報道があった。補助金を出す学校に、そんなものがあるのは問題であるとのことだ。民進党議員の玉木雄一郎氏や桜井充氏、文科省OBの寺脇研氏も同じように指摘していた。
筆者は国内外大学で教員経験があるが、何が問題なのかさっぱりわからない。国内大学でもそうした施設を有する大学は多いし、海外でも常識だ。鬼の首をとったように批判する人は大学の常識を知らないようだ。
ワインセラーなんて冷蔵庫と同じで、あったからといってたいした話でない。学者が集まる研究会後の懇親会もよくあるので、自前施設を持っていても不思議でない。加計学園では、「総理の意向」がネタ切れになって、何でも批判するという一部政党・マスコミの断末魔だろう。
特区で認められたのは、単に学部新設の申請をするだけであり、それを認可する権限は相変わらず文科省が手放さない。申請させるだけで行政がゆがめられたという前川氏のロジックがいかに荒唐無稽であるかは、本コラムで書いてきたが、獣医学部の新設認可は、現時点で保留されている。これこそ、「総理の意向」がなかったことの証である。
こういうと、この問題を執拗に「総理の意向」に結びつけたい人は、「総理の意向」があるからどうせ認可されるという。筆者も認可される可能性が高いと思うが、認可なんてそんなものだ。一定の要件を満たせば認可されるのが普通だからだ。運転免許を思い起こせばいい。特別の能力のある人でなくても、よほどのことでもない限り、運転免許は取れるが、それと基本的には同じである。
本来の行政における許認可は、このように要件がそろうかどうか、がポイントである。ところが、文科省はこうしたまともな許認可行政をしてこなかった。そこで、特区により申請だけはできるようにしただけだ。
文科省は、霞ヶ関の中でも旧時代的に許認可を頑なに守っている。それは、許認可を守ることによって天下りをしたいからだ。前川氏は、「天下りキング」ともいえる、許認可を守って天下りを進めてきた首謀者である。だから認可申請させることすら、行政が歪められたと言い出すわけだ。
本当に「一極集中」なのか
加計学園問題があったにもかかわらず、文科省は相変わらず「規制大好き官庁」のままだ。文科省は東京23区内にある大学の定員増を、2018年度から原則として認めないとする大学設置に関する告示の改正案を公表した。
これに関して、パブリック・コメントのサイト(http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000924&Mode=0)の新旧案を見て、筆者は驚いた。
この23区内の大学定員抑制は、申請門前払いという、加計学園で規制緩和の対象になった告示でやるというのだ。本コラムでは告示が大学の学問の自由、営業自由などを侵害して憲法違反の疑いがあるとも指摘した。これをふたたび使うとは、文科省の相変わらずの規制体質が現れているといっていいだろう。
もともとは、6月9日に閣議決定された「まち・ ひと ・しごと創生基本方針2017」に書かれている方針であった。
これを考えるために、まず東京一極集中をどうするか、そのための方策としての「大学定員抑制」は正しいのかをみてみよう。
まず現象面からみると、首都圏への人口集中を諸外国と比較すると、日本のように首都圏の人口比率が高くかつ上昇を続けている国は、欧米先進国ではなく、アジア諸国を含めても韓国の他にはみられない。人口面だけではなく、東京は、政治、金融面などでも集中がみられ、こうした特徴は世界であまり例がない。
東京圏では、①1990年以前は所得格差との相関が高く(所得が高まると人口流入が増加)、②1990年代以降は有効求人倍率格差との相関が高い(有効求人倍率が相対的に高まると人口流入が増加)。
こうした現象について、経済学ではどのようにみているのだろうか。最適都市規模に関しては、「ヘンリー・ジョージ定理」が知られている。都市人口の増加が生産面における集積のメリットをもたらし、集積のデメリットは、通勤距離の拡大によってもたらされると考える集積メリットと集積のデメリットを人口増などの企業活動と地代から推計して、都市が過大かどうかを判定しようとする、というものだ。
その実証分析をみると、1990年代は、東京は過大とはいえないという分析が多かったが、2000年代以降では断定できないというものになっているようだ。
こうした分析によって、東京への一極集中の是非が判断できない以上、政策論として、一極集中の是正を絶対視する政策は慎重に考えたほうがいい。そうした場合、長期的に都会でも地方でもどちらも選択できるような制度作るのが、政策論として望ましい。
最も効果的な解決策
最も効果的な解決策は、地方分権を進めるのがいい。それは、経済学では「分権化定理」があるからで、人口が一定以上の国にはかなり有効だ。簡単にいえば、中央集権より地方分権のほうが大体の分野では効率的になるのだ(ただし、国防等の分野では、地方分権になじまない分野もある)。
その流れで出てくる自然な政策は、東京23区の大学定員抑制より、地方の振興の優先、なのである。実際、6月に閣議決定された「創生基本方針2017」では、東京における大学の新増設抑制のほかに、地方の特色ある創生のための大学振興、東京における大学の地方移転促進、若者の雇用機会創出が掲げられている。
これらの施策の実施はいつからと期限がなく、いわば長期課題であるが、なぜか23区の大学定員抑制だけは「本年度から」となっている。この基本方針で、「本年度」となっているのは、他にシェアリングエコノミーの整備しかなく、23区の大学定員抑制は突出している。
これは、所管官庁の文科省がこの実施を急ぐように要請したからだろう。加計学園での規制緩和なんて、どこ吹く風である。
ちなみに、先進国において、大学の定員管理を日本のように厳格な認可で行っている国は寡聞して聞いたことがない。大学の設置認可がある国でも、定員管理は一般的に大学の自由である。日本の文科省の大学行政は先進国とは言いがたい。当然であるが、東京23区の私大関係者は猛反対している。
いずれにしても、まず、行うべきは地方の振興であり、大学定員抑制を先にすべき理由はない。伸びるところを潰して悪平等を狙うのは、文科省教育行政でもしばしば見られることであるが、ここにも文科省の悪いところがでている。しかも、この文科省告示は、2000年以降、需給調整を目的とする許認可を行うべきでないという流れにも反している。
では、「角矯めて牛を殺す」ようなことではなく、文科省が率先してやるべきことを書こう。
下手な規制よりも
大学には、国公立大と私大がある。私大では学生の減少が問題である。これまで私学は地方自治体の誘致もあったので、キャンパスの郊外・地方移転を進めてきた。ところが、学生の人気は芳しくなく、私大経営は「都心回帰」となっている。これを文科省に阻止されたら、経営上大変である。
国公立大は学生集めよりも研究環境を良くして国際競争力を高めたいところが多い。しかし、キャンパスは都心に多い。世界の一流大学でも都市型キャンパスはなくはないが、それでも日本の国立大の研究環境は、国際的に見ても魅力には思えない。研究には、研究に没頭せざるを得ないような環境が必要であると、筆者は思っており、その意味で遊びの誘惑が多い都市は向いていないと思う。
筆者の場合、米プリンストン大に留学した経験が大きい。プリンストン大はまさに学園都市で良好な環境である。ニューヨーク・マンハッタンから高速道を車で1時間強、ちょうど筑波学園と東京都心との関係に似ている。筑波学園都市は都心大学の地方移転の成功例である。
東京23区にある国立大の東京大学、東京医科歯科大学、東京芸術大学、東京工業大学、東京海洋大学、お茶の水女子大学、政策研究大学院大学のうち、一つでも都下か地方に移す方が、国としてやりやすいはずだし、意味がある。
こうした都心国立大の地方移転は、教育・研究における未来投資になる。しかも、地方創生も一石二鳥にもなる大規模事業だ。
筆者はかつて国交省において「特定地域大規模事業」を担当していたことがある。もっとも財務省からの出向であるので、大規模事業をやらせないようにブロックする「お目付役」だった。
この事業は法律上の根拠をもっているが、使わないことで有名で、いわばめったに飛ばないう鳥という意味で「雷鳥」とも揶揄されていた。財務省がこの制度を封じたかったのは、財務省の外で「第二予算」になるからだ。
この制度を活用すればいい。そこでは、財源は国債を使えるし、しかも財務省からの余計な干渉もない。未来投資と地方創生を同時に達成できる国家プロジェクトとしてふさわしいものである。
民間に下手な規制をするのではなく、官より始めよ、である。
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