亡くなった西郷輝彦さんの自伝エッセーを図書館で探していたら、特設された森繁久弥さんのコーナーにあった。二人が出会ったのは昭和49年、大阪・梅田コマ劇場である。
▼西郷さんの俳優としての主演第1作のテレビドラマ「どてらい男(ヤツ)」は、視聴率が30%を超える大ヒットとなった。舞台にもなり、次の公演の稽古をしていた森繁さんから声をかけられた。「オレの芝居を見に来い」。当時怖いもの知らずだった西郷さんは、森繁さんの演技に頭をぶん殴られたような衝撃を受ける。
▼舞台に出してほしいと頼み込み、師弟関係が始まった。「きみの父親の名前は何という?」。10年くらいたった頃、森繁さんから台本にないセリフをぶつけられ、西郷さんは頭の中が真っ白になった。思わず、役柄ではなく自分の父親の名前を口にしてしまった。どこまで深く役作りをしてるのか、見極める抜き打ちテストだった。西郷さんはそう受け止めていた。
▼若い世代には、時代劇俳優のイメージが強いかもしれない。還暦をとうに過ぎた小欄にとっては、アイドル歌手以外の何者でもない。ともに御三家と称された演歌の橋幸夫さん、学園歌謡の舟木一夫さんとは、音楽のジャンルが違っていた。子供の目には「星のフラメンコ」の西郷さんが断然かっこよく映っていた。
▼歌手から俳優に転身を果たしたのは20代の中頃だった。「あの頃に戻れるなら、きちんと歌をやりたい」。小紙のインタビューに心残りを語っていた。自伝エッセーには、電撃結婚の内幕と離婚、再婚についても、くわしくつづられている。事業にも手を出して莫大(ばくだい)な借金を背負ったこともある。
▼タイトルは『生き方下手』。生き方が上手な大スターなんて、いるわけがない。