皇室を皇室たらしめる「越えてはならない一線」/倉山満

 

皇室を皇室たらしめる「越えてはならない一線」/倉山満

日本が滅びないために守るべき価値とは……

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。  さて、’23年は何月から景気が悪くなるかの議論はあっても、景気が良くなるとの見立てが無い。私も微力を尽くしたつもりだが……。しかし、それで国が滅びる訳でも、国民が死に絶える訳でもない。守るべきを守れば、何度でもやり直せる。日本が滅びなければ、どんなに苦しくとも、なんとでもなる。日本人は敗戦からでも立ち直ったのだから。  では、守るべき価値とは何か。  皇室である。皇室が続いているとは、日本が続いていることである。では、名前が「天皇」「皇室」であれば、なんでもいいのか。

 

皇室を皇室たらしめる越えてはならない一線

 たとえば、「外国人天皇制」でも、天皇が残れば良いのか。ロシアはかの国の皇室と何の血縁も無い女帝を立てたことがある。エカテリーナだ。今のスウェーデン王室は、ナポレオンの部下の将軍の子孫であり、グスタフ・アドルフやカール10世とは何の関係もない。真似をするか?  あるいは、「選挙天皇制」をやるか。天皇を国民の人気投票で選ぶ。それは名前が天皇でも、中身は大統領だ。それとも「公募天皇制」でも良いか。などなど、皇室には越えてはならない一線がある。  では、皇室を皇室たらしめるのは、何か。

皇室の本質とは「三種の神器」でも「祈り」でもない

 良く言われるのが、「三種の神器」である。「玉体よりも三種の神器の方が大事だ」と言う人もいる。しかし、三種の神器を欠いた天皇は何人もいる。そもそも、その一つの草薙剣は源平合戦の際に壇ノ浦に沈んだ。  天皇の本質は「祈り」にあるとする論者もいる。しかし、祈っていない天皇は何人もいる。幼帝は祈れないし、数え歳2歳で即位された第79代六条天皇などは、大嘗祭で泣き出してしまったほどだ。幼帝は歴代で34人。その内4人は、幼い内に践祚(せんそ)し、幼い内に退位されている。明らかに祈っていない。また、祈りたくても儀式が途絶えて祈れなかった天皇も何人もいる。  三種の神器も祈りも大事だが、絶対ではない。第102代後花園天皇は9歳で即位された幼帝であり、在位中に三種の神器を盗まれている。しかし、学識に優れ信望厚く、応仁の乱に至る室町の大動乱の中で民との絆を繫ぎ、その正統性を疑う者など誰もいなかった。

 

皇室の伝統とは皇位の男系継承である

 だからと言って、歴代天皇の全員が人格者で能力に優れているから、天皇を守るにふさわしい訳でもない。その逆の天皇も何人もいた。  一時は、「天皇」号の伝統すら失われた。平安後期から中世・近世の天皇は「〇〇院」と呼ばれていた。「白河院」「鳥羽院」のように。天皇号を復活させたのは、江戸後期の第119代光格天皇である。「天皇」の名前すら絶対ではない。そもそも、古代の天皇が「〇〇天皇」と呼ばれていたはずがない。 言論ストロングスタイル 変わらず続いている伝統こそ、皇室の本質である。では、一度の例外が無く続いている伝統とは何か。皇位の男系継承である。

 

皇位の男系継承とは、一般人の男を皇族にしないこと

「男系継承など、そんな言葉があったのか」という批判もあるが、ならば「女系」などという言葉もない。「女系天皇」「女系容認」という言葉が出て、仮に皇室の伝統を示す言葉として「男系」という言葉が出てきただけである。  皇位の男系継承とは、一般人の男を皇族にしないことである。歴代天皇は父親の父親……をたどれば、必ず神武天皇に至る。皇族は神様の子孫なのだ。  ちなみにその神武天皇の祖母である皇祖神アマテラスは女性ではないかと言う人があり、女系継承が日本の伝統だとする論に使われる。しかし、神話によれば神武天皇の父はアメノオシホミミ、祖父はスサノオ。男系継承されている。アマテラスとスサノオは姉弟婚で、父母はイザナギとイザナミ。そもそも、神話を理由に人間界で続いてきた伝統を変えるのもいかがな姿勢かと思うが。

皇室の尊さを語るのに「Y」も「染色体」も「遺伝子」も不要だ

 一般人を皇室に入れない伝統を守るべしとする男系継承論者にも、先例を乗り越えて女系継承容認に踏み込むべきだとする女系論者、双方に愚か者も利口もいる。  私は男系継承論者だが、「三種の神器が大事なので天皇個人はないがしろにして良い」「天皇など黙って祈っていろ」と暴言を吐く人々には辟易している。頭を抱えるのは、「歴代天皇は神武天皇のY染色体遺伝子を受け継いでいるから尊いのだ」などと言い出す人々だ。女帝にY染色体遺伝子があるのか。皇室の尊さを語るのに「Y」も「染色体」も「遺伝子」も不要だ。  私は、皇室の尊さは、ご存在そのものだと考える。絶対子供が生まれる技術がある訳でもないのに、その時代ごとに皇室を守りたい人々の意思が勝ち、続いてきた。そうした中で、幾多の風雪に耐えて、変わらぬ姿を続けてきた。

 

あらゆる権力者が乗り越えられなかった皇室の掟

 皇室における掟は先例である。先例の積み重ねが伝統である。あらゆる権力者が乗り越えられなかった掟が、皇位の男系継承だ。どの先例に従うかを議論すべきだ。  皇室の長い歴史において、皇室に入り込もうとした一般人が二人いる。  一人は、奈良時代の弓削道鏡。第48代称徳天皇に取り入り、宇佐八幡宮から「次の天皇は道鏡にせよ」との神託を得る。しかし和気清麻呂が神託を改めて確認すると「我が国は君臣の別がある」との正しいお告げが下った。単純な手口は、あっさり破られた。

 

30年かけて近づいていった足利義満でさえも……

 もう一人は、室町幕府三代将軍足利義満。義満は皇室の先例を熟知し、徹底的に隙を突いた。皇室における先例は杓子定規に再現するのではなく、大枠を守りつつ「准じる」形で時代に合わせていく。義満も大枠では先例を守りつつ、徐々に皇室に入り込むべく30年かけて近づいていった。自らが法皇のように振舞い、妻を准母に立て、息子を親王の儀式で元服させ、あと一方で息子を天皇の位に就ける寸前まで迫ったところで、急死した。義満の手口は巧妙で、妻を准母に立てる際、二つの先例を立てて「不吉だ」と言い切った。本当は不吉でもなんでもない先例がもう一つあったのに。  女系論にも、道鏡的手口と、義満的な手口がある。道鏡的な女系論とは、「男女平等だから女系にしよう」「外国が女系天皇だから世界の潮流に合わせよう」式の単細胞な主張だ。「関係ない」「お前が合わせろ」で終わりである。一方、女系論の中にも博識な論者が少なくない。  先例を熟知して蹂躙する手口、機会があれば公開しよう。

 

’73年、香川県生まれ。憲政史研究者。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、「倉山塾」では塾長として、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交についてなど幅広く学びの場を提供している。主著にベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』や、『13歳からの「くにまもり」』を代表とする保守五部作(すべて扶桑社刊)などがある。『沈鬱の平成政治史』が発売中

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