志村けんが27日に再登場 古関裕而と山田耕筰の本当の関係

山田の曲をすべて空で覚えていた古関

 

志村けんが27日に再登場 古関裕而と山田耕筰の本当の関係|今週の「エール」豆知識

 新型コロナウイルスによって通常進行が中断している「エール」の再放送シリーズも7月16日から第4週に入った。この週では、伯父が頭取を務める銀行でうだつが上がらない日々を送っていた主人公・古山裕一(窪田正孝)が国際作曲コンクールに挑戦。見事、2等に入選する。

 古山のモデルの古関裕而も実際に、ロンドンのチェスター楽譜出版社が開催したコンクールに応募。舞踊組曲「竹取物語」を含む作品5曲すべてが2等を獲得している。福島の地方紙2紙がこの快挙を古関の顔写真付きで「世界的に認められた一無名青年の曲」と大きく報道。古関は一躍、時の人となった。

 古関の音楽の才を見いだしたのは小学校の恩師、遠藤喜美治(ドラマでは藤堂清晴=森山直太朗)という担任教諭だったが、そこから舞踊組曲を作るまでになるには、相当な飛躍がある。竹取物語は8つの舞曲から構成される壮大な組曲である。音楽学校など、専門の機関で学ぶことのなかった古関は、どうやって才能を開花させたのだろうか。

 すべて独学だった。小学校高学年のころから本屋で楽譜を次々に購入。母が買ってくれた卓上ピアノやハーモニカで演奏。小学校を卒業するころには、楽譜を見るだけで、そのメロディーを頭の中で再現できるようになっていた。

山田の曲をすべて空で覚えていた古関

 その後、県立福島商業学校に進んだ古関がよく購入するようになったのは、日本で初めて交響曲を作曲した山田耕筰の楽譜だった。あまりに夢中になり、決して安くない楽譜をまとめて購入し、父から怒られたこともあったという。そのおかげで、発行されていた山田の曲はすべて空で覚えていたほどだった。

 曲を作るのも山田の著書「作曲法」で勉強した。そうして完成した曲の中から数点を、まったく面識のない山田に手紙とともに送った。それが数回にわたったが、そのたびに山田は返信を寄こし、「がんばりなさい」など励ましの言葉が添えられていた。

 エールでも描かれているが、古関をレコード会社の日本コロムビアに推薦したのも、同社の顧問を務めていた山田だった。まさに作曲家・古関を世に送り出した最大の恩人だったわけだ。その一方で、ドラマでは若き才能に嫉妬して、レコーディングに横やりを入れる山田の姿も描かれている。ただ、そうした事実はいくら調べても確認できなかった。演出家や脚本家の創作と考えたほうがよさそうだ。

 この山田耕筰をモデルとした小山田耕三を演じているのは、3月29日に新型コロナによる肺炎で70歳で亡くなった志村けん。再放送シリーズでは7月27日に登場する。何度でも目に焼き付けておきたい。

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