北朝鮮への覚悟なき経済制裁の危険(ー)

西尾幹二

北朝鮮への覚悟なき経済制裁の危険 (一)

以下に示す文章を私は本年『正論』4月号(3月1日発売)に発表した。そして、同6月30日に刊行された評論集『日本、この決然たる孤独』の中に収めた。だから、すでに知っている読者もおられるだろう。

ここでもう一度念を押すように同文を掲示するのはくどいように思われるかもしれないが、しかし、どうしてももう一度訴えたい。情勢の変化による私の切迫した気持ちは、ご一読下されば分っていただけるであろう。

雑誌で一度、本で一度世に問うてもどこからも何の応答の声も聞こえなかった。みんなで声を挙げ、いよいよ政府に独立した国土防衛の本当に現実的な対策を打たせなくては危いのだ。

私は同評論集の「あとがき」の最初の部分を次のように書いている。

何年も前に書いた私の予言が当ることが比較的多いのは少し恐いことである。本書の中にも、当たったら大変な事態になることが語られている。私は希望的観 測に立ってものを言わないからだろうか。いま政府や関係官庁が本気になって目前の災いを取り除いてほしいと思えばこそ、きわどい真実を語るのである。」

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北朝鮮への覚悟なき経済制裁の危険

(一)

世界はもう何が起きても不思議でない

何が起きてももう驚かない、と最近しみじみ自分に向かって呟くことがある。10年前にかりに私が死んでいたら出合うことのなかったであろう、まさかと思う 出来事に相次いで出合い、今は慣れ親しんでいる。ISなどというものが出現して見せしめに首斬り処刑をするというようなこととか、ロシアがクリミア半島を 堂々と武力制圧してあっさり占有に成功してしまうとか、中世初期の民族大移動のような人の波がヨーロッパに押し寄せるとか。その前にそもそもあの貧困の代 表国だったチャイナが経済力を看板にして国威発揚をするなどということも二十世紀には考えられなかった。まして日本の得意中の得意であった新幹線技術を、 たとえ模倣であり盗用があったにしても、日本を出し抜いて輸出に成功するなんてつい10年前、否、5年前にも考えられなかったまさかの出来事に属するので ある。そう見ていけば、何が起きてももう不思議はないのであって、今の不安定な世界情勢下において、北朝鮮の核弾頭が東京のど真ん中で炸裂し、一千万人以 上の死者が出るという事態が起こっても、決して奇異ではないだろう。世界はもちろん驚くが、次の瞬間には、アメリカの約束(核の傘)のむなしさと日本の無 策ぶりへの憐れみを口々に語るばかりであろう。東アジアはその後なにもなかったかのような平静さを取り戻すのに一年は要すまい。

年をとって耄碌した人間の幻覚ではない。私は人間である前に生物である。あまり理性的とは思えない怪しげな指導者を頂く独裁国家の核開発を見て、生き物と しての私の嗅覚がうごめく、大丈夫なのか?と。自分と自分の種族の生命は何としても護らねばならない。スマートな話ではない。高級なテーマでもない。生物 に具わった防衛本能である。わが身の安全を護るためには先手を打つ必要があるのではないか。やられる前に叩く、は、古今東西において変わらぬ自己保存の鉄 則ではないか。ぐずぐずしていては間に合わない。日本では上から下まで、政府からメディアまで、一段と経済制裁を強めろ、とワンパターンに語る。北朝鮮に 対し上からの目線で、偉そうに言うが、アメリカの虎の威を借りての空語であることは、日米以外に北朝鮮と国交を絶っている国は数えるほどしかなく、 162ヵ国が北と政治的経済的関係を結んでいるのを見れば、日本とアメリカは少数派に属する。

たとえ経済制裁は国連決議だとしても、国連がどこかの国を防衛したことが一度でもあっただろうか。日本政府は国連の意向を尊重する前に、まず自国民の安全 を最優先させねばならず、その目的のためにむしろ国連を動かし、利用するようでなければならないのだ。すべての国がそうしているように。

経済制裁は戦争行為の一つ

パリ不戦条約の起案者の一人であった当時のアメリカ国務長官ケロッグは、経済制裁、経済封鎖は戦争行為であると認識していた。この認識を用いて、東京裁判 での弁護の論証をおこなったのは、アメリカ人のウィリアム・ローガン弁護人だった。彼は日本に対する経済制裁が先の大戦の原因であり、戦争を引き起こした のは日本ではなく連合国であると弁明した。日米開戦の原因をめぐる重要な論点の一つであったが、今そのテーマをここで取り上げたいのではない。

もしも経済制裁、経済封鎖がすでにして戦争行為であるとしたら、日本は北朝鮮に対して「宣戦布告」をしているに等しいのではないだろうか。北朝鮮がいきな りノドンを撃ち込んできても、なにも文句が言えないのではないか。彼らは「自存自衛」と「民族解放」の戦争をしたのだと言うだろう。開戦時の日本と同じよ うな言い分を展開する十分な理由を、われわれはすでに与えてしまっているのではないだろうか。

勿論、拉致などの犯罪を向こうが先にやっているから経済制裁は当然だ、との主張が日本側にはあると考えられる。先に拉致したのが悪いに決まっているけれど も、しかし悪いに決まっていると思うのは日本人の論理であって、ロシアや中国など他の国の人々がそう思うかどうかは分からない。武器さえ使わなければ戦争 行為ではない、と決めてかかっているのは日本人だけで、自分たちは戦争から今やまったく遠い処にいるとつねひごろ安心している今の日本人の迂闊さ、ぼんや りが引き起こした錯覚である。北朝鮮が猛々しい声でアメリカだけでなく国連安保理まで罵っているのをアメリカや他の国々の人は笑ってすませられるかもしれ ないが、日本人はそうはいかない。この島国はミサイルが簡単に届くすぐ目の前にあるのである。

アメリカ人は今の日本人より現実感覚を持っている。日米両国のやっている経済制裁を戦争行為の一つと思っているに相違ない。北朝鮮も当然そう思っている。 そう思わないのは日本人だけである。この誤解がばかげた悲劇につながる可能性がある。「ばかげた」と言ったのは世界のどの国もが同情しない惨事だからであ る。核の再被爆国になっても、何で早く有効な手を打たなかったのかと他の国の人々は日本の怠惰を憐れむだけだからである。

拉致被害者は経済制裁の手段では取り戻せない、と分かったとき、経済制裁から武力制裁に切り替えるのが他のあらゆる国が普通に考えることである。武力制裁に切り替えないで、経済制裁をただ漫然とつづけることは、自分にとって途轍もなく危ういことなのである。

けれども日本では危ういことをしているという自覚がまったくない。それどころかヒト、カネ、モノの封鎖により制裁の度合いをさらに一段と強めることこそが 問題の解決に近づく道なのだ、と言わんばかりの勝ち誇った明朗さで、今この件がすべて語られている。一点の不安も逡巡もそこにはない。政治家もメディア関 係者もいったいどういう頭をしているのだろう。北朝鮮がらみの案件は打つ手なし、と決めてしまい思考停止に陥っているのだろうか。

よく人は、北朝鮮の核開発の動機を説明する場合に、対米交渉を有利にするための瀬戸際外交だという言い方をする。くりかえし聞く説明である。それをアメリ カや他の国の人が言うならいいとしても、標的にされている国のわれわれが他人事のように呑気に空とぼけて言いつづけていいのだろうか。北の幹部の誤操作や 気紛れやヒステリーで百万単位で核爆死するかもしれない日本人が、そういうことを言って自分の生死の問題から逃げることは許されない。

今の時代はまさかとしか言いようのない種類のことが相次いで起こっていることは前にも述べた。かつてイスラエルがイラクの核基地を空爆で破壊したようなことが今日本政府に求められているのではないか。

以前に科学作家の竹内薫氏が迎撃ミサイルでの防衛不可能を説き、「打ち上げ『前』の核ミサイルを破壊する以外に、技術的に確実な方法は存在しない」と語っ たことを私は記録にとどめている(『Voice』2009年6月号)。その頃はまだ「打ち上げ『前』」が言葉に出して言えた時代だった。あれから時間も経 ち、北のミサイル基地の規模はだんだん大きくなり、移動型にさえなっている。

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