岡田資中将のレジスタンス…甦る『明日への遺言』

東アジア黙示録
岡田資中将のレジスタンス…甦る『明日への遺言』

“B級戦犯”として裁かれた岡田資陸軍中将。その法廷での闘いを描いた映画『明日への遺言』が公開された。「戦後の灰」の中に埋もれて高潔な軍人が巣鴨プリズンから眺めた祖国の姿とは…

古屋への空襲は、昭和19年12月のB29による爆撃を皮切りに、翌20年7月26日まで38回に及んだ。飛来した米軍機は累計1973機。
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甚大な被害を出した昭和20年3月12日の爆撃に続き、5月14日の名古屋大空襲では、市の北部80%が焼失。死傷者は約1,000人、罹災者は6万人を超えた。
また6月9日の熱田大空襲では、わずか10分程の爆撃で死者2,068人。岡田中将は現場を視察し、惨状を目の当たりにした。

無差別爆撃が続く一方で、米軍機側にも損害が生じていた。複数のB25・B29が撃墜・撃破され、被弾した爆撃機から搭乗員が降下してくるケースも少なくなかった。

「『さんざん爆弾で人を殺しておいて、自分はパラシュートで降りて来て、助かろう、というのは虫がよすぎるわね』これが当時の主婦のいつわらざる感情であって、それはまた降下搭乗員を斬首した日本軍兵士のものでもあった」
日本軍兵士が米兵を独断で嬲るようなことはなく、軍法会議・軍律会議など所定の手続きを経て、量刑が決められていた。そして、終戦を目前にした6月から7月にかけ、米軍機搭乗員27人が軍律に基づき戦時重罪犯として処刑される。

それが1年以上後に、岡田中将を“戦犯”法廷に引き摺り出すことになった・・・
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