Bipが旅立った。
高校2年生、17歳の時に初めてM.マルソーの舞台をみた。
それまで自分がイメージしていたパントマイムをはるかにこえた「何か」がそこにあって、その2年後19歳の時にパリの彼の学校に入学した。
オーディションの時、彼が自分に向かって話をしているだけでオーディション受けて良かった!なんて思ったものだ。
彼がトイレに入って行くのを見て「マルソーもトイレに行くんだ!」なんて思ったことをよく覚えている。
学校では1、2、3年生にそれぞれ2時間の授業をした後に劇場入りしてロングランの公演…なんてハードスケジュールの時もあった。
1年生のころ、公演を見た後、みんなで興奮気味に楽屋を訪れるとそこには「先生」であるマルセル・マルソーがいて、その場で授業の延長のようなことになったのをよく覚えている。
本当に「生まれる前、母親のおなかの中にいる頃からマイムだった」と本人が言うのも納得できるくらい、マイムを愛している人だった。
公開授業の時、生徒そっちのけでお客さんにサービスしている姿。
テレビのドキュメンタリー番組の収録でプロデューサーそっちのけであれこれ指示する姿。
「desespoir(絶望)」のポーズをほめてくれた時のこと。
「老人から若者、そして老人」の稽古の時、僕の演技に何も言わず黙って頷いていた時のこと。
誰もいない学校の中の劇場の椅子に座ってたわいもない会話をしたこと。
学校の近くのレストランでアボカドのソースのサラダを注文していた時のこと。
来日公演の時に弟を連れて行ったらすぐに「弟だろ?」って言われた時のこと。
草月ホールでのマルソー学校のデモンストレーション公演の時、母がお土産に持ってきた京都土産の「おたべ」を楽屋でおいしいと言って食べていた時のこと。
東京で中華料理の店に入ったときのこと。
世界で一番おいしい中華料理店は日本にあると言っていた時のこと。
世界で一番おいしいイタリア料理店も日本にあると言っていた時のこと。
来日公演の時に楽屋に行くと、まっ先に今日の公演の手ごたえや感想、一緒に行った友人たちの反応などを聞かれること。
会うたびに新しい作品やプロジェクトの話をする、常にチャレンジしている姿。
チャップリンのモノマネをする姿。
ギャロップの稽古の時に稽古着がステップの度にずれてお尻が見えそうになって、生徒がヒヤヒヤした時のこと。
学年末の生徒による公演の冒頭、あいさつ程度のはずが30分を越える演説になってしまいお客さんから「そろそろ始めませんか…」と突っ込まれた時のこと。
僕に小さなカバンを指さして「ナオキがこのかばんの中に入って忽然と消える…っていいアイディアだろ?」と、真面目な顔で無理難題を言ってくる姿。
日本公演の時、静かないいシーンでまるで歌舞伎のように「マルセル・マルソー!」って客席から声があがって驚いたって話(ネタかも?)。
授業がいつも延びて、次の学年がスタンバイしているのを見て毎回「え?もう時間?みんな気づいてた?」なんて僕らに聞く姿。
卒業してからいつ会っても「活動はうまくいってるか?」と心配してくれる姿。
カンパニー名を『いいむろなおきマイムカンパニー』にしたと伝えたら「マルセル・マルソーカンパニーと同じで自分の名前が付いているのがシンプルでわかりやすくていい」と言ってくれたこと。
30を越えた僕らを「mes enfants (私の子供たち)」と親しみをこめて呼んでくれる時。
鎌倉での公演の翌日、アイスクリームを食べていた姿。
歩きながら「ナオキいくつになった?」と聞かれて「もう30を越えました」と言うと、わざわざ立ち止まり、自分の胸をトンと叩き「まだ80歳。」と言われた時のこと。
一昨年、文化庁に提出する推薦状をツアー出発前のわずかな時間に6枚にわたって手書きで書いてくれた時のこと。
マイムはもちろん、たくさんのことを教えてもらったこと…。
僕は僕なりにマイムがどれだけすばらしいか伝えてゆこう。
そう、彼が僕らにマイムのすばらしさを教えてくれたように。
心よりご冥福をお祈りします。
いいむろなおき
高校2年生、17歳の時に初めてM.マルソーの舞台をみた。
それまで自分がイメージしていたパントマイムをはるかにこえた「何か」がそこにあって、その2年後19歳の時にパリの彼の学校に入学した。
オーディションの時、彼が自分に向かって話をしているだけでオーディション受けて良かった!なんて思ったものだ。
彼がトイレに入って行くのを見て「マルソーもトイレに行くんだ!」なんて思ったことをよく覚えている。
学校では1、2、3年生にそれぞれ2時間の授業をした後に劇場入りしてロングランの公演…なんてハードスケジュールの時もあった。
1年生のころ、公演を見た後、みんなで興奮気味に楽屋を訪れるとそこには「先生」であるマルセル・マルソーがいて、その場で授業の延長のようなことになったのをよく覚えている。
本当に「生まれる前、母親のおなかの中にいる頃からマイムだった」と本人が言うのも納得できるくらい、マイムを愛している人だった。
公開授業の時、生徒そっちのけでお客さんにサービスしている姿。
テレビのドキュメンタリー番組の収録でプロデューサーそっちのけであれこれ指示する姿。
「desespoir(絶望)」のポーズをほめてくれた時のこと。
「老人から若者、そして老人」の稽古の時、僕の演技に何も言わず黙って頷いていた時のこと。
誰もいない学校の中の劇場の椅子に座ってたわいもない会話をしたこと。
学校の近くのレストランでアボカドのソースのサラダを注文していた時のこと。
来日公演の時に弟を連れて行ったらすぐに「弟だろ?」って言われた時のこと。
草月ホールでのマルソー学校のデモンストレーション公演の時、母がお土産に持ってきた京都土産の「おたべ」を楽屋でおいしいと言って食べていた時のこと。
東京で中華料理の店に入ったときのこと。
世界で一番おいしい中華料理店は日本にあると言っていた時のこと。
世界で一番おいしいイタリア料理店も日本にあると言っていた時のこと。
来日公演の時に楽屋に行くと、まっ先に今日の公演の手ごたえや感想、一緒に行った友人たちの反応などを聞かれること。
会うたびに新しい作品やプロジェクトの話をする、常にチャレンジしている姿。
チャップリンのモノマネをする姿。
ギャロップの稽古の時に稽古着がステップの度にずれてお尻が見えそうになって、生徒がヒヤヒヤした時のこと。
学年末の生徒による公演の冒頭、あいさつ程度のはずが30分を越える演説になってしまいお客さんから「そろそろ始めませんか…」と突っ込まれた時のこと。
僕に小さなカバンを指さして「ナオキがこのかばんの中に入って忽然と消える…っていいアイディアだろ?」と、真面目な顔で無理難題を言ってくる姿。
日本公演の時、静かないいシーンでまるで歌舞伎のように「マルセル・マルソー!」って客席から声があがって驚いたって話(ネタかも?)。
授業がいつも延びて、次の学年がスタンバイしているのを見て毎回「え?もう時間?みんな気づいてた?」なんて僕らに聞く姿。
卒業してからいつ会っても「活動はうまくいってるか?」と心配してくれる姿。
カンパニー名を『いいむろなおきマイムカンパニー』にしたと伝えたら「マルセル・マルソーカンパニーと同じで自分の名前が付いているのがシンプルでわかりやすくていい」と言ってくれたこと。
30を越えた僕らを「mes enfants (私の子供たち)」と親しみをこめて呼んでくれる時。
鎌倉での公演の翌日、アイスクリームを食べていた姿。
歩きながら「ナオキいくつになった?」と聞かれて「もう30を越えました」と言うと、わざわざ立ち止まり、自分の胸をトンと叩き「まだ80歳。」と言われた時のこと。
一昨年、文化庁に提出する推薦状をツアー出発前のわずかな時間に6枚にわたって手書きで書いてくれた時のこと。
マイムはもちろん、たくさんのことを教えてもらったこと…。
僕は僕なりにマイムがどれだけすばらしいか伝えてゆこう。
そう、彼が僕らにマイムのすばらしさを教えてくれたように。
心よりご冥福をお祈りします。
いいむろなおき