その前に母の実家に寄ってからということにしました。
今は私の従姉妹と旦那さん、おばさんが住んでいます。
杉崎という駅前で、線路の向こうには小島城の跡がある山がありました。
子供の頃は気にも留めていませんでしたがね。田んぼがあって、たまに雉の鳴く声がしました。
また脱線しますが、小島城の奥のほうには高田神社というのがあり、昔々は割と位の高い神社だったそうです。
縄文時代からあったことが分かっています。
出雲の国譲りの話で、大国主が出雲国を我が物顔で治めるのを注意しにいったが何年も戻らない兄たちを見に行ったワカヒコですが、ワカヒコも戻らないので、高田神社の高木神が雉に偵察に行かせたところ、雉はワカヒコに射殺されて、怒った高木神がもしワカヒコが打った矢なら、戻れと言ってその矢を放ったところ、その矢は若彦を射ったという伝説があります。
その後、その話が喪山の伝説に繋がります。
それで、ここらの人はキジを食べないそうです。石碑もあります。
私も何年か前に行きました。
この出雲の国譲りの話は、ほつまつたえにもありますね。
さて、話を元に戻しまして、
久しぶりに従姉妹とおばさんに会いましたが、みんなお元気でした。
よかった〜。若い頃は平気で宿代わりにして、遊びに来ていた私ですが、今思い出すと、なんと図々しいやつだったんだと恥ずかしくなります💦
おばさん、ありがとうございました!
そして、車で20分くらいかな、の千光寺へ行きました。
千光寺は山の上にありました。
急な坂をぐいぐい登って行きました。
駐車場のところに十王堂がありました。
興味ありありなのでじっくり見たかったのですが、上の駐車場で、足の悪い母たちが待っているので、後で見ようと思ったけれど、帰りはここを通らなかったので見れませんでした💦
仁王門
この仁王像は飛騨一宮水無神社のものを移築したそう。
階段を登ります。
108段だそうです。
3067メートルの御嶽山が眺められるとか。
あの、もやっているのがそうでしょうか。
芍薬が美しいです。
千光寺は海抜900メートルの袈裟山の中に本堂があり、山全体が千光寺として信仰の対象となっています。
その開山は4世紀にさかのぼり、開祖は両面宿儺と言われています。
日本史の中では両面宿儺の評判は分かれます。
日本書紀の中では、飛騨に宿儺という両面四手を持つ異形の怪物あり、天皇に逆らい討伐されたとあります。その反面飛騨国から美濃国にかけての伝承や千光寺に伝わる「千光寺記」では、古代の飛騨を治め、龍や悪鬼を退治し、幾つもの寺院の創建に関わった英雄として伝えられています。
山寺の感じの素朴な本堂。
本堂は拝観料を払って見ることができますが、写真不可。
このねじ曲がって伸びる不思議な木。
なんだろう。
お地場の強いところにはよくありますね。
武田軍が攻めてきたときに釣鐘が真っ赤になって転げ落ちたという。
これは昭和になり再建。
境内の開山・両面宿儺堂には石造の宿儺像が祀られています。
これは写真可です。
円空仏寺宝館に円空の彫った両面宿儺像がありますが、今回は見ていません。
奥のほうに弁天堂があり、池がありました。
年中枯れることがない弁天池には、5月、6月と、カエルが卵を生み、ちょうどオタマジャクシが、ウヨウヨいました。
一斉に飛騨のオタマジャクシが集まるそうですよ!笑
そう言っていました。
そのほか、今回行っていませんが、五本杉が素晴らしいそうです。
全体的な境内図。
広いんですね。
円空の本物の木彫りは見ていないので、また来たいと思います。
雲とお地蔵さんがお見送りしてくれました。
私たちがのろのろしているので、時間がなくなり、母の従兄弟たちともここでお別れになりました。
伊丹の母のいとことまた会いましょう!と分かれました。
そういえば、伊丹のそのおばあさんは、お舅さんの家が、今、私たちの住んでいるところにあったそうで、本当になんか縁を感じました。
次はいろいろお土産を買いに行きました〜!
続くかも。