昔から疑問に思っていたのが、国債発行は次世代の負担になるかどうかという問題だ。
学者の間でも意見が分かれ、現場で教える方も混乱している。
以前、私はこのブログで、「国債発行は次世代の負担にはならないのではないか」と書いた。発行している国債の95%が国内で消化されている日本にあっては、増税で国債を償還しても、その増税部分を受け取るのは別の日本人であって、マクロ的には単なる分配の問題でしかないと考えたからだ。しかし、どうやらこの考えは間違っていたらしい。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110914/222645/
記事にある 國枝 繁樹 一橋大学国際・公共政策大学院及び経済学研究科准教授の結論部分を要約すると、次の通りである。
「内国債は自分達に対する借金だから、将来世代の負担ではない」との主張は、経済学者のラーナーらによって1940年代に唱えられた。この主張は、ほかの経済学者の再反論を呼び、ラーナーのほか、ブキャナン、ボーエン、モジリアーニらの有力な経済学者の間で1950年代から1960年代前半にかけて、活発な論争を呼んだ。しかし、現在では、学部レベルでの標準的な財政学の教科書で、「公債はわれわれが自分自身に借金をしているのだから、問題ではないという主張」について、「今や、この議論は……間違っていると知られている」(スティグリッツ『公共経済学(第2版)下』邦訳1009頁)とされているよう、ラーナーの議論は基本的に誤っていることが分かっている。ラーナーらの主張は、既に過去のものであり、現在の我が国の財政政策を巡る議論の中で、同様の主張を持ち出すことはナンセンスなのである。大量の国債を抱えた日本に暮らす我々にも、積極財政論者の怪しげな議論の論理的誤りを見抜けるよう、「国債の負担」を巡る議論を正しく理解することが求められている。
現在でも、いろんな人が「次世代の負担にならない」と書いている。
しかし、専門家の間では1960年代に決着はついていたのか。
不勉強を恥じるばかりである。
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