一度富士山に登りたいと思っていた。でも、一人では登り方がわからない。ちょうどそのころ、JTBの「富士登山」のツアーパンフレットが目に入った。早速申し込んだ。今から24年前の1997年、私が46歳の時である。
大阪を朝8時にバスで出発し、高速道路を乗り継いで富士山5合目に夕方17時に到着。そこで着替え・食事を済ませていざ出発!
5合目で標高2300メートル。頂上までの高低差1450m。これをガイドさんと一緒に7時間かけて登る。
6合目を過ぎると石ころだらけになり、斜度も20度程ときつくなる。歩幅を小さくし、山側を歩いて落石を防ぐ。
やがて雲海があらわあれ、あっという間に夜になる。7合目を過ぎると山小屋がたくさんあり、目指す東洋館に夜8時半ころに到着した。
ここで夜9時から12時半まで仮眠をとる。山小屋は混んでおり畳1枚に2人が寝る。男も女もない。布団は二人で1枚。頭と足を交互にして横になる。顔のすぐ横に隣の人の「臭い」足がある。隣の人の足を布団で隠し、においが来ないようにして寝る。もちろん熟睡などできない。
深夜1時に山小屋を出発。
7合目から8合目にかけては急な岩場が続く。
もう、このころになるとヘロヘロ。
8合目を過ぎると頭がガンガン痛くなり、吐き気もしてきた。高山病だ。ツアー参加者31人中、すでに8人がドロップアウト。9号目あたりでは心臓がバクバクして10メートルごとに休憩せざるを得なかった。冗談ではなく、もう死ぬかと思った。よほどやめようかと思ったが、せっかくここまで来たんだから、死んでもいいから登りたかった。
こうした強行登山を「弾丸登山」と呼ぶことは後で知った。体が高度に順応しないまま3000メートル級の山を登るのだから、ずいぶん無茶苦茶な登り方だった。
そうしてようやく頂上に着く。
何とかご来光にも間に合った。
帰りは2時間40分で下山した。
山中湖の石割温泉でひと風呂浴びて大阪に帰る。
お風呂の気持ちよかったこと!
いい思い出ができた。
でも、「もう2度と登るもんか」(笑)。