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南英世の 「くろねこ日記」

巨匠から学ぶ

日本画を学び始めて半年。少しずつ理解できるようになってきた。
今教えていただいている日本画教室のF先生は創画会の会員である。職場の美術の先生が日本画専門であると聞いて、そのことを話題にしたら、「エッ、創画会!」とびっくりしておられた。創画会というのは日本画の世界では、日展、院展、と並ぶ3大画壇であるとは聞いていたが、創画会のステイタスがそんなにすごいものであることをこの時初めて知った。

現在、創画会の会長をしておられるのは上村淳之(うえむらあつし)京都芸術大学元副学長である。上村先生は伝統的な花鳥画を得意とし、今も自宅に1000羽の鳥を飼っておられる。余白を大切にし、余白の中に広い宇宙を感じさせるその画風には多くのファンがいる。たまたまネットで上村先生の画集を手に入れた。確かに余白を感じさせる。


この画集の中に、こんな言葉があった。
「日本画では、対象を前にして直接描くことはまず不可能と言っていい。まず写生し、ついで下絵を描き、最後に本紙を描くという3段階の手順を踏まねばならない。本紙を『解答』とするなら、写生は『基礎知識』であり、草稿は『計算用紙』だといえる。草稿を練る間に、どのように描くか、どのように表現するか、を検討するわけである」
「絵画は所詮、対象の再現を目的とするものではなく、またその必要もないはずである」

私が初めて日本画に引き付けられたのは平山郁夫氏の作品群である。とくに「パルミラ遺跡を行く」が好きで、40万円出して複製を購入した。その平山郁夫氏の著書にも似たようなことが書かれてあった。
「お手本に近ければいいデッサンだと思っているようなところがあるのですが、実は感動を受けるデッサンはそういうものではない」

以前、写真やお手本を見て描いたら先生からやんわりと注意されたことがあった。今ようやくその意味が分かった気がする。写真やお手本を見て描いていたのでは、それ以上のものには仕上がらない。F先生のやり方は芸大のカリキュラムに沿った本格的なものである。そのことを芸大のカリキュラムを見ていて初めて知った。


一方、最近ハマっているのが東山魁夷さんの作品である。魁夷さんのすごいところは、日本画の伝統に全く新しい手法を導入したことにみられる。初期の作品にはまだ「余白」ともいえる部分がある。


しかし、その後に描いたものの中には、余白が全くない作品も少なくない。







描きたい対象にぐっと近づいて、さらにもう一歩近づいて、自然の一部だけを切り取って拡大し画面いっぱいに表現する。草木の一本一本にも生命が宿り美しく輝いていることを表現するためであろう。今までの日本画にはなかった手法といえる。

しかし、どうやったらあんなふうなすごい絵が描けるのか? なんとか魁夷さんの描き方を知りたくて東山魁夷全集なども購入した。

この本は大型本であるだけに、筆遣いの細かな部分まで見て取れる。




自分でやってみて初めて東山魁夷という作家のすごさを実感できた気がする。こんな絵は誰にもまねができない。

(PS)
先日、世界の美術館のDVD(全18巻)をヤフオクで競り落とした。70歳を機にリタイアーしようと思っていたから、今年度働くのはおまけみたいなもの。稼いだお金は全部趣味につぎ込んでも惜しくない(笑)。


(PS2)
さらに平山郁夫全集まで購入してしまった(笑)。超大型本で縦が38センチもある。
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