南英世の 「くろねこ日記」

日中関係2000年

今年は、日中国交正常化が実現して50年である。ともすると我々は短いスパンで物事を見る傾向があるが、ときには100年、500年単位で見ることも必要であろう。今でこそ日本はアメリカと共に歩んでいるが、日本とアメリカの関係はたかだか150年に過ぎない。それにくらべ、中国は圧倒的に付き合いの長い隣人である。

過去2000年の間に、日本は中国と5回の戦争をしている。

663年  白村江の戦

13世紀 元寇

16世紀 文禄・慶長の役

1894年 日清戦争

1937年 日中戦争

日本にとって中国は長い間尊敬の対象であった。それがひっくり返ったのは日清戦争による勝利である。尊敬から一気に蔑視へと変わった。日中戦争における南京大虐殺・731部隊・三光作戦は、そうした中国人蔑視の表れであったともいえる。

戦争という殺し合いをやった後、再び友好関係を取り結ぶのは容易ではない。第二次世界大戦後、日本が中国と友好関係を取り戻すのに27年を要した。日本は侵略した側である。国交を正常化するためには中国の国民感情や戦後賠償という大きな壁がある。どう乗り越えるのか。

そこで大きな役割を果たしたのが周恩来である。彼は日清戦争で中国が敗れた後、日本に学ぶために2年間、留学生として日本に滞在した。19歳のときである。

周恩来の戦後処理の基本は「民間先行、以民促官(いみんそくかん)」といわれる。国際関係では人間同士はいくらでも仲良くできるが、そこに国家が介在すると途端に難しくなる。だから、まず民間交流を盛んにしようという戦略をとった。日中民間貿易協定が結ばれ(1952年)、日中文化交流協会が設立された(1956年)。

その後、日中関係は冷え込んだ時期もあったが、1972年にようやく日中共同声明が調印され、戦争状態に終止符が打たれた。両国の利害が一致したことが大きかった。中国は日本の技術協力を、日本は中国という巨大市場を切望した。

とはいえ、両国の間には戦後賠償と尖閣諸島問題という厄介な懸案事項が存在する。戦後賠償については中国がこれを放棄することで一件落着、また尖閣問題については「今は触れる時ではない」として先送りするという知恵を働かせることによって乗り越えた。しかし、1000万人が殺された中国の国民感情は簡単には収まらない。これに対して周恩来は「感情で政策を決めてはならない」と中国国民の反発を抑えた。

こうしてようやく日中国交正常化が実現した。しかし、これはアメリカにとっては面白くなかったようだ。冷戦下において、日本が中国と親しくなりすぎることはアメリカの利益に反する。田中角栄はロッキード事件で失脚させられた。

1978年から中国が改革開放政策をとると、中国は一気に経済成長を加速させた。2010年には日本のGDPを追い抜き、世界第2位になった。そしてこのころから尖閣諸島をめぐる日中関係の対立が激しくなった。

2012年、石原東京都知事(当時)が突然、尖閣諸島を買い取ると言い出した。野田首相(民主党)は東京都に買われるより日本政府が買った方が穏便に事を運ぶことができるだろうとして、20億円で購入した。

鄧小平はかつて「尖閣諸島問題はのちの世代の知恵にまかせよう」と棚上げを提案し、日中双方とも尖閣問題には触れないようにしてきた。それだけに、日本が尖閣を国有化したことに対して中国は「裏切られた」という気持ちを抱いたようである。いや、清朝の最大版図を目指す習近平にとって、日本の尖閣国有化はむしろ「渡りに船」だったのかもしれない。これを口実に中国の船が連日尖閣諸島付近をうろつくようになった。

財政、経済成長、外交など、どれ一つ見ても日本には長期戦略というものが見えてこない。政治家は今日明日のわが身を守ることに汲々としていて長期戦略どころではない。冷え込んだ日中関係を改善するためにはもう一度周恩来の唱えた原点に戻る必要がある。互いの国民が好意を持つことが良好な国際関係を維持する大前提である。

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