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南英世の 「くろねこ日記」

民主主義は万能ではない

たくさんの人間がいてそれぞれ異なる意見を持つ場合、最終的には多数決で決めるしかない。それが多くの人を納得させる唯一の方法だからである。しかし、多数決原理にも欠点がある。その一つの例が、まだ生まれていない人たちには選挙権がないという問題である。

たとえば、原子力発電所の問題について考えてみよう。ご承知のように原子力発電は世界各地で大きな事故を起こしている。そして、一度放射能漏れ事故を起こすと、長期にわたって自然環境や人間に影響を与え続ける。放射線に被ばくすると、DNAが傷つき、白血病、乳がん、甲状腺がんなど様々な健康障害が起きる。プルトニウムの半減期は2万4000年といわれるから、ほぼ半永久的だといってよい。言ってみれば、縄文人の活動が現在のわれわれに健康被害をもたらすようなものである。

現代の民主主義制度の下では、いま生きている人々が投票を行い、多数をとった政党が政権を獲得し政治を行う。現在、原子力政策が国策として容認されている。万が一事故を起こして将来世代に迷惑をかけることになったとしても、将来世代は現在の意思決定に参加することはできない。だから我々は、いま生きている自分たちの世代だけではなく、将来世代のことも考えて意思決定をする必要がある。

しかし、現実はどうか。多くの有権者は、自分のことを最優先にしてきわめて利己的な態度で投票しているのではないか。自分が死んでしまった後の100年後、200年後のことまで考えて、投票する人などほとんどいないのではないか。

実は、こうした問題は原子力発電の問題に限ったことではない。地球温暖化の問題や財政赤字の問題も、その本質は原子力発電の問題と同じである。共通するのは、いま生きている人々が今の豊かな生活を維持したいがために、「先のことなんか構っておられるか」と問題を将来世代に押し付けている構図である。地球の温度が3度上昇しようが4度上昇しようが、その頃には自分はもう死んでしまって存在しない。そんな先のことなど none of my business というわけである。

民主主義は決して万能ではない。「独裁よりはまし」という程度である。民主主義をうまく機能させるためにも、将来世代のことも考えて意思決定できる人を、一人でも二人でも増やしていく必要がある。
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