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南英世の 「くろねこ日記」

半沢直樹


半沢直樹の最終回の視聴率が40%を超えたらしい。驚異的な数字だ。
原作も読んだ。だから、面白くするために、テレビではどのような仕掛けが「創造」されたかもよくわかる。

一般に番組を作る場合、多くの人たちがかかわる。

プロデューサー・・・・・番組制作の全責任を負う。番組の企画、予算の管理、照明・音響・脚本家などの制作スタッフの選定、出演者の決定など、一切の責任を負う。デスクワークが主たる仕事である。

ディレクターー・・・・・プロデューサーが決定した番組を作るために、実際に撮影現場で演出を行ったり、編集を行ったりする。プロデューサーが上司で、ディレクターはその部下になる。フリーのディレクターを起用する場合が多い。

脚本家・・・・・・・・・・脚本を書く人。台本にはせりふ、場面の情景、登場人物の動きなどを指定したト書(とがき)などが記入される。今回、原作をテレビの連続ドラマにした脚本家は八津弘幸氏。毎回、ヤマを作って次回も見たくなるようにストーリーを構成するのに苦心したという。

放送作家・・・・・・・・・脚本家とよく似た職業だが、こちらは脚本家とは違ってドラマを書くことは少ない。おもにバラエティ番組、クイズ番組、トーク番組などのセリフを書いたり、クイズ番組の問題を考えたりする。収入はピンキリだが、安定した収入を得るのは容易ではない。


半沢直樹がこんなにも人気を博した理由とは何か。
役者の演技力もさることながら、なんといってもそのポイントは「倍返し」「10倍返し」「百倍返し」という言葉にあるように思う。
競争競争と人生の戦場で毎日うっぷんを蓄積させるサラリーマン。その気持ちを代弁し、相手をコテンパにやっつける小気味よさ。その勧善懲悪さは、まさに現代版の水戸黄門である。原作での半沢は、決して善人だけの人間ではない。上司の弱みを握って自らの立身出世の約束を引き出すしたたかな面も持っている。しかし、テレビではそうした面は割愛され、ひたすら勧善懲悪の分かりやすい筋書きに仕立てられている。そういう薄っぺらな作品に作り替えられていることが、高視聴率に結び付いたのかもしれない。まあ、活字による小説と映像を中心とするテレビドラマとは別物と割り切るしかない。

ラストシーンの半沢に対する左遷人事には「エッ」と思った人も多かったに違いない。
原作を読んでいた私でも意外な終わり方だった。
原作では必ずしも左遷というニュアンスではなかったように思う。
行内融和のための一時的な方便という描き方をしていたはず。
また、悪役の常務は取締役に降格されたが、これは出向まちのポストとしてであり、完全に制裁を受ける筋書きだった。
続編に期待をもたせるために制作側が仕組んだ巧妙なしかけだとしても、これでは「勧善懲悪」を期待して見ていた視聴者は納得しないだろう。
左遷人事からいかに立ちあがるかという次のテーマに含みをもたせるためとはいえ、エンディングに関しては完全な失敗だったというほかない。


それにしても、いやな時代になったものだ。「右の頬を殴られたら左の頬も出せ」という聖書の精神のかけらもない。
規制緩和によるギスギスした世相が、こんなところにも表れているのかもしれない。



*写真は半沢直樹の一シーン。うちのマンションが映っている(笑)。
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