いま日本の大学の4割が定員割れを起こし、これからの大学は斜陽産業だといわれている。特に地方の大学は厳しいといわれている。
しかし、ものは考えようである。
広く世界に目を向ければ、世界の人口は増え続けている。
日本の大学で学びたいと考えている外国の若者も多いはずである。日本の学問水準は決して低くはない。
問題は言葉の壁であろう。
大学の講義が日本語で行なわれている限り、留学生には言葉の壁が立ちはだかる。
いっそのこと、大学の講義を全部英語にしてしまってはどうか。
そうすれば、世界から留学生を呼び込める。
教員も日本人である必要はない。世界から優秀な人材を集めてくればよい。
英語で講義ができない教員や、英語の授業についてこれない学生には早々にお引き取り願う。
語学なんて必要に迫られないと身につかない。
必要に迫られれば、いやでも身につけますよ。
日本の大学をグローバル競争にさらせば、日本の教育は確実にレベルアップする。
いまの日本の大学は、偏差値による人間の格付け機関に成り下がっている。
日本の中だけで通用する偏差値など意味がない。
もちろん、明日からこんなことをやれと言っても無理なことは承知している。
しかし、方向としては間違ってはいないのではないか。
必要に迫られれば、教員も学生も必死になって英語をモノにするであろう。
かつて日本の囲碁は中国や韓国よりはるかに強かった。
しかし、残念だが、今では中国・韓国の後塵を拝している。
もし、本気で日本の囲碁界を活性化させたいなら、棋聖戦も名人戦もすべて国際棋戦とし、外国人も参加自由にすればいい。
国内だけで競っているからなかなか強くならないのではないか。
経済界がグローバル競争にさらされて既に久しい。
日本はヒトだけが唯一の資源である。
大学をグローバル競争にさらし、優秀な人材を育成して経済界に送り込めば、日本はまだまだ捨てたものではないと思うのだが。
暴論だろうか・・・
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