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南英世の 「くろねこ日記」

健康寿命と終末期医療

 健康寿命という言葉がある。どれくらいまで元気で健康に暮らせるか? という寿命である。厚労省の調査では健康寿命の年齢は男性は72.1歳、女性は74.8歳(2016年)だという。仮に平均寿命まで生きるとすると、男性で約9年、女性で約12年もの期間が「健康ではない期間」、すなわち誰かの助けを借りねばならず、自分で日常生活を送ることができない期間ということになる(上図)。

このデータに照らすと、私の平均的な健康寿命はあと4年ということになる。メディアは日本が長寿大国であることを誇らしく報道するが、現実には200万人の高齢者が寝たきりの状態に置かれ、介護するほうもされるほうも大変な思いをしている。長寿であることが果たして本当に本人にとって幸せなことなのか。

医者は胃ろうをつけたり人工呼吸器をつけたりして、1分でも1秒でも患者を長生きさせようとする。安楽死などはとんでもない。殺人罪に問われかねない。しかし、こうした終末期医療の在り方に私はかねがね疑問を抱いている。

ここで一般論として展開すると炎上しかねないので、私個人の生き方に限定して私見を述べたい。私自身は、もう十分やりたいことをやったという思いもあり、健康寿命を超えてまで長生きしたいとはサラサラ思わない。だから、いい加減なところで自然に死なせてほしいと家族にも伝え、また「終末期医療について」という一筆をしたためて、いざという場合、医者が殺人罪に問われないような準備もしている。


 ところで、日本の財政赤字がますます深刻になっている。その原因の一つは終末期治療である。厚生労働省によると、一人にかかる生涯治療費は約2300万円であり、そのうちの半分は70歳を過ぎてから必要になるという。医療費だけではない、これに介護費用もかかってくる。もちろん、そうした費用を負担するのは現役世代である。



 しかし、マスコミはこうした事態を絶対に報道しない。「年寄りに早く死ねというのか」という反発が目に見えているからである。また、年寄りを敵に回したら、いまや新聞の最大の購読者である高齢者の不買運動にあいかねないからである。

世間には「ポックリ寺」なるものがある。この年になると「ポックリ寺」にお参りする人の気持ちがよくわかる。あるとき病院に行ったついでに、「いつ死んでもいい」とドクターに言ったら、「今は医療が発達しているから、なかなか死ねませんよ」と言われてしまった(笑)。

自分の生き方は「自己決定権」であり、本人の意思に反して長生きさせるのは重大な人権侵害だと思うのだが・・・。間違っているだろうか。終末期医療について、そろそろ国民的議論があってもいいのではないだろうか。
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