最近の政府・日銀のやっている経済政策の理論的背景を知りたくてこの本を読んだ。著者は2021年3月まで専修大学で教鞭をとった後、4月から日銀の政策委員会審議委員になった野口旭氏である。黒田日銀総裁と同じく「ガチガチのリフレ派」として知られている。
政府日銀が財政再建を後回しにして、「反緊縮政策」にかじを切ったのは2012年の安倍内閣の成立後である。こうした動きは2013年頃から加速する。
これまでの経済政策を見ると、1960年代はケインズ主義が主流派で財政主導の政策がとられてきた。著者はこれを「ケインズⅠ」と呼ぶ。ところが石油ショック後のスタグフレーションを機にケインズは死んだという論調が高まり、また1980年代にはフリードマンを中心とするマネタリズムの台頭もあり、財政政策と金融政策が融合した「ケインズⅡ」の時代に入る。
一方、ギリシャ危機(2009年)をきっかけに、世界的に「反緊縮」の動きが左派から出てくるようになる。日本でも白川総裁を黒田総裁に替え、財政赤字+日銀による積極的な国債購入というパターンが定着した。こうした財政と金融が一体化し、事実上のヘリマネ政策が実行される時代を、著者は「ケインズⅢ」の時代と呼ぶ。
こうした政策に対する懸念材料は次の二つの問題である。
第一に、国債の発行が将来の人にどの程度の負担となるかという問題である。この点について著者は「国債が国内で消化される限り、将来負担にはならない」という立場をとる。身持ちの悪い亭主の借金を女房のへそくりで賄っている家族内での所得移転と同じで、いくら借金をしても国内で消化される限りは問題ないとする。
財政均衡に対する一般的な考えは、単年度で財政均衡を達成するのは難しいとしても、景気循環過程の中で財政収支を均衡させるべきだというものである。多くのケインジアンはそう考えているし私もこの考えが正しいと思う。
しかし、反緊縮派の考えは違う。とりわけMMTと呼ばれる人たちは「財政均衡は目標ではない」と考えている。政策目標は完全雇用、物価、所得分配の不平等の緩和などであり、インフレさえ起きなければいくら財政が赤字であっても構わないとする。その理論的根拠は、たとえ借金をしてもそれは将来世代の負担とはならないからだという。すなわち、政府の債務=民間の純資産だというのだ。
第二に、政府債務はどの程度まで維持可能かという問題がある。現在日本の累積公債残高は1000兆円を超える。いったいどこまで持ちこたえることができるのか。
これに対してデフォルトが起きるのは次のいずれかの場合に限られると著者は主張する。
(1)国債の借り換えが不可能になったとき
(2)増税によって十分な収入を得られなくなったとき
たしかに政府債務がGDP比に対して過大なものになりすぎて、将来の税収によって返済することが不可能になれば、デフォルトが発生するかまたはハイパーインフレが発生する。しかし、今の日本では(1)も(2)も可能性はほとんどないという。だから、新型コロナ対策でいくら公的債務が増えても、将来の負担になることはないと断言する。
結局、デフレ、低金利という長期停滞経済の下では「ヘリマネ政策」は必要で、ばらまいたヘリマネも回収してはいけないという。そして反緊縮の出口戦略は、物価・賃金が上昇し始め、目標とされるインフレ率が達成したときにはじめて可能になると主張する。
債務は必ずしも返済される必要はないという考え方。欧米では左翼から始まった経済政策が、日本では右翼によって実行されている。壮大な人体実験の行く末は如何。不況期に借金をし景気がよくなっても返済しないという構造的な財政赤字問題を抱える日本では、私はハイパーインフレが最後に残された唯一の解決手段だと思っている。
(久しぶりにノートをとりながら読んだ。読み応えのある本だった)