駅周辺はすべて津波に流され、ほとんど家が建っていない。駅舎は新しく建てられたものである。
原発被害の様子が知りたくてタクシーに乗って案内してもらった。富岡町の人口は事故前は1万6000人だったが、現在は800人しかいない。夜は誰も歩いていないという。以前17台いたというタクシーも今は2台。1台でも十分ということだった。富岡町から浪江町への電車(常磐線)は今も開通していない。
電車に代わって富岡と浪江を結ぶのは、南北に走る1本の道路である。しかし、その幹線道路からわきに入る道はすべて封鎖されていて、帰還困難区域としてまったく立ち入ることができない。道路に面した住宅や店もすべて封鎖されている。
店の建物は残されているが営業はしていない。
復興住宅が建てられているが、入居する人は少ない。
人の気配がするのは、かろうじて警察、町役場ぐらいか。
駅の周辺もまだほとんど空き地のままである。
新聞やテレビが伝える復興情報は、もちろん大阪などで報道される量よりはるかに多い。テレビではこんな情報を流していた。
有名な夜ノ森(よのもり)地区の桜並木に人が戻るのはいつだろう。放射能汚染は復興のめどが立たないという意味では、津波と違った深刻さがある。
(追記)2019年4月6日の毎日新聞に次のような記事が掲載された。
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