南英世の 「くろねこ日記」

4つのイドラ

『初めての哲学』 岩波ジュニア新書 を読んだ。

 人間は何を目指して生きるべきなのか。生きがいとは何か。幸福とは何か。よく生きるとはどういうことか。自己とは何か。真理とは何か。本当にあるものとは何か。日常生活の延長上にあるものについて、ああでもないこうでもないと考える。

面白かったのはベーコンの唱えた「4つのイドラ」の解説である。もちろん内容は知っていた。しかし、覚えただけの知識レベルで、日常生活に生かすまでには理解していなかった。ところがこの本を読んでいてようやく「ストーン」と理解できたのである。

ベーコンは正しい認識を妨げるイドラ(=偏見)として次の4つを挙げているが、以下ではこれを自分流に解説する。

① 人間は五感を通して様々な情報を受け取る。また見たもの聞いたものの中から必要な情報を選んで受け取っている。これはいわば「平らでない鏡」に映し出してゆがめて受け取っているようなものである。ベーコンはこれを「種族のイドラ」と呼ぶ。

② 人間は育てられ方や教育のされ方によって、認識の仕方に違いが生じる。貧乏な家に育ったか、それとも裕福な環境で育ったか。十分な教育を受けることができたか否か。大学でどの分野を専攻したか。そうした違いは当然、モノの見方を個性的なものにする。ベーコンはこれを「洞窟のイドラ」と呼ぶ。

③ また、コミュニケーションのずれから生まれる認識の違いもある。関西では「アホかいな」といっても相手は傷つかない。しかし、「バカ!」と言えば大いに傷つく。ちょっとしたニュアンスの違いが認識の違いを生む。京都の「ぶぶ漬け」なども、その意味するところを知らなければ誤解を生む。市場で交わされる言葉に由来する認識のずれを、ベーコンは「市場のイドラ」呼んだのである。

④ 最後は「劇場のイドラ」と呼ばれるものである。巷間言われていることがそもそも事実に基づいていないことがある。権威ある人が主張すれば多くの人が信じてしまう。たとえば、赤字国債を大量発行しても問題はない、地球温暖化の犯人は二酸化炭素だ・・・といった類である。ベーコンはこうした学説を「劇場で演じられている」ものとしてとらえ、そうした演劇に盲目的に従うことを「劇場のイドラ」として戒めたのである。

なるほど、こういうふうに理解すればベーコンの4つのイドラはいろいろ応用が利きそうだ。

どこぞの国がミサイルを日本海に向かって打ち上げているから「敵基地攻撃能力」が必要だという認識は正しいのか。日本が敵基地攻撃能力を備えればどこぞの国はミサイルの発射を控える?それともそれを上回るミサイル開発を行う?敵基地攻撃能力をわざわざ「反撃能力」と言い換えたのはなぜか。

ベーコンの思想は今も新鮮な輝きを放つ。

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