70年生きてきてようやく見えてくるものがある。
新自由主義が台頭してから約40年。最初はレールのポイントを切り替えるようにわずかな違いだったが、時間がたつにつれて、レールは全く違った方向へと走り出してしまった。
1970年代までの日本は、鉄の三角形といわれるように政府・財界・官僚が一体化し日本経済をけん引してきた。政府は大企業を優遇する法律を作り、終身雇用制の下で働く労働者も経済成長の果実を受け取ることができた。従業員は入社すると社宅に入り、社内運動会、社内旅行、新年会、忘年会、結婚式の仲人を上司に依頼するなど会社からは大切に扱われてきた。また、下請けの中小企業も大企業から仕事を回してもらい、なんとか食っていくことができた。
ところが1980年代に新自由主義が主張されるようになった。イギリスやアメリカが先陣を切った。日本も国鉄や電電公社などの民営化をやり新自由主義をやり始めたものの、ちょうどバブルで酔いしれていた時期と重なったため不徹底に終わった。
日本が新自由主義へと本格的に舵を切ったのはバブル崩壊後である。当時はよくわからなかったが、今から思えばいろいろ思い当たる節がある。
①1989年に労働組合を再編し、労使協調路線の「連合」を作ったのは、労働組合の力をそぐためではなかったか。労働組合の力をそいでおけば、経営者は遠慮なく賃金の切り下げができる。
②1989年に消費税を導入したのは、その後の法人税引き下げのための準備ではなかったか。
③個人の高額納税者(いわゆる長者番付)が2005年まで毎年新聞に発表されていた。しかし、プライバシーの保護を理由に2006年に廃止された。これは格差社会の到来を予測し、金持ちの所得を隠すためではなかったのか。
新自由主義が日本に本格的に導入されて20年。賃金はこの30年間ほとんど上がらず、今や働く人の4割が非正規雇用になってしまった。企業は従業員を「コスト」としてしか見なくなってしまった。終身雇用に代わって成果主義が導入され、従業員はかつてのように大切にされることはなくなった。不要になれば即クビ。系列取引や下請けも解消されていった。
かつては大企業優遇にも意味があった。大企業優遇はそれなりに日本を潤した。しかし、現在は大企業を優遇しても潤うのは会社と株主だけである。かつてのように、そのおこぼれが日本に滴り落ちることはない。それでも大企業優遇の昔ながらの政策だけが続けられている。
「人間は優越感以外の何物をも楽しむことはできない」といったのはホッブズである。しかし、そういった人間のエゴを克服しようとしてきたのが近代の歴史ではなかったのか。今歴史は19世紀に逆戻りをしている。民主主義はこの時計の逆回転にストップをかけることができるのだろうか。