南英世の 「くろねこ日記」

探求学習に思う

(写真は若手研究者を招いて三国丘高校で行った自主ゼミ  2002年11月30日土曜日)

 

 高校生が自ら課題を見つけ、調べ、考え、その結果を報告する「探求学習」がようやく行われるようになってきた。これにより思考力や表現力を養うことが目的とされる。大いに結構なことである。実は同じことを私は20年以上前から提唱し、実践してきた。

高校でもゼミ教育を! - 南英世の 「くろねこ日記」 (goo.ne.jp)

 

今、現場の探求学習がどのような形で行われているかは知らない。しかし、問題が二つある。

 一つは指導する先生がきちんとした指導をできるかという問題である。課題が細分化し、学問の最先端に近づけば近づくほど、高校教員では十分な指導が困難になってくる。その時、それをサポートする体制をどのように作るか。大学の若手研究者や院生に援助を求めるとしても、その財源まで確保する気が文部科学省にあるのか。もし予算もつけず、全部高校の先生任せだとするならば、「探求学習」は「ほったらかし学習」の遊びの時間になってしまうであろう。

 二つ目は入試制度の問題である。共通テストになって「思考力」や「判断力」を問うことに重点が置かれるようになってきたといわれる。しかし、高校3年間で学習するボリュームは基本的に減ってはいない。

そうなると、従来の受験勉強に加えて、生徒が「探求学習」にどれくらいの時間をかけることができるのか。たぶん、多くの時間をかけることは難しいだろう。それでなくても、多くの進学校では文科省が定めたカリキュラム通りの授業を行わず、受験科目に特化した授業をやっている。もし、探求学習が入試に「直接」役に立たない科目だとすると、せっかく鳴り物入りで導入しても「やってるふり科目」として軽く流されてしまうであろう。

探求学習がこの先どうなるか、じっくり見物させてもらう。自らの手柄としたい役人の一過性の思い付きに終わらないことを切に願う。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日常の風景」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事