大手の食品メーカーに勤務して、一番花形の部署にいるにも関わらず、
大手の食品メーカーに勤務して、一番花形の部署にいるにも関わらず、
今日の11時31分から、スーパーニュームーン。
新たな自分に生まれ変わるチャンスだそうです。
今、心の中にモヤモヤしているものがあるなら、
このチャンスにスパッと手放して、身軽になりましょう。
考えてどうにかなることなんて、ほとんどないそうです。
楽観的に、「なんとかなる」と、考えることをやめたほうがうまくいく。
最近は、ゾロ目を見ることが増えていませんか?
ゾロ目は、宇宙からのメッセージ。
(エンジェルナンバーといいます)
ゾロ目を見るということは、宇宙とのシンクロが増えている証。
すなわち、自分の人生が順調に進んでいるよというサイン。
今日という日は、人生で一番最高の日と言われてます。
嫌なことがあっても、びっくりすることがあっても
どんなことが起ころうと幸せな日なんだそうです。
それは、新たな自分に生まれ変わるために
気づきのために起こることであり、幸せへの道だから。
いつもお伝えしていることですが、
明日は誰にも約束されていません。
明日がきたら、みんな奇跡。
自分で決めてきた寿命がいつ全うされるかも覚えていません(苦笑)
だからこそ、今日1日を大事に、楽しく生きないとですね。
小林麻央さんの訃報を、23日の夜知りました。
麻央さんは、ライトワーカーだったのだろうと思っていただけに本当に残念です。
麻央さんの病気を通して進化されていく様子が
同じ病気の方の励みになったり、学びがあったりと、たくさんの人に
影響を与えただろうと思いました。
でもこれで終わりではなく、宇宙へ戻り
お子さんたちの守護になる訓練を受けて、またこの世界に来られる気がします。
魂は永遠ですから。
小林麻央さんのご冥福をお祈りします。
私はどんなに仲良くしている仲間でも友達でも
その人を信じることは、しないようにしています
昔は信じてました
でもある時、とても失礼なことだとわかったのです
人を信じるということは
あなたは○○な人
そうやって、相手を小さな枠に入れてしまうことだからです
つまり、これこれこんな風な人というレッテルを貼り、決めつけてしまうこと
そしてこちらが想像できない行動をとられると
裏切られた・・・・
思いとなる
でも相手は何ら変わってないし
こちらが作った枠から出ただけ
何より、相手目線でみたら
何をしようが自由なんですね~
経験するために、好きに生きているにすぎません
その経験や結果から学ぶことがあるから
その経験をしないと、成長できないのです
だから経験しているし、させられる
全ての人が、無限の可能性を持った存在であり
本来の自分に戻ったら、完璧なんです
その完璧な自分を思い出すために
人はたくさんの経験をしていくことになっています
自分目線で言ったら
自分の見ている世界の狭さや
間違って信じている信念を知るために
関わってくれる相手が、あえて傍若無人な態度を
見せてくることもあります
でもそれは相手の本質ではないのです
全部自分が進化するために起こってます
相手は知らないで演じてくれているに過ぎません
相手の対応によって、こちらが傷ついてしまうだけ
傷つくのは、相手のせいじゃなくて
自分が信じている信念のせいや
大半が自己否定からくるものです
では・・なぜこんな思いをさせられるか
傷つかない自分になるため
今後もっと楽に生きるため
傷つかないように進化した後は
同じような事件は起こりませんから
同じようなことが起こってる間は
進化できてないということも言えます
見ている視野は、自分が変われば変えられるんです
相手にフォーカスしがちですが、本当にやることは
相手のことを分析することでも考えることでもなく
自分自身の思いを内観し
起こった感情を受け入れ
自分で自分を満たすこと
これだけなんです
そうすることで、視野で起こっているドラマは
劇的に変化します
この世界には、自分自身だけの感覚で
○○な人と、決めつけられるような人はいないのです
いろいろな可能性を持っているのだから
自分というフィルターを外してみないといけない
フィルターがなかったら、実はとても見やすくて楽(笑)
フィルターを外すには、自分がどうして
そう感じてるか、内観するしかありません
相手は変えられないから、自分を変えよう
そう言われる所以です
自分が信じている常識や経験だけが全てじゃないし
常識が人を幸せにした例は聞いたことがありません
だから私は、人を信じないで、
ありのまま見るよう努力しています
慣れないと最初は大変ですが、慣れてくると
この見方が楽だとわかるようになります
全ては楽ちんな人生を目指して!
突然ですが・・・
掛け算で、数字の0(ゼロ)を掛けると、
どんな数字だとしても、答えは0(ゼロ)になります。
例) 100×0=0
掛け算知ってるなら、誰でもわかっている法則です(笑)
この数式を人に当てはめてみる。
自分の心がやる気のない状態、つまりはゼロみたいな状態の時
人から何か持ちかけられても、やる気が出ない自分を
責めてしまう時ってありませんか?
また周りも、なんでやる気にならないのだろうと
批判したり、余計なことを詮索してしまったりする
やればいいだけじゃん!なんて言われたり、思われたりする
でもどんなにいい話でも
自分の為を思ってくれて言ってくれたとわかっていても
自分がゼロ・・・つまり無気力の時は
答えはゼロのままなんだなって。
掛け算でゼロなんだから、心だってゼロでいいわけだと。
むしろ仕方ないことなのかもしれない(笑)
なので、大きく開き直って
無気力な自分を受け入れること
そうすることで、逆にゼロの状態から
早く脱出することができる。
そんなゼロの状態にいる方の周りにいるみなさん
1以上になるまで、そっと見守ってあげてください。
1以上になったら、貴方が持ってくる100の事は
100のまま、聞くことができて活用させることが
できますから
良かれと思って、アドバイスしても
相手が何も動かない場合
心がゼロなんだと思って
アドバイスはやめましょう(笑)
相手は聞く気がないのではなく
聞いても動けない。。
今その状態なのだと理解する努力をしてあげてください
むしろそれが、相手を救う光になりますから。
「人生は掛け算で
相手方がどんなに熱心に100や200を持ってきてくれても
こちらが0であるから、どんな素敵なものも「0」にしてしまえるっていう、・・・」
引用:syunkonカフェ雑記
なんかとても納得のいく話で・・。
当たり前なんだけど、改めてこうやって文章で目にすると
凄く新鮮で、思わずブログにあげたくなりました(苦笑)
私の好きな料理ブロガーさんの本です。
読むと大笑いできてとてもお勧めです!
ある番組で、いじめにおける加害者の実名報道について
賛成か否か議論をするというものがありました。
いじめというのは、根深い問題であり、
人と人の問題なので、得策があるようで無く、
故になかなか無くならないという現実があります。
いじめられる方に問題があるという意見もありますが
一番の問題は、いじめる子の「心」にあると思うのです。
いじめる理由・・それは何か。
その理由を解決せずして、実名報道したり、
法的に罰を与えたとしても
結果更生は難しいと思います。
なかなか無くならないので、実名報道して
もっと厳罰にすればいいという
流れになっていたのだろうと思いますが、
実名報道すれば、追い詰められ、恐怖が芽生えるでしょう。
それでやれなくなるだろうと思う方もいると思いますが
実は恐怖は別の形で怒りを生み、結果もっといじめをやるように
なる可能性があります。
人は、表面意識だけで行動しているのではなく
深層心理にある固定観念から発生している感情
によって行動することも多いのです。
間違って信じている信念が、恐怖や自己否定の原因となる。
その子にしかわからない幼少期に芽生えた恐怖が
時を経て、見えない怒りとなり、それを分散するべく
人をいじめる。
そういう背景もあるのではないかと私は思っています。
自己否定からくるコンプレックスから、いじめる場合もあるかもしれませんし
全く関係ないのに、そのいじめたくなる子を見ると、無意識で何かを思いだし
それが怖くて怒りにつながり、結果いじめてしまう。
いじめている子自身でさえ、湧いてくる感情の理由が
わかってない部分もあるはずなんです。
だからいじめる子にカウンセリングを受けさせる。
それが一番の解決方法じゃないかと思います。
実名報道や罰則ではなく、その子の心の奥にある
本当の苦しみに光を当てて解決していくことが
いじめたくなる気持ちを抑制できる唯一のことだろうと
思うのです。
何かに夢中になっていたり、
楽しくてワクワクしている子は、
人をいじめる暇などありません。
人をいじめるのは、楽しいことがなく
つまらないからというのもあるのでしょう。
なぜ楽しいことがないのか。
ワクワクすることがないのか。
そこがそもそも大問題のような気がします。
そしてそれを見せられている我々大人が
一体何を学べと言われているのか。
問題は気づきの為に起こること。
子供同士の問題だけではなく、
巻き込まれた大人にも関係あることなのだと思います。
でも今年は昨年よりもっと
大きな変化が訪れる年。
素の自分に戻り
本来の自分で生きる
ありのままの自分で生きる
それを実行する人が増えていき
もっと生きやすい世の中になっていく
そう感じています。
色々な問題が、違う方面から
解決の糸口を見出していける
そんな1年になりそうです
楽しみですね。
日々のびっくりするような時間の速さは、
多くの人が感じていると思いますが。
宇宙的には、だんだん時間は無くなっていくと言われています。
そしてやがてゼロになる。
(この詳しい説明は、ネット上にたくさん上がっていますので好きな記事を読んでみてください!)
そこへ向かって今があるわけです。
しかも・・・明日は保障されていない。
ただ、これを実感できる人は少ないでしょう。
病気を患って、生死の境にいる人くらいだと思います。
本当は病気なんて全く関係なく、誰にも言えることなんですが・・・。
正確に言うと、それぞれの寿命がわからないので
いつ死ぬかわからない=1秒後はわからない
となります。
高齢になって死ぬというのは、寿命が長かったというだけで、
誰にも当てはまることではないのだと思います。
逆に若くして病気で亡くなるとしても、それは病気のせいではなく、
その方の寿命が、「最初から短かった」だけということになるのだと思います。
原因は後付けで、寿命は絶対だということ。
時間ができたら、ゆっくり本を読みたい。
時間ができたら、ゆっくり散歩をしたい
時間ができたら、どっか旅行にいきたい
時間ができたら、絵を描きたい
時間ができたら・・・
時間ができたら・・・
こうやって、時間はできないまま日々が過ぎています。。
私もそうでした。
やろうとしなければ、ずっとやらないまま。
老後にやろうと思って、お金を準備しているとしても
老後の生活が不安で、お金を貯めてるとしても
老後があるかどうかもわからない。
頭でわかっているとしても、実は知ってるだけなんです。
本当に腑に落ちるまでいかないと、実感はできないし
わかったとは言えません。
それが腑に落ちると、きっと今を生きるという意味も分かると思います。
少しずつですが、そこに気づいて動き出している人が増えています。
明日もあると思うから、喧嘩をしたまま放置してしまう。
明日がないかもしれないと思えたら、
時間が限られていることが痛感できて
接する人達を大切にできます。
私はそうやって、ロクな会話をしないまま、
尊敬していた大好きな上司を失いました。
交通事故でした。あっという間だった。
お疲れ様でした~って言って別れた人が、帰らぬ人になる現実。
明日がみんなにくるとは限らないと思い知らされた一瞬でした。
1ヶ月後に死ぬとわかったら、何をするか?
そこに、「今やりたいこと」が隠れている気がします。
こんなことなら、
先人達は、こんな素晴らしい言葉を残してくれたのですね。
いきなりですが・・・。
奇跡って、人生に起こる回数が限られているって思ってませんか。。
わ~~奇跡だ~~って思うことが何回も起こると、
まるで回数券のように無くなってしまうのでは?と
あと、運を使い果たすという感じで思ったり。。
ともかく、減ってしまうものなんだと感じていませんか
だから、せっかく奇跡が起こっているのに、
こんなことは奇跡なんだと認めたくない!!!
どうせ起こるなら、もっと大きな奇跡がいい
つい、そう思ってしまうかもしれませんが・・・
奇跡に制限などないのです。
そして、なんと・・・
奇跡は奇跡を呼ぶ
つまり奇跡だと感じれば感じるほど
どんどん奇跡の数は増えていきます。
なぜなら、宇宙は
私達が日常に経験している状況を観察して
その状況を継続させることしかできないから
奇跡が起こると奇跡は減るものだと思っているなら
奇跡があまり起こらないという日常を継続させる
奇跡が起こって凄い日々だと思っているのなら
奇跡が起こり続ける凄い日常を継続してくれる
というわけなのです
言葉遊びのように感じるかもしれませんが
これが現実なのです
だから気分がいい状況でいること
ストレスをなるべく少なくすること
これが最重要課題になるわけです
今自分が感じている日常が継続する
ワクワクすることが重要なのは
ワクワクしている時、悲しい、辛いと思っている人はいないから
ワクワクしている時は、100%
幸せな状況のはずだから
ワクワクしていれば
ワクワクすることしか
起こらない日々になる
つまりは
幸せでいっぱいの日々だ
ということになるってことなんです
そんな日々を望まない人なんて
いないですよね。
そしてそれはずっと持続するんです
自分の心の在り方次第で。
こういう考え方は慣れていないので
なかなか難しいかもしれないけれど
慣れれば簡単になるのです
慣れればいいだけ
奇跡を見つけたら
どんな内容だとしても
それを奇跡と認め
受け入れてみましょう
私は奇跡を見つけたら
おーラッキー
と大喜びしてそれを受け止め
今の自分の日々がとても順調に
進んでいると感謝します
奇跡の積み重ねが
やがて大きな奇跡を呼ぶんだと
私はそう信じています
私は介護の現場で、老後について色々考えさせられた。
楽しくなさそうな雰囲気の人が多かったので
何をしたら楽しいんだろうと、在職中はそんなことばかり考えていた。
しかし職場を去って、俯瞰して介護の世界を見ながら
自分自身の日々と照らし合わせ、今いい気分でいるために
自分なら、どうしたいのかと考えてみた。
その初めとして、まず読書をしている。
実は、本を読むなんて、ずーーーーーっとやっていなかった。
ネット時代になったから、余計に本というものを見なくなったのもあるが
仕事をしていると、本を読む時間などない。
前職をやめて自分と向かい合って、
もっとカウンセリングの知識を増やしていきたいと思った時
まず思ったのが、本を読みたいということだった。
そして今は、すぐにそれが叶う(笑)
その感覚がとても嬉しかった。
今までならそう思っても、あ~次の休みの日にやろう~~。。。
そう思って、やりたい気持ちを延期して、
結局次の休みにはやらないで終わっていた。
こうやって、やりたいな~と思うことをやれなかった場合、
その後もずっとできないでいる事の方が多いと思う。
年齢は関係なくそう思うけれど、今の高齢者は戦争経験が多いだけに、
たくさんの我慢を強いられてきているから、
今の世代よりもずっとできなかっただろうと思う。
それは驚くことに、お金持ちだろうが貧乏だろうが、関係ないのだ。
今よりも親のしつけも厳しかっただろうから、ダメダメ攻撃にあい、
自分の思いなど口にしてはいけない、
やりたいことはできないことくらい思っていたかもしれない。
高齢者の人と話して出る、幼少期の自分の経験談には、
そういう我慢の話が多かった。
じゃあ今は自由なのだから、時間もたくさんあるし、
色々なことをやって楽しい気分になってもらおうと思ったのだ。
でも色々レクレーションを考えても、
本当に楽しそうに見える時は、
実はわずかしかない。
私達に気を使ってくれて楽しそうにしてくれるけど、
心からじゃないのは見ていればわかる。
じゃあ、一体何をしたら楽しいのか?
いつも疑問だった。
年代が違うから、難しいよな~
そういう風に思っていた。
でも灯台元暗しだったのだ。
私が読書をしているのは、今やりたいことでもあるけれど、
どちらかと言えば、やれなかったことという感覚の方が強い。
だから今それがいつでも自由にできて、とても嬉しいし、楽しい。
やりたくてもできなかったことを
やれているから楽しいのだ。
読書は楽しいけれど、ただ楽しいから読んでるのではない。
「やりたいこと」・・・・・・・・・・をやる
「やりたくても、できなかったこと」・・・・・・・・・・・・をやる
これは似ているけれど、微妙にニュアンスが違うことなのだ。
そしてやりたくてもできなかったという思いは、
心の傷になっていることが多い。
だからこそ、できなかったという思いが、今やることで上書きされる気がするのだ。
「大人買い」という言葉があるが(笑)
幼い頃はできなかった、まとめ買いや高額の商品を買うこと。
大好きな漫画を1冊しか買えなかった幼少期
そして今は、全巻一気に買える大人となった(笑)
我慢をして買えなかったという思いに、
今は買えるんだという思いが上書きされると
出来なかったという不足感が消え、満足感という達成感になり、
心が少し満たされる気がするのだ。
もちろんお金のあるなしで、できなかったことだけじゃなくて
お金以外の理由でやれなかったことも同じだ。
今の年で、今体験することにも意義があるような気がする。
山登りをしても、満足なお弁当を食べられなかったけど
今なら、手作りのおいしいお弁当が食べられる。
山登りしても食べられなかった思い出が、
山登りして食べられる思い出に変わる。
心の奥底にある「マイナスの信念」でできている固定観念が
書き換わる瞬間だ。
それは何よりも、心の豊かさにつながると思うのだ。
心の豊かさが増えていくと、
今度は新しい内容の心の豊かさになるものが
引き寄せられる。
そういう風に、心満たしていくと、
老後病気になっても、人格が変わったりすることなく
起こる出来事を受け入れられて
穏やかに過ごせると思うのだ。
心に穴をあけたまま、宇宙に還ってはいけないのだ。
この世界であけた穴は、この世界で埋める。
だから年齢に関係なく、あえて時間を作り
やりたくてもできなかったことを、やってみる。
本当に心が満たされるので、ぜひやってみてほしい(笑)
8月13日未明に父が亡くなりました。
5月4日に入院したので、3ヶ月あまりの闘病でした。
誤嚥性肺炎による入院で、
今後口から食事をとることが不可能
寝たきりになるという宣告を受け
それならばと自然死の道を選んだのですが・・・。
もちろん、簡単に決められたわけではありません。
栄養を点滴すればまだまだ生きられるのに
この選択で本当にいいのかと病院側からも
何回も確認されました。
一度鼻からの栄養摂取をやってみましたが、
父が鼻の管を無意識に取ろうとするので、
ミトンをはめ両手をベット柵に拘束するという
措置を取りました。
しかしこれでは父は何もできず、かゆい所を
掻くこともできません。
かつ鼻から栄養を入れると、わずかな誤嚥が発生することも
判明し鼻からの栄養を断念しました。
私個人は、延命治療を望まないので、
仮に父のようになったら自然死を目指したい
こう考えていましたが、看取る家族の側にたって
考えたことがなく・・・。
延命治療を望んでなくても、いざとなると意思がかわってしまう。。
まさにその境地になってしまいました。
基礎疾患がなかったのもあり、本当にこれでいいのかと
父を見舞うたび悩みました。
妹や友人に、同じ状態ならどうしたいかと尋ねては
皆一様に同じ答えだったので、道は間違っていないと
自分に言い聞かせました。
でも同時に生きているって何だろうと。
父は食べることが大好きな人でしたので、食べられないのに、
寝たきりで生きる人生なんて、望んでないよねって思い、
自然死の道を選んだわけですが、自然死という名の
餓死という状態でした。
わかってはいても、その過程を見守るのは想像以上に
大変なものだったし。
自然死より、餓死なんだということが
一番私が悩んだところでした。
水分とわずかな塩分、ビタミンだけで3ヶ月。
本当にやせ細り、骨と皮の極限までいきました。
誤嚥が起こらないので、父の様子は楽そうで、
そこがわずかな救いでしたが、
痩せていく姿は、つらかったです
人間はちょっとくらい食べられなくたって死なないのだな
と思いましたし、やっぱり寿命で亡くなるんだと
実感させられました。
そんな中・・・、15年ぶりくらいに友人から
突然電話がかかってきて。乳ガンの再発でした。
抗がん剤治療を受けたくない、どうしたらいいかというものでした。
抗がん剤を使わないがん治療を行う医師を紹介したら
すぐ治療に入りました。
と同時に、友人のご主人のメンタルの相談にのる
ということも行っていました。
友人は、最初にガンになった時、
ジャンクフードを食べ過ぎたと言ってました。
今回の再発については、再発を告げられる前に、
仕事でかなりのストレスを抱えており
自分の体の異変に気づいていながら、先送りにしていたそうです。
もうこれはおかしいとなり、病院に行ったら再発を告げられるも、
抗がん剤の治療を拒否し、私の紹介した医師のもとで
治療を行いました。
そして、遠出できる体調じゃなかったにも関わらず、
海外旅行にご主人と一緒に行き、そこで体調を崩すも、
現地の見知らぬ看護師とご主人に助けられ、
本来なら経験できないことを経験できたと言っていました。
人の温かさを感じ、感銘をうけたそうです。
生きる意欲も湧いたのか、私に生き抜く姿を見てほしい
とも言ってました。
きっとガンが再発しなければ、旅行にも行かず、
そういう経験もしなかったのでしょうが
再発が彼女を動かし、色々な奇跡を起こしたのだと思います。
ご主人ともなかなか本音で語り合えなかったようですが
亡くなる数日前に、お互いの心の思いを打ち明けあったそうです。
残念ながら、父が亡くなった10日後、友人も宇宙へ還りました。
世間では友人と同じ病気で闘病されている、
小林麻央さんのブログが話題となっていますが
マスコミに追いかけられ、たくさん悩み、
病気の状況もありつらかっただろうと思います。
私も拝見しましたが、麻央さんは精神的には
既に病気を克服してるんだと感じました。
でも何より印象的だったのは、痛み止めを飲むのが嫌いで、
でも痛みに耐えられず痛み止めを飲んだら、
その痛みが緩和されていく過程に、自分が許されたような気がした
という部分でした。
なぜここまで頑なに、自分を苦しめてきてしまったのだろうと。
痛みは忘れてしまいそうだけど、この痛みが和らいでいく感覚は
一生忘れないと。
僭越ながら、麻央さんは、病気を通して自らの解放を学ぶ必要があったのだろうと
感じました。もっと自分を大事にしていくことが何より優先事項だということも。
人は麻央さん同様、自分を痛めつけてしまっている人がとても多いです。
友人もそうでした。無理ばかりしていました。
体が痛い。
痛いのだから、止めてほしいと誰もが願うもの。
でも我慢してしまう。。。。
痛み止めを飲まない理由は様々あるとは思いますが、
今直面しているその痛みを止めるのに、躊躇してしまう本当の理由は一体なにか。
本当なら
今何が起こっていて
どうしたいか?
・・・だけのはずなのに。
そこをおざなりにしがちなのですね。
自らを解放するというのは、簡単なことのようで簡単ではないことです。
人は病気で死ぬことはなく、全ては自分が学びを得るため。
そしてその学びを得たら、病気でいる必要がなくなるので完治する。
麻央さんもまた、完治の道に向かって行かれるのだろうと思います。
ブログを始められたこと、それはすなわち、自らの解放であり
新たな1歩なんだなと。
何が正解などということは、本当に本人にしかわからないことですが
友人の選択も最良であったと感じましたし、
とても有意義な時間を過ごせただろうとも。
麻央さんの選択もまた、多くの人の共感を呼び、その勇気ある行動が
多くの人にとって、自身の人生を振り返るきっかけになったのかなと。
人生は時間の長さではなく、質が大事だと思います。
病気になったのも、その人が悪いわけではなく、何かを学ぶためになっただけ。
だから自分で自分の好きなように向かい合い、学べばいいだけ。
どんな宣告を受けようと、それが決定でも答えでもなく
そこからどうするかを問われただけなのだと。
周りはそれを見守り、また同様に何か学ぶだけ。
私は父と友人から多くのことを学ばせてもらいました。
特に色々なことを考えさせられた父の看病でしたが、
最後はこれでヨシ、これで良かったんだと、
自分に言ってやることができました。
私の学びの為に長生きしてくれた父に改めて感謝です。
そして、父と友人を通して・・
ともかく自分を大事にすること、
やりたいことは、後回しにせずやること
その際、お金の心配はしないこと
やっぱり明日はなく、今のこの瞬間瞬間だけが大切だということ。
今回は、今さらながら、本当に本気で肝に銘じました(笑)
そして9月になり、暦上では秋となりました。
いよいよ、どの人にも変化の時が始まるようです!
心していきたいものです!
最近、自分に色々な事件が起こっているので
たくさんの人が親身になってアドバイスくれたり
情報を教えてくれたりすることが多いのですが。
以前の私なら、聞けなかったことが
最近は、素直に聞けるようになりました(笑)
自分が意図して探す情報には、エゴも含まれている可能性も
あるけれど、他人がくれる情報は、自分を内観するいいきっかけにも
なっています。
ただもらった情報を見るときに、心がけていることがあって。
その情報を発信している人を、なるべく意識しないこと
そして、いいなと心に響く言葉だけ受け入れる
基本・・どんな情報も
与えられるものは
自分への宇宙からのアドバイスなんだと
考えて受けるようにしています。
でも仮に、発信者を意識してしまったとしても
その感情を静かに内観します。
羨ましい感情だったり、
妬みだったり(笑)
色々起こってきます。
でもそれを静かに感じていれば
やがて消えていく。
そして、いいなと感じる情報だけ受けるので
自分に必要なものだけ、取り入れることになる
なぜか、納得できないなって思っても
教えてくれた人が良い人だったりすると
あの人が勧めているんだからと鵜呑みにしがちだし
その相手が人生うまくいってるならば余計に
同じようにいい人生にしたいから
考えなくして、いいことだと決めつける
人生は、すべてタイミングだと思うのです
だから、その時受け入れられなくても
きっとまた別の形でやってくる
逃した魚は、実はまた来る
だから、焦らなくていいし
義理人情を立てる必要もない
自分中心で、うまくいきます
直感というのは、正直です
自分の直感を信じていれば
ほぼほぼ間違いなんてないと
言ってもいいほど
だから自分を信じる手始めは
自分の直感を信じる事でもあるかもしれません
かくいう私も、自分が思ったこと
感じた事、経験したことを
覚書のように書いてるに過ぎないのです
自分が良いと感じることを受け入れていけば
自分の人生が拡大する
でもあくまで私の考えです(笑)
私個人が、そう信じている
それだけの話でした(笑)
4月上旬に、友達が自殺未遂したという情報が入ってきた
私の人生において、自殺しようとした人が、3名になった
(残念ながら、他の2人は亡くなってしまったが)
1人は、従兄弟
若くして、統一教会に入り、精神的に追い込まれて死んでしまった
もう1人は、初めてできた親友
産後の肥立が悪く、ウツになり、ビルから飛び降りてしまった
わずか27歳の時だ
原因は色々あるだろう
今の世の中を見れば、誰だって死にたくなるようなことばかり
自殺をしても、友達のように未遂で生還したら
自殺する前より、もっと悲惨になるケースも多い
楽になりたくて
死にたくなるのだから
生還したって、希望がなければ
未遂をしたという新たなリスクを背負うだけとなる
だから繰り返してしまうのだ
友達の場合、未遂をした後
仲良かったほとんどの人が離れていったらしい
周りもどう接していいかわからない
だから自然と疎遠になる
1人になって、リスクまで背負って
どれだけの苦行だろう
でも友達は、開き直れた
そしてかねてからやりたかった
画家になるという夢に向かって歩き出した
幸い、友達のように
どうせ一度死んだも同然だから
こうなったら、やりたいことをやろうと思って
開き直れる場合もある
でもなかなか、こういうポジティブなケースは少ないと思う
それに、やりたいことを見つけられたとしても
ウツの状態を脱したわけではないので
1年くらいは、様子観察していく必要がある
病院に行ければ、カウンセラーや精神科医から
話を聞いてもらって、少しは楽になるかもしれない
だけど常に医者やカウンセラーがそばにいるわけじゃないので
何もしなくてもいいから、 周りの人が、時折声をかけること
それだけでも、だいぶ違う
そして、この世界に存在する価値を
伝えていけたら最高
ここ(地球)にいる必要があるから
今、ここで生かされている
存在価値とは、人に決めてもらうのではない
いるだけ
ただそれだけでいいのだ
人に認めてもらう必要などない
この世界にいる必要がなくなれば
みな、自然と亡くなって宇宙へ戻る
寿命もそうやって設定されている
自殺は自然と亡くなるケースではない
だから、宇宙から見たらご法度なのだ
どんな人も、見えない糸でつながっている
だから、一人のようで一人じゃないし
明確に感じられなくても、その人の存在が誰かを救っていることもあるのだから
人に迷惑をかけることは、悪いことではない
迷惑をかけられる人と、かける人の間に
2人の魂にしかわからない取り決めがあり
そういう体験をするために起こっている
その体験により、お互いが学びがあるから
だから意味がある
いじめも横行しているが
本当はいじめる側が、弱い場合が多い
弱いから、誰かをいじめて
強い自分だと錯覚して
この世界にいる存在意義がほしいだけ
いるだけでいいとは、気づいてない
いじめられる側は
そういう人の相手をしているのだから
ある意味、強くてすごいとも言える
そして、いじめる人には対象が必要なわけで
その対象になってあげてるのだ
どれだけ尊い役目だろう
自殺をするなんて、とんでもない
自分を最大限ほめてあげてほしい
誰でもできる役目じゃないのだから
自分さえ変われたら、この世界はパラダイスになる
意識を切り替えられれば。全てがOKとなり
本当に楽に生きられるのだ
取り組んでいる間は色々な不安に苛まれて
いかもしれないが、必ずゴールはくるし
宇宙はそういう人を見放さない
あとは・・どれだけ信じられるかだけ
人間は、意図しなくても、同じ状態ではいられない
信じる者は必ず救われる
これだけだ
そして今、友達の画家としての発展も信じている(笑)
ご協力よろしくお願いします。
突然ですが…(笑)
嫌なことはしない!!
したいことだけして過ごす
という時間を、みなさんどのくらい持ててますか?
私はこれを習慣化できるようチャレンジしはじめて
3か月です。
名付けて・・・
こころの断食
しかしこれ・・・なかなか難しい
特に我々日本人は難しいですね。
私は今、仕事がない日は
これを実践して
やっと少し上手にできるようになってきました
でも最初は大変でした。。。
やってるときはいいんですが
寝る頃になると、罪悪感に苛まれてました
こんなことしてていいのか
みんな働いてるんだぞ
努力しなきゃ上手くなんていかないぞ
みたいな感覚が浮かび上がってくるんです。
誰かに責められてるわけでもなく
自分自身が責めてるんです
エゴの言葉なんですよね。。
自分が休む時間
楽しむ時間
これらに許可を出せないってことなんです。
そしてこれが、多くの人の中にある考え方になってしまっている。
休みなのに
溜まったことをやらなきゃって
あくせく動く人もいますね
本当は疲れているから
ぼけーっと休んでいたいはずなのに
溜まったビデオを見て
ゆったりしたいのに
そうやって過ごすことが
無駄な時間だと思い込んでる場合もある。
動いていることが重要で
動かないで休む時間は無駄な時間
そう考えてしまうので
嫌なことをしない日っていうのは
とても難しいんです。
できたとしても、やった後に後悔する場合が多い(苦笑)
楽しかった
こころが休まった
こう思えたら最高なのに。
なぜか思えないことが多い。
なぜでしょう。
常識を当たり前と思い
悪癖が習慣化していることに気付けないからです。
だけど旅行に行ったときや外出したとき
病気だったとき
こういう場合は、比較的
上記のように考えられるのです。
病気の時は、体を治したいから
治った結果、あ~休まったと思う。
旅行に行きた~~いと思うのは、
楽しい時間を過ごしたい
ゆっくりしたい
非日常を楽しみたい
という考えからだと思います。
だから本当は
心の底から楽しみたいし
休みたいし
日常が嫌だから非日常を求めるのだと思うんです。
旅行に行けば、非日常だから
楽しむ許可を出せるんですね。
旅行に来た!という大義もあるから(笑)
逆に楽しまなきゃもったいないと思う。
だったら、日常も楽しくできたら
もっと人生が豊かになるのでは?
でもできないと決めつける。。。
やってみる価値はあるのに
習慣とはそのチャレンジを阻むことも多いんですね。
こう考えていくと、人生って面白いな~って思います。
時間に身を委ねるのは、このように難しいんですね。
特に習慣化されていることを覆すというのは
並大抵じゃない。
習慣化されたのと同じくらいの時間を要するのかもしれません。
特に自営業の人は大変だと思います。
このままでいいのか
お金は入ってくるんだろうか
生活大丈夫か
そういう不安がついてまわるから
話が少しそれますが・・・
私は猫や犬、動物全般大好きなんですが
時折思ってました。
動物はいいな~~
好きな時に寝て
好きな時に食べて
好きなことをして生きている
なぜ人間は働かなきゃならないのかなぁ~と
昔々は、働いてなかったのになと
お金がなければ食べられないからなんですが
私達は、すでに豊かな状態のはずなんです。
心配するから、心配事が引き寄せられる
お金は循環しているはずなんです。
仕事をして給料としてもらうことが大半でしょうが
そうじゃない収入もあるはず
お金じゃなくて物で巡ってくることもあるはず
自分の日々を振り返れば
仕事の対価じゃない循環物もあると思うのです。
自分が、自分らしくいきるために
自分の心の思いに素直になり
自分の心を豊かにしていったら(満たしていったら)
豊かな心に巡ってくる循環物も豊かになる
それが宇宙の法則なので(笑)
実践されてる方はまだ少ないですが・・・(苦笑)
だからまず
自分の気持ちを確認し
こころの素直な気持ちに沿って
嫌なことをしないで
やりたいことをやって
満足した心を
しっかりと、受け止める
それを繰り返しやっていったら
何が起こるか
試す価値はあると思います。
仮に半年やったとしても
長い人生から見たらわずかな時間
でもその半年が
その後の人生を大きく変えるきっかけになるとしたら
どうでしょうか
私は今それを信じて進んでいます(笑)
いい報告ができると確信しています
まだ3か月ですが、すでにとても幸せな日々です
これまで、本当にたくさんの転職を繰り返してきた
辞めてしばらくすると、なんだか行くべき会社に転職し
会うべき人に会うことになる
なんとなく、こんな日々を繰り返してきた。
次の仕事どうしようなんて思いつつも、ちゃんと仕事は決まっていった
今回辞める前、色々なテレビ番組で、プロの仕事ぶりを見ることが多かった
この道○○年です!っていう風な・・
なんでそこまでできるのか?
不思議でしょうがなかった
自分を振り返った時、そこまで、何があっても続きそうな仕事って
何だろうと改めて考えてみた
お金のために働かなくていい、やりたいこととして働くとしたらと・・・
出た答えは・・・
カウンセリングをする
ということだった
どの職場に行っても、相談を受けるということだけは・・やっていたなと
そしてそれが、もはや当たり前のことであり、好きなことなんだと
そして、びっくりするような茶番劇が起こり・・
仕事を辞めて、カウンセリングをやろうと決意した
こうやって宇宙は、簡単に決意したくなるような茶番劇を起こして
追い詰めて、辞めるよう仕向けるのだ
そして、カウンセリングを本業とし、起業しようとまで思ったのだ
でも同時に、ずっと考えていたことがあって
なぜ、お金を稼ぐために
働かなければいけないのか
・・・ということ
好きなことをやる日々じゃ、どうして生きていけないと思ってしまうのか
自分が楽しいと思うことをやって、成功している人がいる
だとしたら、好きなことを生業としてもいいんだよなって
じゃあなぜ、多くの人がそれをやらないのだろうと
お金が稼げるかどうか
わからないから
どっかに勤めて、給料をもらうか、起業してお金を稼ぐか
画家や漫画家、作家など芸術系の人は、才能が開花して
世間に認められなければ稼げない仕事になる
始めてすぐ、稼げるはずもない。
軌道にのるまで、かかる時間もわからない
そしてそういう不安と戦う日々となる
又、どっかに勤めてお金をもらうことが
当たり前のことだというのが常識になっている
でも今年、多くの人がそれに疑問を唱え
私のように仕事を辞めて
やりたいことに邁進し始めているのも事実
これまでの常識を破って
本当にやりたいことを
なんでもいいからやろう!!
そう決意して、始めてる人も多い
私も4月からそれにチャレンジしている
カウンセリングの仕事がない日は
やりたいことを気の向くままやっている
散歩に行きたければ、散歩して
ほしいと思うものがあれば、収入は未定でも買う
ホームページを作るとか、ブログをこうしてアップするとか
本来なら、もっとやらなきゃって思うことを
気持ちがのらないなら、やらないようにしている
そして、湧いてくる不安とだけ向き合い
何が不安なのか丁寧に見て感じて
その後は、なるべく早く、心が楽しいと思うことをやるようにしている
そうやってわかったこと
気分が良くなると
何が不安なのか
忘れているということ
これやろう
あれやろう
そういう気持ちになり
更に、楽しくなるということ
だから楽しい、心地よい気分でいるということは大切なんだと
改めて痛感した
これこそが、宇宙の法則に則っているということ
楽しくいれば、心配などない
それを今後の経過を報告しつつ、証明したいと思っている
イタリア国債の件で、ヨーロッパや投資家さんたちが
荒れに荒れただろうけど・・
何とか持ち直したみたいな意見も流れてるけど・・
嘘だね(笑)
一時的な時間稼ぎにしか見えない。
お金持ちだけ、一部の人だけが動けるよう
なんか操作されてる気がしちゃう。
そういう反面、ネット上では、福島以外でも
避難だ、疎開だ、そういう意識で動いてる人たちもいる。
一方で、クリスマスはどうするぅ~~~
年末は、大掃除は?
そんなことを話してる人たちもいる。
あまりに色々な状態がありすぎて
振り回されそうになるけど・・
だからこそ、自分はどうするんだ?
今ある苦しみをクリヤして
世間の状態に反比例する日々を送らないと!!!
楽しいなーーって言える日々になるように
努力の時なんだと思う。
苦しみと向かい合えないからって
今が楽しいんだって逃げるんじゃなくて
苦しみと向かい合う時は今。
解決していくのは、今しかない。
本当の心地よさの日々を得るために・・
今なら苦しみと向かい合える時間をもらえる。
でも世間が色々大変なことになったら
(金融崩壊とか、大災害とか・・)
今の自分の苦しみにプラスされてしまう。
そうなる前に、取り組みなさい!
そういう時間を、宇宙がくれてる気がします。
あと、半年・・
意味はわからないけど、私は宇宙からそういう数字を
聞かされました。
何とかがんばるぞ!!!
すっかり、秋らしい日々・・
8末に仕事やめて、9月は忙しくしてましたが・・
10月はうってかわって、ぼけーっとした日々。
人生全部の目線で見たら・・
今のこの、秋から冬になる、ちょっとのんびりとしたほのぼのとした
天気の中で、マッタリするなんていう幸せは、1年に1回の幸せなんです!
それを味あわずしてどうする???(笑)
日常をこうやって過ごしていると、様々な闇の声が聞こえてきます。。(笑)
・ 働かなくていいのか?
・ 1日ぼけっとしていいのか?
・ 片付けは?
・ 掃除は?
・ メールの返信は?
等々・・湧き上がるようにおこってくる。
ここに、人間が刷り込まれた縛りというものがあるんです。
この世界特有のもの。
宇宙にはありませんから・・(笑)
だって、全部自己責任だから、何をしたって自分で責任とるんで
他人はとやかくいうわけない。
でもここは、他人が何もしてくれないのに、批判だけする。
愛情のある批判なら、まだいい・・
でも全部がそうではない!
その他人の目線に知らぬ間に縛られてしまっている。
自覚はあるようで、ないに等しいと思う。
刷り込みは、恐ろしい・・
根深いから。
今日1日を楽しむことが一番重要なのに、楽しむというと
娯楽やさぼり
ととり・・良くないことのように考えてしまいがち・・
そうではない!!!
楽しむこと=魂が喜んでる
自分の潜在意識の望むことなのだから・・
本当は、仕事しなくたって
1日ぼけっとしてたっていいんだ。
縛ってるのは、他人じゃなくて、他人の目を気にしてる自分自身。
だから自分自身をまず、解放しないとならない。
私はこう見えて、結構、潔癖症で(笑)
掃除はマメにやってたんです。
でも会社やめて・・それが急にできなくなった・・
魂の思いに、ともかく沿った生き方をと決めてから・・
そりゃ、汚いのは嫌なんですが・・
本当に嫌だな、掃除しよう~~~(笑)
心からそう思えたら、やろうかなって。
今、テスト中(笑)
ここ微妙な話なんですが・・
何で掃除したくないのか?
それは、掃除を縛り付けた気持ちの中で、何かほかの気持ちの圧力からやってたにすぎないから。
家を掃除して、気持ちよくすごそう~とは思えてなかったんだなぁ・・・
自分では、そう思って掃除してきたつもりだったんですが・・
違ったんです。
あと掃除より、やりたいことがたくさんあった。
でも掃除しなきゃしなきゃって気持ちと闘って、疲れて・・
結局何もできないで終わる日々。
あとは、習慣ってやつですね。
いつもやってるから・・←これ相当怖い。。
本当にやるべきことなんだろうか?習慣って。
しかし・・まーこれはすごい発見でした。
同じことをやるにしても、どういう動機でやってるか
そこって、すごい落とし穴っていうか、秘密が隠れてる!!!(笑)
たとえば・・新しい掃除機を買った!!!
たぶん、掃除をやりたくて仕方なくなるでしょう。
私はそういう新し物好きなんで(笑)
でもそれだっていい。だって、やりたくてやるんだから。
スイスイ、掃除が進むはず。
その証拠に、よしやるぞーって心から思ってやった日は
時間がすごく短く終わってます。
逆に義務感に苛まれてやる時は、長時間にわたる。。。
なんともったいない・・時間は今一番貴重なのに。
で、やらないでいると、やらなきゃやらなきゃやらなきゃっていう声との
闘いになって、ぼけっとしてるようで罪悪感にあふれちゃう。。
でもその声との闘いが重要なんです!!
その意識が、自分の人生にものすごい縛りとなり、
苦しめてる元凶だから。
掃除しないと、何が困る?
見た目が汚い → じゃあ目立つところだけやればいい(笑)
人が来たら困る → そんなに人はこない(笑) じゃあ来る時やればいい。
健康によくない → そうやってぐずぐず思ってる方がよほど悪い。
思ってるほど、大げさなことじゃなく、
自分が思い込んでるだけってことに気づけます。
規則なんてないんです。
でも自分が縛ってる・・こうでなければならないと。
他人に何言われるかわからないからとか
ほかの人にズボラって見られたくないとか。
家族に文句いわれるとか。
それは恐怖っていう感情の表れ。
他人からよく見られたい。存在感への期待。
それは言い換えれば、他人への依存になります。
誰かがいなければ、生きられない・・
そんなことありません。
人は強くなれば、一人で生きることができます。
でもそれは、他人と交わらないで生きるって意味じゃなく
人といい距離感を持って、自立して共存できるって意味です。
大方取れたかなーって思ってると、こうやって落とし穴的に
潜んでる事実を、最近しみじみと知り・・
次の仕事にたどり着くまでの、この期間・・
そういう思いと、向き合ってみようと思ったんです。
やりたいって思うまで、放置して、湧き上がる気持ちと対峙してみる。
まず自分がやってみないとねぇ~~
人にだって、説明できないし(笑)
案外、四の五の言ってる人ほど、できてない傾向がある(笑)
スピ系の方々、要注意を・・・(笑)
スピにいくあまり、自分を置き去りにしてるってこと
気づいてない人、非常に多い。
自分がまずできてなくて、人に言えることなど何もありません。
どんないいこといってたって、所詮何かの受け売り。
それじゃ説得力ないし、どれみても、似たようなこと。
ようは自分自身がまずやってみて、変化しないと意味がない。
ものすごーくカリスマチックな先生が、実は家庭は崩壊してた
なんて話はよくあります。
それじゃ足元固まってない。宇宙はそこを見てます。
私は宇宙が大好きだけど、宇宙が一番怖いです。。
すべてお見通しだから。
宇宙に恥じない自分でいたい!!それだけです。(笑)
さあどうなるかなぁ~~~(笑)