慈恩のぶろぐ

アセンションに向けて、
ワクワクに生きる方法や
楽になっていく意識改革について
お伝えしています。

人の笑顔がみたい!!・・・いやいや、一番は自分の笑顔のためでしょの真実

2017-03-16 14:50:47 | 自分

 

人の笑顔がみたい

お客様の笑顔の為にがんばっています!!

個人や企業がよく考えることですよね~

でもこれは、考えてる個人や企業が

幸せになりたいためであり、相手の為ではありません

 


人の笑顔を見るために、人に振り回されてる人や、

お客様の為に無理を重ねて頑張っている人を見ても

見ているこちらは

 

 

無理したり、犠牲になってまで
人の為にがんばって大変だな~~

 


そう思うことはあっても、

ぜひ自分もマネしたい!見てて幸せになった!!

 

なんていう人は、ほとんどいないと思います。かくいう私は

絶対に嫌だし、無理ですね真顔

 

 

自分のことを犠牲にして、明日死んだら

後悔だらけになってしまいますから。

いかに楽に生きるか?ニヤリ

そこを目指しているのに 

 

 


それに人の笑顔は、自分がどんなにがんばったって得られるものじゃない。

自分で決断して、行動して、その結果によって

その人の笑顔というのは、出てくると思っているから。

他人ありきじゃないのだと思うのです。



おいしいものを作ってる会社が、いくらおいしいと思って売ったって

お客さんが買いに来てくれて、食べてくれて

その人の体調がよくて、好みにあって初めて、おいし~~となって笑顔になる。

おいしい食べ物と、お客さんの行動なくして成立しない。。

そういう風に思うからです。

 

最近、そんなに人の相談にのっていて疲れないのか?

そういう質問をよく受けます。

 

確かに物理的には疲れます。

話すという行為と聞くという行為が発生するので。

でもそれは相談じゃなくても発生する話。。

人に会えば、多かれ少なかれ疲れるものです。

なにより・・・



好きなことだからやってます(笑)

好きじゃなかったらやってない

 

 

 

そして自分自身で元気になっていく

クライアントさんや友達を見て

 

 

私自身が笑顔になれるから

 

 

自分が笑顔になりたくてやってます。

人を幸せにしようと、他人軸で躍起になっている人を見ると

その人が体験したくてやっているのだと

邪魔しちゃいけない、よけいなお世話と思いつつも心苦しくなっていく


ほらね・・こうやって

人を笑顔にしたいなんていう人を見ると

こちらは全然幸せな気持ちになんてなれないのです。

逆に不幸な人を生んでいる!!

 

 

自分が食べて
思わず笑顔になりました!


 



そう言う食べ物だったら、ぜひ食べてみたい!!

だから人の笑顔が見たいなら、

 

 


まず自分が常に、笑顔でいられる状態にあること

自分自身で幸せだと思えること

 

 

自信がもてて、とても幸せで、自分が笑顔で満開になって

その笑顔を見る人が幸せを感じられるように

無理してる自分がいないか、ぜひ確認してみてください。

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認めてない??

2013-02-16 16:08:21 | 自分

またまた更新しないで日々が過ぎてしまいました。。

時間は早いですねぇ~(笑)

もう2月です。。あはは

今、1ヶ月に1度のペースで上京してます。
父の面倒を見るのが第一の目的ですが。

父は認知症ですが、何とか一人で暮らしています。
本当は、ヘルパーさんとかに色々お願いしたいところですが
極度の人見知りなのと、認知症になって、前よりいっそう人を
受け入れるキャパが小さくなりました。
なので人にお願いすることができません。
きっと家族として私の役目なんでしょうね。

でも父の生活をみていると、人間の本来あるべき姿なのかも
しれないと思うことが多いです。

今ある現状をすぐに受け入れるのです。

動物じゃないですが、食べ物はあれば食べるし、なければ食べない。
それで過ごすことができる。
食べたくなったら食べて、食べたくなければ一切食べないのです。

本来なら、健康のために~とかの理由で無理して人は食事をとろうと
します。

でもそれは、決して体のためになっていないことも多いのです。
過食は病気を引き起こす、最大の要因だからです。

父の様子をみていると、自然に逆らわず生きるということを
見せてくれてると感じます。

父の症状のメインは、ひどく忘れるということです。
だけど、忘れるって凄いことです。
もし忘れることができなくなったら、人間死んでしまうかも。
楽しいことはいいですが、辛いことは忘れるから
生きていけると思うので。

先日上京した際に、同級生たちと食事をしました。
その中の一人がケアマネージャーで、父のことを心配してくれて
色々相談にのってくれました。

話の中で、驚いたことがありました。

認知症の患者の家族は、自分の家族が認知症であることを
認めないという事実が多いらしいのです。

私の話をきいて、友人がその話をしてくれました。

でも私は、父が認知症であると認めてます。
だからそれを告げたら

「本当に認めていたら、怒ったりしないよ」

そうぽつりと言われて・・
はっとなりました。

私は父の言動に対し、真剣に怒ることが多々あります。

もし、父が認知症だと心から認めていたら
もっと態度は違うはず。
父の言動に怒ることはないでしょう。

「あ~父は認知症だから、こんなことを言うのも当たり前だ!」

そうとらえて、対応できるはずなんですよね。

でも私はできてない。
つまり、認知症だということを忘れて対応してるんですね。

何でそんなことがわからない?
なぜできない?
なぜ忘れる?

自分に余裕がない時の父との会話は、こうなります。

でもこれ、色々なことに当てはまるとも感じました。
日常において、こんなこと沢山あるわーって。

自分に腹が立つことありますよね?

それって、だいたいミスしたときや自分ができないことが
あった時だと思うんですね。

それは、ミスする自分を認めてない。
出来ない自分を認めてない。
だから自分に腹が立つ。

ミスしちゃう自分をありのまま認めてたら、
腹も立たないというか
受け止め方が違うって思います。

そう考えていくと、自分が認めてないことって
実は沢山あるんですよね。

友達に対しても
家族に対しても
仕事に対しても

自分が、「こうだ!!!」「こうあるべきだ!!!」

そう思ってしまうと、その現象から外れることが
起これば、イラーとなり腹が立つ。

相手をありのまま認める。
自分のありのままを認める。

本当は強くないと出来ないことかもしれません。

出来ない自分も認める。
これ、認められないって多いと思います。

本来、自分はこんなはずじゃない!
誰もがそう思いたいから。

でもそのありのままを認めていくことで
実は大きな成長をして、自分が思っている
理想の自分に近づく近道なのかもしれません。

だって現象はその人が成長すれば
起こらなくなっていくはずだから。

いい意味で喜怒哀楽が少ない人は
こういうことを悟っているのかもしれませんね。

私は喜怒哀楽が激しいので、
認めてないことが沢山ありすぎかも(苦笑)

怒りがでたときは、このことを思い出すように
しようと思います(笑)

シンプルなことだけど、意外な盲点だったなーって
感じた1日でした(笑)

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楽に生きる

2012-12-04 00:49:38 | 自分

2012年最後の月になりました。

4ヶ月ぶりのブログとなります。

この4ヶ月には本当に色々なことがありました。

新たな出会いもあり、仕事も変わりました。

東京にいた頃のような大企業に就職しました。
到底考えられない結果ですが
・・

4月から働いていた職場にいた頃から、次の仕事は
仕事の方からやってくると思っていました。
ある時、そう閃いたからです。

そっか・・もう仕事を探すということはしないのか・・
そう思ったのを覚えています。

そして閃き通り、同僚が持ってきてくれたチラシの求人に
応募してあれよあれよという間に合格し、9月からそこで
働いています。

本当に人生とはわからないものだなって(笑)

悩んでいることには、いい結果は出ません。
悩まないでいることには、常にいい結果が伴います。

こんな事件があり・・
最近、よりいっそう人間の思考という部分に着目するように
なりました。

全てはその人の思考の表れなのだと。

悪いことも・・・

良い事も・・・

全てその人が考え、思考したことが現実となって
目の前に現れている。

すごく感じたことがあります。

人の本体は、宇宙の彼方に存在し

今いるこの世界の自分は、投影された姿なんだと。

投影された自分には、感情があり、本体の自分との
繋がりがどうなっているかを感情によって知らされるのです。

本体の自分は完璧なのに、投影された自分は完璧だとは
思ってない。

だからそのように
本体と調和してない時、人は心が暗くなり
ネガティブな感情に襲われる。

反対に、本体の自分と調和している時は

自分でも驚くほど、気分もよく、
物事もすごくスムーズに運んだりします。

何も恐れず、本体の自分のように完璧なんだと思い
(自分はできると信じる=本体との調和にある)

事に望むと、不思議とうまくいってしまうのです。

もちろん完璧だと思うのに根拠などありません。

ただただ・・・完璧なんだ!そう思うだけ。
どんなこともできるんだ!と。

何か問題が起こって、ネガティブになる時は、

たいてい自分を否定された時だと思います。

それは完璧なはずの
本体を否定したことになるから。

否定しているのは、投影された自分がやっていることで

誰かが否定しているわけじゃないのですが

現象に振り回されると、本体の自分との調和が外れてしまうから、ネガティブになる。

つまりは、本体と調和していない証拠がネガティブな感情
というわけです。

人が幸せに生きる術は、本体と調和すること。

本来の自分なのですから、繋がってなければおかしいのです。

そしてその繋がりを外すのも、繋げるのも

不思議なことに自分自身なんです。

本体との調和だけに焦点を絞ると

出来事を他人のせいや現象のせいにしなくなります。

あー自分が本体と外れた・・そう知るだけなので

すぐさま、調和しなければとそっちに意識が向くから。

気分がよくなる方向に意識を転換する術を会得していきます。

意識の転換=本体の調和に戻る

ネガティブな感情を検証する必要はないのです。

検証しても何も意味を持ちません。

本来起こらないことが起こってるに過ぎず、わかりやすくいえば
事故のようなもの。

そこを検証すればするほど、深みにはまり、ネガティブ地獄に
いる時間が長くなるだけ。

何も、良いことに繋がりません。

そして自分も楽にならないし、不幸が続くだけ。

もちろん、苦しみをすぐさま楽しいことに転換するのは
難しい作業です。

だから少しずつ、転換させていけばいいのです。

無気力 → 怒り → 前向きな思い

この3段階を経れば、たいていは転換できます。

無気力が一番いけません。停滞してしまうから。

楽しいことを考えてワクワクしていくことは

ただワクワクするだけじゃなく、その思考が現実と化すので
ワクワクすることの素晴らしさが、もっと深く感じられるでしょう。

ワクワクしながら考えていくことが、内容問わず現実化するのです。

到底信じられないかもしれませんが、この内容に制限は
ありません。

とてつもないことをやってのける人は、この思考を駆使できる
人なのでしょう。

ワクワクしながら考えることが、現実になるとどこまで
信じることができるか。

疑うことなく信じて、想像できたら・・

その想像は、あなたの前に現実として現れるのです。

でもその間に否定をしたら逆戻りしてしまいます。

あくまでもどこまで純粋に信じていけるかにかかっています。

私の転職のように・・(笑)

私の転職はまさにこれをそのまま実行したに過ぎません。

どんな仕事に就くのだろうとワクワクしながら

何も考えずに日々淡々とすごしていたのです。

この転職が叶うまで、そう時間はかかりませんでした。

なぜなら私は否定を一切しなかったからです。

ホントに仕事からやってくるの?

そんな風に一度も思いませんでした。

だからあっという間に現実と化したのです。

不安もワクワクも同じ。

どちらも思考として深く考えた方が現実になります。

現実になってほしいことだけ考えていければ

幸せな日々になることでしょう。

どんなことでもいいので、実験してみてください!

些細なことからテストしていけば、

百聞は一見にしかず、本当にそうなりますから(笑)

そうなると人は変わります。

私はテレビをほとんど見なくなりました。

ネガティブな話題に触れたくないからです。

見るのは料理番組とわずかなドラマくらいです(笑)

ツィッターもほとんど見なくなりました。

原発問題も

政治の問題も

世界に起こってる出来事も

何も見ていません。

見て話題にすれば、それが現実となるからです。

幸せになることしか考えません。

私の日々は、今それ1本です!



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うわっはっは

2011-09-27 17:08:19 | 自分


まあごぶさたしてしまいました・・(笑)

慈恩はどうしちゃったのか・・・そう思ってくださった方がいたかどうか(爆)

なぜ時間があいたかというと、書くことがなかったから(爆)

世間が色々大騒ぎになっている今、情報が錯綜し、

それぞれが己をだし、言いたい事を言い始めた。

それはそれでよかったなぁ~(笑)と思いつつも

なにやら収拾つかない感じになってますね。。



自分を出すって、収拾つかない事なのかも知れません

正直、スピ系の色々な方々がいってる事を見せていただきつつも

もうそんな時期は過ぎたんじゃないか???

そういう自分がいました。

言う事なんてないんだよなーって


それぞれの魂が、勝手に学べる時期に入ったと。


私は今・・8月末で保険会社を退職し(笑)

幸せな日々をすごしています。


3次元的な会社だったけど、いい学びや出会いがありました。

自分の姿を具間みて、落ち込みあり、笑いあり、

楽しい日々でした。

でもそろそろ、人生の大義に戻れ・・

そういう指令が降りたので(笑)

退職しました・・(爆)

頼まれなければ、カウンセリングの仕事もサボり・・(苦笑)

自分のしたいように、日々過ごしてます。


今感じてる事は、だんだんに、宇宙に近づいてるって事。

普通に過ごしてる事も楽しいは楽しいけど・・

なんとなく、やりつくしたのかなぁ~って思う。

そういう感情の起伏が少なくなりました・・


宇宙に近くなるってことは、縛りがなくなるってこと。

この世界の常識に、はまらなくなり

なので・・普通じゃなくなり(笑)

生活にメリハリがなくなる(笑)

でも辛いわけじゃなくて、むしろ心地いい


自分の思いを、この世界の言語で表現すれば

ほぼ誤解が生じると思う。

震災後、色々思う事があった。

今もって、震災と戦ってる人も大勢いらっしゃる。

私だって、問題の原発君のそばにいるんだから

決して平安ではない・・

でも常識がなくなると・・・

原発のそばにいることさえもが、怖いものでなくなる。

たとえ、放射能の危険にさらされてても。


がんは4人に一人の病気となってる。

原発事故が起きて、よりいっそう起こる確率はあがったかも

知れません。今じゃ、誰もがなる・・そういう感じかも・・


でも、4人に一人っていう時点で、かなりの人が経験せざるを

得ない病気になっている。

それが自分の意識の中で、高まったか、低かったかの違い。

私はそう感じている。

もちろん、原発を擁護するつもりなどない。

核物質自体を、人間が操作することには、

鉱物界への冒涜だと思うから、大反対だ・・

でも人間はその聖域を侵してしまった・・・



人の人生には、日々相当な割合で、奇跡が起こってる。

その人によって奇跡の起こり方は違う。

一部の人の私利私欲のために起こった原発事故により

とんでもないものを背負わされるはめになったかもしれない。

でも、私は信じている・・

その人の人生に起こる奇跡を・・

たとえ影響を受けたって、その人の意識が被害者にならなければ

きっと奇跡が流れを変えるに違いないと・・

もうそうやって考えないと、いられないよね


いや

まったくそうではない(笑)

私は至極まじめに、信じているのだ・・・

原発に左右されることなどないと。

放射能の影響など受けぬと・・

その人の人生が、そういうプログラムになっており

最後は引田天功の手品のように、奇跡が起こり

笑顔の結論に達する事ができると


宇宙はそんなちっぽけな学びなど、私達に与えないから。


お子さんをお持ちのお母さんは、心休まる事などない日々かと思う。

しかし・・

今のお子さんは、目にはみえないが・・

遺伝子レベルで、我々とは構造が違うともいわれてる。

そんなやわじゃないのだ・・

重要なのは、ご両親のお子さんに対する姿勢なんだと思う。

自分が苦しくなりたくないから、苦しむ子供の姿を見たくないから

失うのが怖いから・・そういう思いで色々対策をするのと

子供を一人の個として、自立したものとして、精一杯自分が

できる範囲で子供に接していく。

それとは、実は似てるようでぜんぜん違うと思う。

こういうと、批判の嵐を浴びそうだが・・(苦笑)



私は、母を失いたくなかった・・

まだ今のような考えができなかったころ、母をがんで失いたくない

母ががんになったらどうしよう・・・そういう風に考えていた。

これは、母を思ってるようで、自己中心的な発想なんだ。

母を失う事がこわかったから。

母の人生を見て、感じてたことじゃない。

そして、母は心配通り、末期がんになった・・


発覚から
わずか11ヶ月でこの世を去った。

それでも奇跡は起こったのだ。。4ヶ月の命といわれ

11ヶ月まで引き伸ばせた。

私は、母ががんだと知ってから、すごく変化した。

現実として向かい合ったら、母の病気として、見る事ができたから。

自分の中の母じゃなくて、母をきちんと個としてみることが

できたので、辛い闘病生活を乗り越えさせてもらえた。

いかに自己中で物事を考えていたか、考えさせられた。

本当は病気で辛いのは、母自身なのに

母が死んでしまう・・その失う思いにまみれてたから。

人に対して、本質で向かい合うって言うのは、とっても難しい。

自分の感情を置き去りにして、相手を尊重しなければ

できないから・・


台風で人が死に、津波じゃなくても

家は流された・・・

もう何が起こってもおかしくない・・

誰もが気づいてるだろう


恐怖に心を奪われるのではなくて、やれることしか

できないのだ・・

人知では、もうどうにもできない所にきてるのだから・・

だとしたら、日々を、少しでも、楽(ラク)=楽しく

生きるよう、こんな状態の中でも今一度

見直してみる

私は自分がぶれると、そういう風に修正している。

結局・・書いちゃったか。。あはは


























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気づき・・そして変化

2011-02-18 17:05:01 | 自分

人が、何かに気づいて行動が変わると

そのことだけに特化せず・・

実はその人の行動全てに影響があるんですねぇ・・


その人にはわからない、あるパターン化された行動

全てが変化するからです。

それは当然、言葉の表現方法にも出てきます。

だから、言い回しって言うのは、上手下手は問題じゃなくて

何を言わんとしてるかを見ていくことによって、

相手が本当に理解をしたかどうかが、わかるようになります。


これは百聞は一見にしかずでして・・

体感してもらえば、手にとるようにわかることなんですが・・


だから、私はわかってると思うときは要注意!

自分への検証を再度してみる必要があります・・


わかってるっていうのと、

心底気がついたっていうのは、大きな違いがあるからです。

私も相当、これに惑わされました。。

自分じゃわかってるつもりだったのですねー。


わかってるつもり


わかった


ぜんぜん違いますんでね・・・

わかったは、本当に100%なんですよ・・きっと。

80%わかった・・なんていうのは、ないんです。

わかるときは、全部わかる!


本当に、気づいてわかった(心におちた、腑に落ちたともいいますが)

場合は、もうわからなかった頃には戻れなくなっていて。

その当時やっていた行動は、とらなくなります。

私も最近、体感しました・・本当に忘れちゃったみたいに

できなくなるんですよ・・・


とらなくなるというより、やれなくなるんです。

やる必要がないから。

やっていた頃は、まだ完全に気づいてないから

気づくまで、その行動をやり続ける必要があるんです。


ようは、やらされちゃうんですね・・気づくまで・・・

宇宙は忍耐がありますわ・・ホントに。。。


本当にこの、「わかる」っていうのと「気づく」っていうのは、

意味は同じでも、相当奥が深くて・・

なかなか、ものにすることができないカテゴリーのような気がします。


だから、こんなことに気づいたぁ~~~って

言う時は、実は些細なことじゃなくて、大きな変化を遂げた!!

そうやって、大喜びしていいことなんですよね!!!!


そして又、気づきの旅にでるわけです。。(笑)

がんばっていきましょう!!



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