慈恩のぶろぐ

アセンションに向けて、
ワクワクに生きる方法や
楽になっていく意識改革について
お伝えしています。

親を看取るということ・・・続編

2018-09-06 18:32:17 | 

 

 患者をころしてもいい

 

この先生のブログを拝見し、父を看取った時のことを思い出しました。

 

親を看取るということ

 

NOBUKO先生の言う通り、医療費の財政はパンクしています。

 

ちょっと話が看取りとずれますが・・・

これは、あくまで私個人の意見ですが、薬について、処方されても飲まれずに

無駄に捨てられている現実。

 

認知症の薬なんかは特にそうです。

症状を遅延させる効果しかないわけで、どっぷり認知症に罹患した場合

私はもう効かないし、遅延も無理だって思うのです。

でも処方されてしまう。

 

父も服用していましたが、副作用がひどくて(叫ぶ、暴れる)

断薬しました。

先生にも薬剤師にも相談しましたが、受け付けてもらえず、

仕方なく、飲まないで捨てるという選択しかできませんでした。

実際、断薬したら副作用は消えて・・そうなるともう飲ませたくありません。

 

捨てられた薬は、私達が払う保険料で賄われているのです。

この矛盾・・・。

そしてこの矛盾に近いのが、今回NOBUKO先生のブログに書かれている

延命治療について。

 

「まぁそれとは全然関係ないレベルで

延命は本当に無駄で本人にとって可哀想で
見送る側のエゴを満たすためだけにしてる行為と思ってる
 
(あ、もちろん本人の意思で望むものは
延命治療とは私たちは思ってない)
 
だから本来の人間の機能を果たさなくなった時
 
例えば
ご飯食べられない  とか  誤嚥
腎臓で尿を作れなくなった
自分で呼吸ができない
心臓が止まりそう
 
は、なんともしたくないのよね
私たち手を出したくない
やったって、遅かれ早かれ死ぬんだもん」


私の父も誤嚥が原因で入院し、胃瘻を断り、ぶっちゃけ餓死でした。

医者からは、他の疾患がないのだからと、何回か説得されては断り。

でも説得されるたび、心が痛みました。

本当に正しいのだろうかと。

でもNOBUKO先生のブログを読んで、やっぱり正しかったと

亡くなって2年たった今、改めて安堵できました。

延命に際しては、気管切開までして、生き延びさせようとする家族もいます。

もちろん気持ちはわかります。 

 

 

でも生きるという本当の意味

あらためて見直しほしいなって思うのです。

 

 

どういう状態で生きるのなら

自分でよしとできるのか?

 

 

それは本人にしかわかりません。

でも本人が高齢者になり、認知症など発症している場合は、

決断力がないのです。

 

私は父の気持ちをきいていたので、それを尊重できました。

だからラッキーだったかもしれません。

 

もちろん、父を看取ってくださった先生は、

心から色々心配してくださり感謝しかありません。

生き伸びる可能性があるのなら、大半の先生は

同じようにおっしゃったことでしょう。

 

でもNOBUKO先生のように、

自然死を誘導してくれる勇気ある医師も増えてほしいなと思うのです。

そしていらない薬、意味のない薬を処方しないという選択をしてくれる医師も。

 

私は薬をほとんど飲みません。

飲んでも痛み止めだけ。

病気になっても、まず病院に行きませんが(苦笑)

 

自分で免疫力を上げるようつとめ、ともかく休む。

それが一番の治療だと思っているからです。

 

薬も時には必要でしょうが、所詮症状を抑えることが精いっぱい。

ウィルスに対しても、最近はウィルスが耐性をもっていて

効かないという状況も増えています。

 

だとしたら、やはり自分で戦う力をつける。

つまりは免疫力をあげる。

(食事をぬくことで、免疫力がアップします。)

これしかない。

 

人間には、自然治癒力があるし、それが唯一体を治す方法だと思うのと

なにか気づくことがあるから病気になったわけで、

ならばそちらを並行してみていくことこそが、

病気を治す一番の早道だと信じているからです。

 

こんなにも高齢者社会の今、看取りで悩まれている方も

とても多いと思います。

 

看取りとはすごい体験だと思います。

そして誰もが通る道(突然死や事故死以外)でしょうから。

 

そして、NOBUKO先生の下記の言葉

 

家族を殺してもいい(見捨ててもいい)

介護適当でいい

介護したくないって言ってもいい

老人ホームに親を入れてもいい

お金出さなくていい

てか文句言うならお前がやれよ!って言ってもいい

 

いや~もうホントその通り

当時、この言葉を誰かが言ってくれたら

どれだけ救われたことでしょう。

 

当時私は・・・ロクに見舞いにも行きませんでした。

冷たい娘だと、時折自分を責めました。

 

 


でも自分を大事にしたかった・・・。

 

 

嫌な思いで行きたくなかったし、義務として行くなんてことは

絶対したくなかった。。

衰弱していく父を見るのが、辛かったし、

決断が正しいのかもわからなかった。

何よりそんな思いが父に伝わることが嫌でした。

 

だから見舞いに行くときは、精一杯父のために色々やりました。

笑顔で見舞えました。

だから敢えて、今ご両親の看護や介護をしている人に伝えたいのです。

 

 

がんばらなくていい。

 

 

したいようにしていいし。

誰もあなたのことを責める人はいないし

ご両親もきっと魂レベルでは理解しているから。

 

こういう時、周りの意見は、いいものだけ採用し

嫌なものはスルーしていい。

 

所詮、外野は外野でしかない。

言いたい放題いうからです。

 

選択が正しいかは、きっと誰にも分らないのかもしれません。

答えはないもの・・・最近思います。

 

家族が必死に考えた出した選択なら、それが一番だと思うのです。

だから、自分の直感を大事にやりたいようにやってください。

結果それが、患者のためになる

 

私はそう信じています!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする