補聴器に 虫鳴き聴きし 母の笑み
■母を送ってそろそろ三年になろうとしているが、ようやく遺品の写真やメモの類の整理を始めた、晩年耳が遠くなった母に買った補聴器が出てきたが補聴器をかけた母が始めて聴いたのは庭の虫の声だった
「もう何十年も虫の鳴き声なんか聞いた事が無いのよ」
嬉しそうだったが小生の胸はいたんだ、長い間そんな事にも気付いてやれなかった不明を恥じた。
頬ずりし 目語りの母 声もなく
■亡くなる半月ほど前の事だった寝込んでいた母は口を利くのも大儀そうだった、目配せで呼ぶので顔を寄せるとシッカリと首を抱きしめて頬刷りした、幼い時にも覚えの無い気丈だった母の振る舞いだった、無言ではあったが云いたい事は理解できた、惜別と感謝、そして不甲斐無い小生に対する激励もあったろう、この人は自分の死期を覚ったのだとはっきり判った。
うたごえも 出ずとのメモの 字はかすみ
■母が折に触れては書き込んでいた短歌のメモ帳の間に、畳んだ小さな紙片があった、拡げてみると力の無い字で
「Mischaは出かけて留守です、寂しいのでオールドブラックジョーを歌ってみました、でも声は出ませんでした」
字がかすんで見えたのは筆力衰えた母の、書き方のせいだったろうか、それとも溢れ出た涙のせいだったろうか。