難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

歴史好きの、コロナ嫌い −パート2− 地元散策

2021年03月02日 | 歴史
コロナ撲滅、地元散策

 コロナ騒動で、好きな古代史散策が、他府県を跨ぐことになり、
けっして行ってはアカンと、愛妻?(恐妻)に強く言い付けられ、
それではと、それまでも、やりたいと思っていた、地元の名所旧跡、
神社仏閣、道端のお地蔵さんを探し歩いています。

 加筆 令和2年7月7日
 猪名川 肝川地区に、九頭大明神が出現しました。
 大変です!!、青空を覆いつくそうとしています!!



 7月2日の散策をご覧ください。


 地元散策の初めは、コロナ撲滅を願って、
有名な神社「多田神社」 
由緒あるお寺の、「満願寺」をお尋ねし、「コロナ撲滅」を
心よりお祈りしました。

 令和2年5月24日

 関西地区が非常事態宣言の解除に成りました。
 善かったですね。 
「もしや私のお願いを、聞いて頂けたから?」
   m(__)m 言った者勝ち

 コロナ非常事態宣言の解除までの、私の行動経過は、
私のブログをクリックしご覧ください。
「歴史好きの、コロナ嫌い」


令和2年5月30日 6月14日
 川西市 頼光寺(らいこうじ)
 (川西市東畦野2-27-2)
 地元で、あじさいの花で有名なお寺です。
5月30日に訪ねたのですが、未だあじさいは少し早く、
6月14日に、再訪問しました。




 ゆったりと優しさの溢れたお寺でした。



 とってもおしとやかな、あじさいです。


 細長く、垂れ下がるあじさいを初めて見ました。



令和2年5月29日
 猪名川町 広根 素盞嗚神社(ひろねすさのうじんじゃ)
      長圓山 雲覚寺
 (猪名川町広根字宮前12)

 車を「イオンモール猪名川」に預け、ゆっくり散策。
 「長圓山 雲覚寺」


 先月、多田銀山を見に来た時、途中で気が付いた、とても
 ご立派な、仏様をご拝観に来ました。
 お顔を拝見させて頂き、私の愛妻(恐妻?)を想像させて
 頂きました。


 仏様の後ろにには、神社のお社が拝見でき、神仏習合を
 思い至りました。


 「長圓山 雲覚寺」 正門です。
 お寺さんに、アポイントせず拝観する勇気は在りませんでした。


 「広根 素盞嗚神社」(ひろねすさのうじんじゃ)


雲覚寺の正面右隣に、広根 素盞嗚神社の参道が在りました。




 本殿です。


 裏参道から、「イオンモール猪名川」に帰りました。 

令和2年6月
 川西市 栄根寺廃寺(えいこんじはいじ)
 探索。



 一つのお寺が何百年も、受け継がれていくということが、
如何に難しい事なのだと、思えました。
 場所は、先月訪れました、ナイチンゲール像公園の南隣です。


令和2年6月
 猪名川町立ふるさと館
 探索。



 猪名川地区の明治以降の珍しい由緒品が沢山展示
されていました。
 些細なことが気になる私が、興味を覚えたのは。
この猪名川地区が、明治維新の戦いに参加した歴史事実でした。
そもそも、源 満仲の清和源氏の士族の血が伝わっていて、
徳川家を滅ぼそうとした、薩長連合 朝廷側の召喚に幾つもの
家族が、参入参戦したようなのです。
 江戸、仙台、五稜郭の戦いで、薩長連合に随行し、幾人もの
戦死者と負傷者を出してしまったようです。
 戦後、朝廷から、士族の肩書の恩賞と、わずかな報奨金を
得たようです。その犠牲に、報われそうにない額の少なさに、
村全体が大きな落胆に、見舞われたようです。


令和2年6月
 大阪南 道頓堀



 大阪南道頓堀のふぐ料理で有名な、「づぼらや」が、
 コロナ騒動のせいで、閉店するとの報道に驚き、
 愛妻(恐妻?)に内緒で、道頓堀探索。
 現役時代、接待や、友人との飲み会に、幾度か利用して
 いました。 「さみしい。」 (;_;)
 
令和2年6月
 小戸神社


 阪急宝塚線 川西能勢口駅から、徒歩10分足らずに在り、
川西駅地区の中心的な神社です。





 小戸神社の、由来が書かれた、掲示板等一切見つけられ
ませんでした。








令和2年6月
 姫が淵 佐保姫伝説
 (猪名川町万善寺ノ内
  「道の駅いながわ」 から徒歩10分)





 案内板に書かれた、「木津三蔵山城」から直線距離で
2kmほど、山城からですから、徒歩距離は 5km以上と
想像したのですが。
 今(令和2年)NHK日曜ドラマで、明智光秀が放送されて
いて、織田信長との確執が、いろいろ在ったようなのですが、
信長の指示のせいで、自分の娘が、投身自殺をしてしまった
のなら、私なら、信長が絶対に許せなかったと思えました。


 佐保姫が飛び込んだ、姫が淵です。


 近づいてみます。


 もう少し近づきます。


 これが限界です。 河面まで、15mぐらいでしょうか。

令和2年6月
 川西駅 付近散策







 

川西駅付近は町の歴史が長いせいでしょうか、少し歩けば、
神社仏閣、お地蔵様が笑顔を見せていただいています。

令和2年6月
 九頭明神(くずみょうじん) 九頭の社
 (川西市東多田2丁目7−5)
 村の集落によくある、鎮守様でしょうか?






 この地区の川西、猪名川に広く流布している、清和源氏、
九頭龍のいわれです。
 大化の改新(645年)以後の話ですので、因果関係がもう少し
伝わっているのかと思ったのですが、もう一つはっきり
しません。

 {妄想好きの私の勝手解釈}
 妄想開始:令和2年7月
「九頭の社の由来」を、わたし流に歴史空想的に、事件報道的に
解釈してみます。
 まずその時の状況を整理してみます。

1) 川西の多田地区、猪名川町を流れる、猪名川は、常時
 かなりの流量がある、中流河川です。
 源満仲がこの地区の国守に任じられた、970年当時も
 変わっていないと、断言できるでしょう。

2) 今この地区に湖はありません。
 かなり上流に、猪名川の治水のために、昭和に作られた、
 かなり大きな、一庫ダム湖があります。

3) 今の地形で、猪名川が堰き止められそうな地形場所は、
 「九頭の社」のすぐ近くに、地区名が「鼓が滝」の地点があり、
 此処は、阪急能勢電鉄の「鼓が滝駅」のすぐ傍で、誰でも
 簡単に見に行けます。
 猪名川の流れに対し、直角に小高い崖が両側に、そびえ
 かなり昔は、両側の崖がつながっており、猪名川を堰き止め、
 上流に、かなり大きい湖を造っていたのではないかと、
 わたしのような素人でも、容易に想像できます。

4) 川沿いの小高い崖は、高さが50m以上で、長さが
 河に沿って200mほど続いています。



 その崖の断面は、かなり強固な大きな岩でできています。
 つまり、自然に作られた、200mの厚みのあるダムがあり、
 自然のダムが、川の流れに侵食され、堰き止めている湖が、
 無くなるまでには、途方もない年月を要すると、想像して
 しまいます。
 また千年以上前には、重機や崖を破壊できる規模の
 ダイナマイトを、持たない人が、手を加えられる規模では、
 到底ありません。

5) 3千年前にこの地区にやってきたであろう、弥生人は、ここで
 堰き止められた湖を、崖を切り崩し、無くすことができたとは
 到底想定できません。
 その時点でもう湖は無かった! か?
 源満仲がやって来た時に、矢で射られ、驚いた九頭竜が
 崖にブチ合ったって、壊してくれた!!
 「.......河水をたたえた湖に光を放って落ちて.......
  山を突き破り、湖水は鼓を打つような音をたてて
  滝となって流れ出ました。.....」

6) 光を放って、 山を突き破り、何を想像しますか?
 私は、今年(2020年)のニュースで話題になった、
 大きな光の流星を、多くの人がカメラで撮り、インターネットに
 投稿され、しばらくして、その破片と想像できる、大きな隕石が
 発見されたの、報道に!?
 「アレーもしかしたら、源満仲の時に!!」
 この妄想はもう少し時間を掛けていきたいと思います。

7) もし流星がダムをブチ破ったのなら、湖の大量の水が、
 下流に!!  (*_*)

 川の側に在った、村落は恐らく!!
 想像するのも恐ろしくなりますね。
 下流地区は、川西(火打 小戸 栄根 加茂)、伊丹、尼崎に
 なります。

 ここでこの地区に、伝わている話として聞いていたことを、
 思い出しました。
 一つは、火打の北側は小高い丘陵地帯になっているのですが、
 そこに住んでいた村人が、全員で村を降り、川沿いの
 小戸地区に移住したという話でした。
 もう一つは、写真に撮ってきた、湖を堰き止めていた崖の東側の
 上層部地区に、移住して来た部族が居り、その生活跡の古跡が
 残っているという話です。
 農耕を主体とする、部族として、いぞれも高台は不便ですよね。
 それに、高台から移住して行った場所に、元から暮らしていた
 部族はどうしたのかなと、話を聞いたときは、軽く思っていた
 のですが、もしかして??

 このとき流星に吹き飛ばされた崖を、「鼓が滝ダム」と想定し、
 その時の光景を想像してみたいと思ったのは、妄想好きの
 何時もの習性です。

8) 鼓が滝自然ダムが、壊れるまでそこに在った、
  湖の規模は?
 素人の私は、グーグルマップの衛星写真で想像してみました。
 かなり大きな湖が想定されてしまいました。
 水深は、鼓が滝の崖の高さから、少なくても 30mは在った
 のでは無いかと、想像しました。

 今年も水の被害が大きい日本で、九州では途方もない
 線上降水帯の発生で、豪雨が何日も続き、とんでもない
 災害が襲いました。

 もう一度、小戸神社に行ってみたいと思います。


 7月1日 小戸神社に行ってきました。


 小戸神社の中には、九頭龍に関した掲示は一切なく、稲荷神社の表札も
「鹿島神社」と「稲荷神社」の連記になっていました。
両社の関連性は?? 私は素人ですのでまるで分かりません。
同じ川西地区で、東多田と小戸地区の九頭龍についての
伝わり方が違うのでしょうか?


令和2年7月1日
 穴織宮 伊居太神社(池田上の宮さん)
 爲那都比古大明神
 五月山公園 散策

 池田市の「五月山公園」の側に神社があります。 


 「五月山公園」の途中に、幾つかお宮様の祠がありました。


 ほとんど、手の入っていない祠がありました。


 すぐ側に別の祠があり、参道の階段には、大きな木が
倒れたままにされ、まるで祠に近づけないようにしている
ようで、理由がわかりませんよね。



 公園の中には、とってもお優しくって魅力たっぷりのお顔の、
慈母観音像がありました。




 穴織宮 伊居太神社(あなしきぐう いけだじんじゃ)
  (池田上の宮さん)に行きたくて、Mapで見ましたら、
池田 五月山公園の中にあるように見えたのですが、公園と
神社では、管轄が違うせいでしょうか、公園からは直接
行けず(参道も封鎖中)、一旦昇った公園で、慈母観音像様に
ご挨拶をしてから、公園の外に降り、遠回りして、たどり
着きました。


 またこの参道を登らなければ!




 爲那都比古大明神(あなつひこ だいみょうじん)
穴織宮 伊居太神社の鳥居をくぐった参道の途中にあります。






令和2年7月2日
 戸隠神社 氏神 九頭大明神
 大国之宮本部 ?  肝川龍神 関連?
 (猪名川町肝川地区)

 九頭龍伝説の闊歩する、北摂 川西、猪名川地区に、九頭龍出現


 戸隠神社 氏神 九頭大明神の鳥居正面から望む。


 わー、九頭龍が目を醒まして天に昇ってゆく!!
源満仲公が、千年以上昔の、摂津の国主に任じられた時
(970年)、退治したはずなのに。 (´・ω・`)

 戸隠神社の正面に、かなり広い丘陵地を、整地し、クレーンを
 9龍以上使い、かなり大きくて、大掛かりな施設を作っています。
 九頭龍の因縁がありそうに思うのは、私の妄想でしょうか?
 詳細は不明ですので、分かり次第ブログします。
 こうご期待!

 九頭竜が頭を持ち上げているすぐ側に行ってきました。




 入り口のフェンスに、工事案内板があり 
「プロロジスパーク猪名川」の名前がありました。



 「プロロジスパーク猪名川」 完成予想図
 最近開通した新名神高速道路の川西ICの側に、
流通倉庫になるようです。
 でもすごく大きいですね!
 ちなみに、時計の11時方向のすぐ側の森が、戸隠神社で、
 1時方向のすぐ側の森が、肝川龍神 大国之宮です。



 戸隠神社 氏神 九頭大明神












大国之宮本部? 肝川龍神 関連?


 「大国之宮本部」がまるで分からず、ネットで調べたのですが、
関連記事を読めば読むほど、私の思考範囲を超えてゆき、
記事を書いておられる人は、至極当たり前の事のように、
私の思考範囲外のことや、人物のことが述べられているのです。
こんな難しい話が、この猪名川町に在ったとは、想像すらして
いませんでした。



 神社の作りのような手前に、「通行を禁ず」の看板が在り、
その先に立ち入る、勇気が在りませんでした。 (^_^;)

 ブログで軽く探索すると、この猪名川町肝川地区で、大正時代
龍のお告げ、予知が関係した、宗教的なもやもやの闇事件が
在ったようです。
京都府綾部市の新興宗教として有名な「大本教」
同じく新興宗教の「生長の家」も言葉が出てきます。
しかもその予言に関係した人物を、戦前の官憲が出てきて、
次々に逮捕していったらしのです。
ということは、この北摂地区の肝川龍神が国家を揺るがすと、
戦前の官憲は判断したのでしょうか?
皆さん! そんな事知ってました。
深入りしない程度に、勉強してブログします。
 でも今、天に伸びる九頭竜が!!



 肝川の九頭竜神話を検索すればするほど、今の光景が恐ろしく
なってきました。
 大正3年に、猪名川町肝川地区の、5人の子を持つ貧しい
農家の主婦「車 小房(くるま おふさ?)」
が九頭竜に
神がかりをして、色々なお告げを、大きな声で告げ出したのです。
 このあととても信じられない恐ろしい話が続きます。(-_-;)

 実は、この話を書いていて、肝川地区に少し気にかかることが
あったのです。
それは、1995年1月17日に発生した、阪神大震災なのですが、
この川西、猪名川地区に寝起きを共にしていた人達は、みんな、
感じていた震災前(1ヶ月前前後)の奇妙な小さな小さな地振れ、
夜に寝ているときにしか感じられないくらい小さな揺れ、
10日ぐらい続いたのでないでしょうか?
その当時は、関西に大きな地震は無いと、みんな信じていたの
ですが。学者さんも、この地区の人が、気象庁に伝えても、
まともに取り合ってもらえなくて、「素人が!この忙しいときに」
という対応でした。あとから調べて、肝川地区が中心だったと
聞きました。
ということは、九頭大明神の怒りの余震だったのですね。
 何故怒らしたかというと、九頭大明神の戸隠神社を
この地区に新名神を造る際に、邪魔にされて、道路会社の
要望で、勝手に今の場所に、移してしまったのです。
もちろん、九頭竜様には、なんの相談もなく。
 そのために、阪神大震災を起こされてしまったのですね。
(なんの科学的な根拠もない、私の妄想です。) (^_^;)


 7月16日 「大国之宮本部」 に再挑戦してみました。













 前回入り口までしか行けなかたのは、参道の入り口に、
大国之宮駐車場の看板があり、その先の左側に、工事施工業者の
会社建屋があり、その会社の工事車両が、沢山止まっており、
何人かの社員さんと目が会い、それを無視して、中に入って行ける
雰囲気ではなかったからです。
それにその工事会社の建屋の向こうが確認できず、
「本当にこの先に神社の大国之宮が在るの?」
臆病が顔を出したからでした。
 勇気を出して、工事関係の建屋の前を通り過ぎると、
すぐその隣に神社の社務所があり、
「何か、神社を隠しているようでした。」



 実は、この地元散策を初めてから、気になる事がゆっくりと
沸き起こってきたのです。
 期待されている、お地蔵さんの顔だけではなくなりそうです。
「えっ、その事を話題にするの?」と脅かしてしまうかも。
予め、お詫びしておきます。
 コロナ騒動から、地元探索を始めるまでは、ほとんど気に
かけていないことでした。
「この家、どうなってるの?」
私の住んでいる町は、昭和30年代、40年代60年代
の、
高度成長期に開発された、新興住宅地です。
 日本中の都市部、都市周辺部には、必ずある町並みです。




 「期待せずにお持ちください。」

 関西 北摂エリアのあまり知られていない、肝川地区の
とても気になる、戦前(大正 昭和初期)の出来事なのですが、
探れば探るほど、闇の中に引きずられて行くのです。
戦前の肝川地区は、交通がとても不便で、行き来が
とても不便な場所と想像できるのですが、龍神にお参り
するため、かなりの信者が、年に数度会合が持たれと
されているのです。
 交通はどうしたの?、宿泊場所は?、食事は?
そんなものは、あったとは思えません!!
 その真意も、結果も、調べきれていません。
一旦このブログを終了し、ジックリ調べてから新しいブログを
立ち上げたいと思います。




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 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。


 


 


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